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第7話 再会

 暗闇の中、列車は雪を巻き上げながら終着駅に向かってひた走っていた。


 車輪が線路の継ぎ目をたどる規則的な振動を感じながら、ヨヴル・クルフ大尉はデッキのドアに体を凭せ掛け、窓の外の闇に視線を投じていた。

 コートの内ポケットから何本目かのタバコを取り出し、火をつける。マッチの先に灯った炎は薄暗い車内の中でいっとき明々とした光を放ち、軍帽を目深に被った彼の彫りの深い顔立ちを照らし出した。


 列車が緩いカーブを描きながらゆっくりと速度を落とし始める。列車の向かうその先には、小さな灯りが点々と見え出した。


『まもなく、終点、コスタルヴィッツ――』


 雑音交じりの簡略な車内放送が流れる。

 彼は少し前まで座っていたコンパートメントに戻った。中では、伴ってきたヴェスカーリク軍曹とライヒェル伍長が暖房の効いていない車内の寒さに身を縮めるようにして眠り込んでいる。

 クルフは廊下側の窓ガラスを軽く叩くと素っ気なく言った。


「起きろ。じきに到着だ」


 所属する中央情報局の上官から話を受けたのが、この日の午前中の早い時間だった。コスタルヴィッツ第18捕虜収容所での尋問要請が自分の恩師からの依頼であると聞き、彼はその時まとめていた報告書を夕方までに仕上げると、二人の部下を連れてすぐさまコスタルヴィッツに向かったのだった。


 首都サリューシュから列車を乗り継ぎ、約5時間かけてようやく辺境の小さな駅に到着した。プラットホームの大時計はもうすぐ0時を回ろうとしている。列車から降りた数人の乗客が、閑散として寒々しい構内を通って足早に散ってゆく。


 両手に大きいトランクを持った部下達を連れて、クルフは列車を降りた。ひとりの兵士が駆け寄ってきて姿勢を正した。


「クルフ大尉殿ですね。第18収容所からお迎えにあがりました。ご案内いたします」


 そう言って敬礼した兵士の言葉こそ丁寧なものだったが、ヘルメットの下のその目は抑え難い好奇心と疑念をありありと浮かべてクルフに注がれている。

 初対面の人間が彼の容貌を目にして必ずといっていいほど示す反応に、クルフは未だに慣れることがなかった。彼は兵士に鋭い一瞥を投げると、黙ったまま軽く答礼した。


 兵士に案内され、駅前の停車場に横付けされていた車に乗り込んだ。

 発車した車はゆっくりと市街地を抜けて行く。夜も更けたこの時刻、明かりが灯る家はほとんど見られず、通りはしんと静まり返っている。絶え間なく空から落ちてくる粉雪が、日中踏みしめられて汚れた路上の雪をヴェールのように覆っていた。そんな中、タイヤに巻いたチェーンが立てる騒々しい音を通りに響かせて、車は進んでいった。


 不意に、家と家との間の細い路地から痩せた少年が現れた。汚れた薄手の上着をはおり、腕に何かを抱え、寒そうに背を丸めて雪道を足早に歩いてゆく。

 その姿がクルフの目に入ったのは、ほんの僅かな時間だった。しかし、反射的に彼は目を逸らしていた。


 貧困の中で日々を送る子供の姿など、この時世では珍しくもない。だがクルフにとっては、骨にまで染み入るような冬の夜の寒さや、飢えのために絶えずちくちくと痛む胃の不快感など、自分ではもう忘れたと思い込んでいた記憶を鮮明に甦らせる光景だった。


「大尉はコスタルヴィッツにいらっしゃったことはありますか?」


 唐突に声をかけられ、クルフは我に返った。助手席に座っているライヒェル伍長が、窮屈そうに座席に収めていた骨太のがっしりした体躯をねじってこちらを見ている。


「いいや、初めてだ」


 クルフが答えると、ライヒェルは頷いて口を開いた。


「私は小さい頃、この近くの小さな村に住んでいたので、親に連れられて何回か夏に来たことがありました。大きい湖があるんです。水浴びや舟遊びもできて、避暑にはうってつけのところですよ。今が冬なのが残念です――」


 ライヒェルの話で、クルフは、見るからに単純で善良そうな風体をしたこの若者がコスタルヴィッツの東側に広がる酪農地帯、マイデン地方の農村の出身であることを思い出した。

 地元の訛りが抜けきらない言葉で、ライヒェルは得意気に解説を始めた。列車の中で仮眠をとって頭が冴えたせいか、馴染みの土地を訪れた高揚感からか、妙に陽気な様子で喋っている。

 後部座席でクルフの隣に座っているヴェスカーリク軍曹は、お喋りな後輩に多少辟易した表情を浮かべながらも黙っている。


 クルフはライヒェルの無駄話を遮ろうとしたが、ふと思い直した。内容が何であれ、手持ちの情報が多いに越したことはない。彼は適当に相槌を打ちながら、この辺りの土地に多少は詳しいらしいライヒェルの話から、コスタルヴィッツについての簡単な知識を記憶に留めた。


「ほら、あそこです」


 ライヒェルが窓の外を指さした。


「湖が見えてきましたよ」


 目を移すと、湖は夜闇の中でほの白く発光したように見える一面の雪原の中に黒々と横たわっていた。

 その光景に視線を向けたまま、クルフは言った。


「到着して準備を終えたら、しばらくは時間が空くだろう。散策したければ行ってきたらいい」


 事務的な口調だったが、ライヒェルは気にする様子もなく、その小さな灰色の目を細めて嬉しそうに礼を言った。

 ライヒェルとヴェスカーリクとは1年ほど前から共に任務をこなすようになったが、当初はクルフの冷淡な態度と言葉に戸惑いと不快感を示していた二人も、今はもう自分たちの上官は単にこういう性格の人間だと割り切ったようで、彼らなりに適度な距離を置いて接しているようだった。


 やがて車は鉄条網で囲われた敷地沿いを走り始めた。ゲートをくぐり、緩い傾斜を上ってゆく。左手には、簡素な造りの細長いバラックが整然と並んでいるのが見えた。監視塔から発せられる探照灯の光と自分たちが乗った車以外、この広大な敷地の中で動いているものはなかった。


 しばらく行くと、車は立派な建物の前に横付けされた。

 中央にせり出した車寄せの廂の下で、外套や手袋に身を包み、外気の冷たさに体をすくめるようにして若い士官が一人待機していた。後部座席のドアを開け、降りてきたクルフに向かって敬礼したその士官は、クルフと目が合うとはっとした表情になったが、その驚きはすぐに礼儀正しい柔和な笑みに隠された。三人の来客に対し、寒さに口元が強張ったようなぎこちない口調だったが丁重な物腰で言った。


「大尉はこちらへどうぞ。所長がお待ちです。お連れのお二方はこのまま車で兵舎までご案内します」


 クルフは促されて玄関ホールに足を踏み入れた。

 夜も更けたこの時間、建物内は深閑として、ひんやりとした空気に包まれている。

 真夜中の最小限の灯りの中でも、目の前に開けた広い空間と高い天井が重厚に造りこまれていることが窺えた。

 開け放たれたままのドアから見える左右の大広間には、この邸宅には不釣り合いな簡素な机が幾つも並んでいた。どの机にも書類が積まれている。立派な大広間も、日中にはこの収容所内の総務を取り仕切る事務室となっているようだった。


 士官はクルフのトランクを取ると、明るい眼差しを向けて挨拶を述べた。


「遠いところをようこそお越しくださいました。シュトフ所長の副官を務めておりますサバルディク少尉です。二階にお部屋をご用意してありますので、何かありましたらどうぞご遠慮なく私にお申し付けください」


 サバルディクは、まずクルフを部屋に案内して荷物を置いた後、すぐにシュトフの居室に案内する旨を説明した。そして恐縮した様子で、「長旅でお疲れのところ、休息の時間を十分お取りすることができずに申し訳ありません」と詫びた。

 決して垢抜けているとは言えないが、穏やかな口調で話し、そつのない適切な気配りを感じさせるこの青年を、シュトフは有能な副官として重用しているのだろうとクルフには想像できた。


 サバルディクに先導されてホール奥の階段を上る。廊下を進む二人分の靴音だけが空気を揺らしていた。既に灯りは落とされ、常夜灯だけが灯る廊下は薄暗い。

 だが、僅かな明かりの中でも、足元に寄せ木模様に張られた無垢の床材が艶やかな深い色合いに磨きこまれて光っているのが見えた。腰壁や天井の回り縁、各部屋のドアなど、内装に上質な木材がふんだんに使われているせいか、空間に冷ややかなよそよそしさはなく、控えめで上品な優雅さが感じられた。


 案内された部屋のドアが開かれると、炎の燃える暖炉の前のソファーにシュトフの姿が見えた。シュトフは読んでいた本から顔を上げ、掛けていた老眼鏡を外すと、顔を綻ばせて立ち上がった。


「ご無沙汰しています、シュトフ中佐」

「久しぶりだな、ヨヴル。何年ぶりだ?」


 シュトフは昔と変わらず、クルフを名前で呼んだ。


「5年です。中佐が中央情報局からこちらに異動されて以来ですから。いつまた中央に戻っておいでになるのか、待っている者も少なくありませんよ」

「私はもう現役引退だよ。それにここはなかなか居心地がいい。どうだ――」


 シュトフは優美な部屋をぐるりと手で示して冗談めかした口調で続けた。


「貴族のような気分を毎日味わえるなんて贅沢じゃないか?」

「確かに」


 クルフは頷いて続けた。


「局を離れる時には、駆け引きの日常を離れてゆっくりしたいとおっしゃっていましたが……中佐から直接私に声がかかったことを考えると、安穏な日々を自ら進んでわざわざ忙しくされているようにも思いますが」


 そう言ってクルフは揶揄するように微笑んだ。シュトフは肩をすくめた。


「長年の習癖はなかなか抜けん」


 自嘲気味に笑うシュトフは、クルフの記憶にあった姿に比べると随分歳をとったように見えた。もともと淡い色合いだった金髪はほとんど色が抜け、目元や口元に刻まれた皺も深くなったようだった。


「まあ、座れ。ワインでもどうだ」


 そう言って、シュトフがソファーの前のセンターテーブルに置かれた白ワインを示した。薄いオリーブグリーン色をした瓶の中身はちょうどグラス1杯分ほど減っていた。

 クルフは、シュトフが一日の仕事の全てを終えてベッドに入る前に、軽めの白ワインを飲みながら本を読むのを昔からの習慣にしていたことを思い出した。


 シュトフがグラスをもう1脚持ってこようとしたので、クルフはやんわりと制した。


「せっかくですが、この後すぐにも尋問を始めたいと思いますので。今回の対象について教えていただけますか」

「相変わらずだな」


 シュトフは笑って頼もしげにクルフを見たが、その薄い青灰色の瞳がすっと鋭くなった。現場を離れて久しいにもかかわらず、その表情が情報局に勤務していた頃と全く変わっていないことに、クルフは改めて畏敬の眼差しを向けた。


「この捕虜だ。これは大した参考にはならんが――」


 シュトフは言いながら、薄い紙を差し出した。


「戦闘が行われた場所を考えると、アーナウもしくはミルトホフ攻略のための前哨とも考えられる」


 それだけ聞けば十分だった。クルフは捕虜2名の氏名と生年月日などが記されているだけの書類にさっと目を通し、頷いた。


「どの都市の攻略を前提にしているのか、この将校にあたるのですね――分かりました。すぐに始めたいと思います」


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