文化祭:其の十二
『午後五時三十分になりました。文化祭二日目の日程を終了します……これで第三十六回神原高校文化祭の全日程を終了します。お疲れ様でした。一般のお客様は……』
チャイムの後に放送が流れ、文化祭の終了を告げる。その五分ほど後に戻ってきた真澄、清水、千鶴の三人が揃ったところで、螢先輩が口を開いた。
「じゃあ、ミーティング始めるぞ」
全員の顔を見回した後、口を開いたのはがわら先輩だった。
「ここに、在庫が入っていた段ボール箱があるわ」
そういうと、がわら先輩は段ボール箱をひっくり返す。
中から落ちてきたのは、一冊だけだった。
「あー、残っちゃったね」
「いや、これでいいんだよ」
真澄の落胆した声を否定する。俺のその言葉に、がわら先輩は大きく頷いた。
「ええ。これは顧問の橋本先生用。もともと余らせる予定だったの」
「つまり、完売ってことですね」
「ええ。今年も例年通り、五十冊完売よ」
「やったー!」
「売り切ったわね。朝陽、結局どの時点で完売したの?」
「確か、五時過ぎだったな。結構ギリギリだったんだよ」
「あさ兄ちゃん! 後夜祭行こ!」
完売の報告だけでミーティングは終わったらしく、清水がさっさと出て行く。真澄も俺の腕を引いて部室から連れ出す。おい、あんまり引っ張るとこけそうなんだが。
神高後夜祭は、文化祭が終わった後、五時四十分から始められる、簡単に言えばグラウンドに集まってはしゃぎあう、全校をあげての打ち上げだ。そのために、文化祭実行委員の中から後夜祭担当が選出され、行う企画の提案、募集、その準備などを専門で行う。つまり、それだけ気合が入っているということだ。
その気合の入りようを体現するかのように、ものの十分でグラウンドには特設ステージが組み上げられている。あそこを中心として、後夜祭のあらゆるイベントは行われることになる。
「それでは! 第三十六回神原高校文化祭、後夜祭を開始します!」
グラウンドに好き勝手散らばった生徒たちが、一斉に湧き上がる。その声を聞きながら、栄介は無意識に見慣れた人影を探していることに気づき、慌てて頭を振った。
その相手は、同じ文芸部の同級生で、一つ年上の幼馴染にべったりくっついている少女。おそらく二人はこのグラウンドのどこかに立って、仲良く喋っているのだろう。
そう考えると、栄介は無性に泣きたくなってくる。女々しいことこの上ないとは思うが、どうしても、彼女に隣にいて欲しいと思う。憎たらしい先輩に見せるみたいに、無邪気に笑って、頼って、甘えて欲しいと切に願う。
あの少女は、自分の前では絶対に弱音を吐かない。思ったことを素直に伝えてくれない。冗談めかして騒いでも、クラスメイトとして踏み越えないラインを引いている。
そんなもの抜きにして、接して欲しい。
「おい、栄介! 何ぼーっとしてんだよ!」
「あ、悪い悪い。何の話だっけ?」
そんな風に思える相手に、栄介は初めて出会ったのだ。
朝陽と真澄ちゃんについてグラウンドに出てきたけれど、午前中に清水先輩が告げてきた言葉が耳に残って、私は後夜祭を楽しむどころの話ではなくなっていた。
わざわざ後夜祭の話を振って、そこから屋上の話をするなんて、狙っているとしか思えないじゃない。そして、あの性格の清水先輩がわざわざ遠まわしに伝えようとする相手なんて、私には朝陽しか思い浮かばない。もっとも、それは私があの人のことを知らないだけかもしれないけれど。
「朝陽、私ちょっと友達に呼ばれてるから、少し抜けるわね」
「ん? ああ、分かった」
「ごめんなさいね、真澄ちゃん。楽しんで」
「うん!」
あなたたちに嘘を吐くのは忍びないけれど、こればかりは許して欲しいところね。
どちらも好き合ってたのに別れた元カノがレース相手なんて、分が悪すぎるもの。できれば接触させたくないじゃない?
そんなことを考えるあたり、私は悪い方向にどっぷりみたいね。何にとは明言しないけれど。
朝陽たちに背を向けて、私は校舎の方へと足を向けた。
窓の外から、誰かが熱唱する声が聞こえてくる。可もなく不可もないその歌声を聞きながら、螢一郎は亜子に向かって口を開いた。
朝陽たち後輩勢が部室を去ったあと、螢一郎は亜子に何を言うでもなく、部室に留まった。元々後夜祭は二人で過ごす約束を取り付けていたため、亜子も怪訝そうにそれに従っているわけだが。引き伸ばすのもこのあたりが限界だろう。螢一郎の意図を測りかね、亜子の眉が急角度を描き始めている。爆発してしまえば、せっかく固めた覚悟も意味を成さなくなってしまうだろう。そうすれば、また覚悟を固めるまで何日かかるのやら。
「亜子。俺、ずっと言おうと思ってたことがあるんだ」
声が揺れる。呼吸は乱れ、足は震え、掌は手汗でびしょ濡れだ。それでも、やめようとは思えなかった。
――――『幼馴染』って立場に甘えてると痛い目見るのも、また王道です
唾を飲み込む。沈みゆく太陽の色を映したように、亜子の顔は朱に染まっている。おそらく、螢一郎の顔もまた、同じようなものだろう。
怖い。怖いからこそ声も震えるし、体が自分の体じゃないような気分に陥っている。
――――勇気を出すのは一瞬。後悔は一生だ
一瞬の恐怖に負けて、一生の後悔を背負うのは嫌だ。
その思いが、螢一郎を突き動かしていた。
「俺、さ。お前のこと好きだ。ずっと前から」
ちづちゃんがどこかへ行くのを見ながら、あたしは内心で飛び跳ねた。だって、これであたしはあさ兄ちゃんと二人っきり。どうしてちづちゃんが嘘をついてまでどこかに行ったのかはわからないけど、たぶん、大事な用なんじゃないかな。
「真澄、どうかしたのか?」
「ううん。なんでもないよ。……あ! この曲知ってる!」
流れ出したのは、あさ兄ちゃんが見てたアニメの主題歌。あたしはあんまりアニメを見る方じゃないし、好みのジャンルでもなかったけど、その話をしてるときのあさ兄ちゃんは生き生きしてたから、話をあわせるために全部見た。
「あ、本当だな。これで下手だったら笑えるけど」
「一応全校生徒の前で歌うんだから、それなりに自身はある人なんじゃない?」
壇上に上がっているのは、二年生の男子。どうしてだろう、すごく不安だよ。
屋上へ続く階段を上り終え、扉の前で息を整える。花火の時間までは後一時間くらいあるから、もしかしたらまだ来てないかもしれない。
それなのに私は、なぜか確信を持って扉を開けた。
秋の衣を纏った風が、一陣吹き抜ける。その先には、予想通り、清水先輩がグラウンドを見下ろしていた。
「清水先輩」
「ん? ああ、千鶴ちゃんか。一人?」
「ええ」
言うか言わないか、たっぷり数十秒悩んだ後、私は告げた。
「朝陽は来ませんよ」
途端、ぎょっとしたように振り向く清水先輩。そして、私の顔を見てため息をついた。
「やっぱりばれた?」
「なんとなく。私が真澄ちゃん、どちらかが花火を見に屋上へ来たところを、偶然を装って鉢合わせようなんて計画かなとは」
「九割当たりだよ」
「残りの一割は?」
「さすがに、アタシの動機までは解明できないでしょ。その分」
さすがに、私もそこまでは分かるはずはない。私の祖父は普通の会社員だったし、有名な名探偵をもじった未知の薬も飲んだことはないもの。
私の表情から察したのか、清水先輩はグラウンドへと視線を下ろし、喋り始めた。
「安心していーよ。アタシ、よりを戻そうとかは考えてないから」
今度は私がぎょっとする番だった。まさか、見抜いたと思っていた人から、見抜かれていたなんて、予想だにしていなかったもの。
その言葉を聞いて、私はやっと、清水先輩が真澄ちゃんと似ている理由を悟った。
二人とも、おどけて見せて、子供っぽくしているけど、内心ではちゃんと考えてる。周囲をよく見て、ふざける方法、方向性、そんなものを把握してる。だから、子供っぽくても、無駄にテンションが高くても、嫌味じゃないし、苦手意識も感じない。
そんな人なんだったら、私がここに来た理由も分かってるのかしらね。
「アタシさ、八神君とはほとんど無理やりな感じで付き合いだしたんだよね」
グラウンドから目を離さないまま、清水先輩が話し始める。
「よっしーと仲がいい、少しテンションの低い後輩。最初はそんなイメージだったかな。けど、そのうち気づいたら目で追うようになってて、ああ、好きなんだって自覚した。
それ以来アタックしてきたけど、結局受け入れてもらえなくて、直接告白した。そしたら、なんて言われたと思う?」
その言葉は疑問系だけど、私に聞いているわけじゃない。それが分かったから、黙っていた。
「『俺は人を好きになるとか、わかんないです』って。けど満更でもなさそうだったから、強引に。その感情は、アタシを好きにさせて教えてあげる! って」
好いた相手の過去の恋愛なんて、聞きたくないはずなのに。私は素直に耳を傾けていた。




