林間学校:其の一
がたがたと、小刻みに座席が揺れる。エンジンの回転に伴う振動と、路面の走行による揺れ。俺自身は平気だが、そうもいかない奴がいる。
「うえぇぇぇ、まだ着かねぇのかよ……」
「お前な、寄ったなら素直に認めて前に移動しろよ。吐かれる方が困る」
「いーや、オレは酔ってねぇ。ただちょっと気分が悪いだけだ」
「それを酔ったって言うんだよ。いい加減認めろ。楽になれる」
「なんだ、その三流ギャングみたいな台詞は……おえぇぇ」
この場に限っては、本当に楽になれると思うのだが。前に行けば景色も良く見えるんだから、よく揺れるタイヤの上で酔いを我慢しているよりよっぽどましだ。だが、何の意地なのか良樹は俺の隣に留まり続け、青ざめた顔で窓の外を見ている。……馬鹿なのだろうか。いや、勉強が苦手なのは知っていたが、自分の体調は管理できる奴だと思っていたのに。現に昼食なんかはバランスが取れていたはずだが。
「あの、樋口さんは意地っ張りなんですね。早く前に移動すれば良いと思うんですけど」
「しゃーねぇだろ。先輩に酔ったなんて知られたら、何いわれるか分かったもんじゃねぇ」
何を言われてもスルーしておけば良いと思うが、そうもいかないらしい。まあ、そこは人付き合いと言うことか。
「けど、無理に我慢してこの後に差し支えるようだと大変よ?」
「だな。今日はこの後、自炊と、後は肝試しとかやるらしいし。それに、明日まで残ったらそれこそ悲惨だぞ」
「いや、後五分だ。その辛抱だ」
その言葉に釣られて時計へと目をやると、言葉通り、到着予定時刻まで後五分だった。担任が指示を出したとみえて、他のクラスメイトも下車の準備を始めている。今更移動したところで、立ち歩いた分酷くなるだけか。
俺と同じ考えを抱いたらしい班員二人も、呆れを湛えた目で良樹の青ざめた顔を見つめていた。
吐き気や頭痛を耐えること実に一時間と少し。そんなにも我慢に我慢を重ねたのは賞賛に値するだろうし、その努力には敬意を表そう。ただ、もっと他にその精神力の使い道があったのではないかと思うのだが。最早体力、精神力共に疲労困憊の様相を呈している。そんなのでこれから三日間、耐えられるのだろうか。
「えー、では、これより拡販でそれぞれ、自分たちの食事を作ってください。メニューや手順は事前に確認したと下りです。それでは、開始!」
食事担当の教師から合図がある、各自が行動を開始する。危惧や食材の準備、一足早く開始した班も見受けられる。俺たちも、一拍の遅れを経て動き出した。
「じゃあ、二人も事前に決めた分担通りにお願いするわね」
「よっし、んじゃ、器具の調達は任せろ!」
「じゃあお前に任せるわ。よろしくな」
「いやいやいや、ちょっと待て! 鍋とまな板と包丁とお玉、全部俺に任せるのかよ! しかもまな板と包丁は二つずつ、鍋は四人用だからかなりでかいよな!?」
「大丈夫だ。バスケ部レギュラーだろ? それに、鍋がでかいから他の道具も全部突っ込んで持ってくればいい」
「そんな正論は聞きたかねぇ! 俺が言ってんのは、お前も器具調達係だってことだよ!」
「だから手伝えってか? 良樹、あれを見ろ」
適当なことを言いつつ指差したのは、我先にと食材に群がるクラスメイトの大群と、その
後ろを『私困ってます』オーラ百二十パーセントとでうろうろする綾野さん。どう考えても、適材適所とはいかなかったようだ。調理器具が置かれた机の周りも同じ様なもの。どうも、他の班はほとんど、器具及び食材調達を男子に任せたらしい。
俺が指し示した意味を、良樹は正確に把握したらしい。諦念の浮かんだ顔で、呟いた。
「……ああ、うん。つまり、お前は綾乃を助けに行くから俺の手伝いはできないと」
「要約すればそういうことだ。それに、器具の方はそこまで混み合ってないから、お前一人で十分だしな」
「へーへー、りょーかい。お前はか弱い女の子を助ける正義のヒーロー、オレはその横で地道に自分の役目を果たす警官ってとこか?」
「何を言い出すのかと思えば。別にそんな訳でもないだろ。何ならお前が綾野さん助けに行くか?」
代替案として提示した俺の提案に、良樹は苦い顔で首を振った。
「いや、オレだってあの集団に頭から突っ込むのは遠慮するわ」
さっさと器具めがけて走り去っていった良樹の後ろ姿から眼を背けて、綾野さんへと歩を進めた。
「綾野さん、交代しよう」
呼びかけても返事が来ないため、仕方なく背後から肩を叩く。
「え? あ、えっと、大丈夫です」
「苦手なんだろ? 食材は俺が持っていくから、千鶴と一緒に机の準備しててくれ」
「え、あ、でも……」
歯切れの悪い返答。どうも、仕事の交代を認める気にはなれないようだ。とはいえ、ここでいつまでもぐずぐずしている余裕も無い。
「元々配置ミスみたいなものだし。適材適所でいこう」
その言葉でようやく頷いた綾野さんが俺たちの班に割り当てられた調理用机に戻って行くのを確認して、目の前で繰り広げられる食材争奪戦線へと目を移す。どう考えてもやりすぎだ。そろそろ圧死する奴がいてもおかしく無さそうなほどに、混乱を極めていうる。そろそろ混沌に進化しそうだ。もっと分かりやすい表現をするなら、人がゴミのように見える。砂糖に群がるアリみたいだ。
そうは言っても、ぐずぐずしている暇はない。少しずつ人が減っているとはいえ時間制限もある。早めの行動は基本だ。
弱気になる足に鞭打って、自らもアリと化した。
小気味良く、一定のテンポを刻む音が響く。包丁が食材を通り抜け、まな板を打つ音だ。二つ、微妙に違う音が重なり合い、二重奏を奏でる。
それが、しばらく続いた頃だった。
「あつっ!」
ジャガイモの皮を剥いていた綾野さんが、悲鳴と驚きが入り混じった声を上げたのは。
「あ、大丈夫か?」
使っていたのは皮むき器。そこまで深くはないだろう。そんな考えを持っていたのかどうかは分からないが、千鶴は軽く顔を上げただけですぐににんじんの切断へと意識を戻す。俺も、良樹が先生の元へ走ったのを見て、手元のたまねぎへ意識を戻した。
ここまで調理を進めて、班員の料理スキルが明確になった。最も上手いのが千鶴。弁当のクオリティからも分かるが、他の班員を大きく引き離している。
その次が、俺。まあ、ほぼ自炊しているから当然といえば当然か。
そして、綾野さん。料理経験はないらしいが、手先は器用なようだ。
最期が、良樹。こいつが料理するとキッチンは爆発炎上を免れないだろう。中学の調理実習で、本当に火事を起こしかけたこともある。
そんな訳だから、俺と千鶴が主として調理に当たっている。綾野さんがその補助、良樹は雑用だ。
そんな役割分担に添って、現在スムーズに動いていたわけだが。綾野さんは今、ジャガイモにエキセントリックな模様を描いている。手元が狂ったらしい。
「おい! 綾野! ほら、絆創膏だ」
「あ、す、すいません」
「こーゆーときは礼を言えって。あと、敬語じゃなくて良いぜ」
「あ、ありがとう……」
「私も、敬語は要らないわ」
「ああ、俺も」
「え、えっと、ありがとう……?」
妙な流れになってきた。こういうのは、食べながら話すことじゃないのか?」
「それより、綾野さん、指大丈夫か?」
「あ、はい、大丈夫です」
やっぱり敬語。まあ、本人が話しやすい方が良いと思うし、そこまで徹底することじゃないか。それより、今は作業に集中するべきだ。
「じゃあ、痛くない程度で続けてくれ。良樹、補助頼む」
「はいよ」
玉ねぎを一つ切り終え、もう一つに刃を入れる。そろそろ、限界だった。
「ああもう、ほら、手を洗って、余ってるタオル使っても良いから」
玉ねぎ特有の硫化なんたらとか言う成分に泣かされた俺は、千鶴に指示された通り手を洗い、一旦落ち着いてから顔を上げた。
「まったく、何で対策措置を講じなかったのよ」
「悪い、何にも考えてなかった」
大きなため息を吐かれてしまった。そんなに落胆することだろうか。ただ、玉ねぎを冷やすのを忘れただけなのに。まあ、それによって一人分の仕事が増えるのだから、その反応もあながち間違っていないとは思うが。
「落ち着いたら再開して。他の二人だと、ちょっと不安だから」
確かにそれは俺も不安だと思う。また食材に着色されては困るし、包丁ならもっと深くなることもありうる。
幸いなことに、少々の休憩で玉ねぎの影響は薄れた。まだ鼻の奥は疼いているとはいえ、問題ないだろう。千鶴の判断によって冷水に浸された玉ねぎを引き上げ、改めて刃を入れる。たかがカレーなのに、意外と大変だな。
「お、美味いじゃん」
「そうですね。さすがお二人です」
「綾野さんも樋口君も、一緒に作ったじゃない。私たちだけじゃないわよ」
「いや、でも、中心は二人だろ? 俺はほとんど何もやってねぇし」
「そうだな。良樹は確かに何もやってない」
ひでぇ! と良樹が騒ぎ出すが無視して、完成したカレーを口に入れる。確かに、美味かった。どこか千鶴の弁当と同じ様な風味を感じたのは、気のせいではないだろう。




