追憶:其の四
「ちづ! 今日も、秘密基地で遊ぼーぜ」
挨拶が終わってすぐ、教室の反対側にいたあさ君は、あたしの傍まで飛んできた。
その口が紡いだ提案に、あたしは首を縦に振ることはできない。そうしないよう、今朝言い含められてしまったから。残り少ない時間を、あさ君と一緒に過ごせないなんて辛いけど、親の言うことには従っておかないと。
感情が表に出ていたのか、あさ君は微妙な顔で視線を逸らした。
「ごめん、今日はさ、あたしダメなんだ。なんか、あたしの荷物を荷造りするんだってさ」
断るにはちゃんとした理由を告げなきゃダメだから、言いたくないことも伝える。それによってあさ君の表情は微妙から落胆に変わった。
「……そっか、でも、一緒に帰れるだろ?」
「もっちろんだ!」
「じゃあ帰ろーぜ!」
ランドセルを背負って、教室から駆け出す。目的は靴箱、そこですみちゃんを待つんだ。
季節は変わらないけど、年は変わった。それも、一ヶ月くらい前に。今は二月、一年の中で一番寒い時期だ。
でも、三人でいれば寒さなんて吹き飛ぶ。当たり前だよね。そんなこと意識しないくらい、全力で過ごしてるんだから。
「でも、もう二月なんだよなー」
「そ、そうだね。そろそろ春になるのかな」
「春になったら、オレら五年生だろ? 高学年だよなー」
「わ、わたしも四年生だから、高学年だよ」
そこまで話を進めたから、不意にあさ君がしまった、という顔をした。そして、今まで黙っていたあたしに、二人の窺うような視線が向けられる。どうやら、あたしに気を使ったみたい。そんなこと、しなくていいのに。あたしはもう諦めたから、自分の引っ越しだって、笑い話にできるのに。
でも、そんなこと言えなかった。二人が気を使ったこと、気を使わせたこと。それがあたしの中で、重石のように沈み込んで、腹の底に圧し掛かる。二人に使われた気が、あたしに「来年はもういない」と呟いたようだった。
「……ごめん、あたし荷造りあるから早めに帰るわ。また明日な」
「あ、おう。また明日な」
「うん、また明日ね」
戸惑うように、けどきちんと挨拶を返してくれた二人に背を向けて、全力で走る。背中でランドセルが騒ぎ立てた。
――――春になったら、オレらも五年生だ
――――わ、わたしも四年生だから、高学年だよ
そこに、あたしはいられない。来年もクラスが一緒だなんて、奇跡を連続で百回起こすくらいじゃないと無理なんだ。そんなこと、できるわけもない。あたしは、来年、五年生になったあさ君と過ごすことも、四年生になったすみちゃんと遊ぶこともできない。
二人に気を使ってくれたのに、そのせいで、あたしの心には改めてその認識が焼き付けられてしまった。
「ちづ、帰ろうぜ」
「あ……ごめん、用事があって急いで帰らなきゃなんだ」
「そっか……分かった、また明日な」
「ああ、また明日」
せっかく誘ってくれたあさ君に背を向けて、走る。吹きすさぶ風にすべてを洗い流して欲しかった。
「あら、早かったわね。朝陽君たちと帰ってこなかったの?」
「うん、今日はダメなんだってさ」
「そう、皆忙しいのかしらね。お菓子があるから、食べなさい。それから、暇だったら荷造り手伝って」
「……分かった」
鞄を机に置く。あたしの部屋は粗方片付いて、すっきりしてしまった。否が応でも、引っ越しを感じさせるほどに。
今日、あたしに用事なんて無い。強いて言えば荷造りだけど、それだって急ぐほどじゃないし。用事どころか暇だ。前までなら、三人で夕方まで遊びまくっていたような日。
なのに、あたしは自分の部屋で、一人沈み込んでいる。二人に気を使わせないように、何て言い訳して。こっちの方が二人には気を使わせるのに。二人を避けて、何が楽しいんだろう。二人と遊ばないで、何が楽しいんだろう。全部、引っ越すことをあたしが認めたくないだけだ。勝手に思い知って、勝手に嫌になって、勝手に避ける。ただの独り相撲だ。
もう、何日秘密基地に言ってないだろう。今日も、二人はあそこで遊んでるはずだ。あたしは何日、遊んでないだろう。ここ最近はずっと、こうやって自分の部屋で茶色い立方体を眺めて自己嫌悪してるだけだ。馬鹿だな。
とりあえず、おやつ食べよう。もしかしたら、上ってきているこのやりきれなさも、一緒に呑み込めるかも知れない。あたしの体のどこかに、仕舞いこめるかも。
「ちづっ……いや、また、な」
あたしが教室を出ようとした時、あさ君に呼び止められた。振り返った先で何かを言おうと息を吸い込んで、あたしの表情を見てそれを止めた。代わりに渡されたのはどこか余所余所しい終わりの挨拶。
「……ああ、またな」
とりあえず簡潔に返して、今度こそ教室を出た。
今日は終業式だった。もう、この学校に通うことはない。クラスの皆からは寄せ書きを貰ったし。先生から有難いお話もされた。それはうれしかったし、楽しかったけど、あさ君がいないなら、最高だとはいえない。それがなきゃ、ダメなのに。
それを遠ざけて、今のような状況を作ったのはあたしなのに。どうして、こんなに寂しいんだろう。こんなに悲しいんだろう。ただ、二人から誘われなくなっただけなのに。
自業自得、因果応報。言葉は違っても、結局はそういうことなんだ。あたしが、この状況を悲しめるはずがない。自分でやったんだから。
そう言い聞かせて、靴箱を通り過ぎるたびに湧き上がる気持ちを呑み込む。おやつがなくてもできるようになったのは、つい最近だ。
「ちづちゃん、じゃあね」
「すみちゃん……じゃあね」
階段に立っていたすみちゃんに簡単に挨拶して、靴箱を通る。
玄関を出ると、季節はずれの雨が降ってた。




