文化祭:其の十
がやがやと、昨日より大きな喧騒が耳朶を打つ。それもそのはず、今神高の敷地内には生徒の他に一般客も来ているんだから。
神原高校文化祭、二日目。店番のシフトが千鶴や真澄と違う時間になったため、俺は今良樹と二人で見て回っていた。
昨日行けなかった演劇部の公演。体育館で行われるそれは、開演十分前に来た俺たちが席を見つけるのに苦労するほどの大盛況だった。
「これ、前に大会だって練習してた奴と同じか?」
「ちょっと改良を加えたって書いてあるだろ」
ぼそぼそと話しているうちに、照明が落ちる。
『これより、演劇部公演を行います……』
騒々しいブザーが鳴った。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
半分減った文集の山に、新しく五冊重ねる。朝陽の言った通り、今日は朝から十分に一人くらいの速度でお客さんが来ている。この分なら、完売しそうね。
「やっほー、やってるー?」
妙にテンションが高くて、馴れ馴れしいお客さんね。制服を見るに神高の生徒みたいだけど、言動から察すると三年生かしら。
「うわ、何しに来たんだよ姉ちゃん」
「あれ? 小夜子先輩だ。久し振りです!」
「あれ? 真澄ちゃんじゃーん! 元気だったー?」
「はい! でも、どうしてここに?」
「あはは、弟と八神君の妹が仲良く店番してるってさわらっちが言ってたから、ちょっと様子見にね。だいじょーぶ、心配せんでも文集は一部買わせていただくよ、諸君」
何だか、愉快な人ね。テンションが常に高い人ってあまり得意でないんだけど、この人は不思議と不快感を与えさせない。真澄ちゃんと同じ雰囲気を持った人ね。
けど、真澄ちゃんはその人の言動に首を傾げた。
「……『八神君』?」
微かに零れ落ちたその呟きは、空間に染み渡る。清水先輩がある程度の声量で喋っていたのにも関わらず。
そして、その呟きの内容は清水先輩の表情を翳らせるには十分な威力を秘めていたらしい。断言できないのは、私がそこにあるしがらみをまったくと言って良いほど知らないから。
「……ま、さーすがに酷いふり方した元カレを、今までのように呼ぶわけにはいかないじゃん?」
「そっか、そうですよね。それに、あたしはあさ兄ちゃんの妹じゃないです」
「そんなのほとんど一緒だって。……さって、準備運動はここまでねー」
よく分からない呟きを発すると、今まで会話に入れず隅で本を読んでいた私を振り返る。あら、ようやく気づいたの? なんて、少し意地の悪いことも言ってみたくなる。先輩だし、本当に言わないけど。
「おやおや? 『ようやく私に気づいたの?』とでも言いたげな顔ですなー。だいじょぶだいじょぶ、最初から気づいてたよ」
図星を指されて言葉に詰まる。なんでこの人に真澄ちゃんと同じ雰囲気を感じたのか、取っ掛かりが掴めた気がした。
「じゃあ、自己紹介しとこっか。アタシは清水小夜子。神高の三年五組。さわらっちのクラスメイトで、あなたが懇意にしてる八神君とは三年前くらいに半年くらい付き合ってたんだよって、知ってるか」
軽く頷いておく。三年前ってことは、清水先輩が中三のときかしら。そんなことは初めて知ったけど。
で、自己紹介を終えた清水先輩が期待した目で私を見てるから、私も右に倣えの姿勢で口を開いた。
「……安倍千鶴といいます。小四まで朝陽の家の近くに住んでいたので、その縁で仲良くしてます。クラスは二年七組です」
私が名乗った途端、小夜子先輩の顔に感情が走る。けど、ほんの一瞬の事。何の感情なのかまでは分からなかった。
「そっかそっか。じゃあ、よろしくね、千鶴ちゃん」
「よろしくお願いします」
「姉ちゃん、いい加減帰りなよ」
「栄介、あんた姉に向かってなんたる言い草!」
「いいじゃん栄介君、そんな厳しいこと言わなくても。嬉しいくせに」
「栄介、あんたシスコンなの? アタシはブラコンの気はないけど」
「ちがっ! 柏木! お前なんてことを!」
「あの、やってますか?」
騒ぎ始めた三人を傍目に、戸口からひょっこりと顔を出した少年に歩み寄る。
「ええ。やってますよ。見ていきますか?」
「あ、はい」
少年と言ったけど、具体的には中学二年生くらいかしら。男の子と、後ろから付いてきた女の子の二人組が、文集を一つずつ手に取る。女の子の、うなじ生え際で二つに分けられた髪が嬉しそうに揺れているのは、たぶん私の思い違いじゃないわね。
「一部四百円になります」
「あ、こいつの分もお願いします」
「え? いいよ! 私が自分で払うから」
「お前、そう言ってさっきも俺に奢らせなかっただろ。少しくらい甘えたらどうだよ。お前最近金欠だって愚痴ってたし」
男の子は少し気だるげな目をしてるけど、女の子への気遣いは怠っていないというか積極的ね。それに、ぶっきらぼうを装ってはいるけど、顔がにやけてるし。
「じゃあ、二部で八百円です」
無言で、机に五百円玉と百円玉、合わせて四枚を置く。そして、軽く会釈してさっさと出て行った。取り残された女の子が、慌てて後を追う。
廊下から、焦ったような叫び声が聞こえた。
「ちょっと待ってよ! ――――響君!」
「慌ただしかったねー。あたし、挨拶する暇もなかったよ」
「そうだな。結局喋ってたのは安倍先輩一人。僕達は入り込む隙間も無かった」
いつに無く素早い動きを要求されたお客さんの後、ほっと息を吐いて席に戻る。
そんな私たちなど目に入らないかのように、清水先輩は戸口を凝視していた。
「……懐かしー……」
その言葉を呟いたのが清水先輩だと気づくのに数十秒を要するほど、その声は懐古に包まれていて、大人びていた。まるでアルバムをめくって、写真の当時に思いを馳せる大人のような、そんな響きがあった。
顔を覆う懐旧の中に、羨望や後悔を見た気がして、私は目を伏せた。
あの二人は、たった一、二分の邂逅だけでも分かるほどにお互いが好きだった。中学生らしい、初々しいものだったけど。好きな男子と二人で出かけられて、嬉しさに終始笑顔な女の子と、同じ様な嬉しさの中で、格好つけたくて気遣う男の子。恋人としてベタベタしてるわけじゃない、手が触れ合っただけで慌てて体ごと背けるような、そんな関係。見ていて面白かったけど、今はそこじゃない。
それを見て、懐かしむ清水先輩が何を見ていたのかと言う事。懐古の中に羨望や後悔が見え隠れするような思いを、あの光景から抱くなんて、一つしかない。あの二人の中学生に、自分と他の誰かをかさねていた場合だけ。
そして、その誰か、は十中八九朝陽でしょうね。もっとも、これは根拠の無い想像でしかないけど。
「じゃあ、アタシも一部もらおっかな」
「はいはーい! 四百円です!」
「はい、じゃあ一、二、三、四、これで四百円丁度ね」
「ありがとうございます」
「あ、そうだ、後夜祭って、どうするか決めてる?」
部室の戸口で、清水先輩が振り返る。あまりにも唐突なその質問に、私は一瞬何を言われたのか分からなかった。
「……後夜祭?いや、特に決めてない」
「あたしもです。あさ兄ちゃんとイベントを見てようかなって」
「私もですね。なるようになるんじゃないかと」
異口同音に紡がれた無計画に、さすがの清水先輩も言葉を失ったみたいだった。何度か瞬きを繰り返すと、呆れたように喋り始める。
「まさか、三人とも決めてないとはねー。じゃあ良い事を教えてあげる。後夜祭の最後に打ち上げられる花火、東棟の屋上から見ると綺麗なんだよ! 誰も、そんな寒々しいところで見ようとしないんだけどさー」
アドバイスなのか愚痴なのか分からない言葉を残して、
「じゃあねー」
清水先輩が去って行く。結局、あの人は何しに来たのかしら。
けど、あの人が来たことで分かった事もあるわね。
私は、朝陽を知らない。
小五から高一までの五年間、彼がどう過ごしてきたのか。どんな事を思ったのか。何が起きたのか。何を感じたのか。私は、何一つ知らない。
神原に戻ってきてからの半年くらい、私は生活のほとんどを朝陽と過ごしてきた。けど、それだって学校内の事。夏休みの旅行で彼の内面を偶然垣間見るまでは、私は私が見ているままの、飄々と人をからかう性格が朝陽のすべてだと思ってた。
それがどんなに大きな間違いだったのか、今なら分かる。
彼は、飄々とした態度を装う事で、自らが感じる負の感情を隠しているから。人を傷つける事への不安も、当たり前の体温を感じられない寂しさも、それらを総合した辛さも。
私にできることなら、緩和してあげたい。大丈夫、と伝えてあげたい。
願わくば、私の声が朝陽に届きますように。




