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第38話 思惑

 クルフは強風が吹きすさぶ中、コートの襟を立て制帽を目深に被り、足早に管理棟に向かっていた。士官用の食堂からは歩いて5分もかからない距離だが、食事をして温まったと思ったのも束の間、細かい雪混じりの凍てついた風に吹きさらされて、思わず身震いする。


 ふと見ると、炊事場の入り口に幌付きの軍用トラックが横付けされ、数人の兵士たちが外に並べられた大鍋を積み込もうとしていた。森林の中で伐採作業にあたっている捕虜に昼食の配給を届けに行くのだろう。


 頬を弄る風が、日ごとに冷たさを増しているように感じる。

 これから気温はますます下がり、国全体を長く厳しい冬が覆い尽くしてゆく。雲が晴れることは滅多になく、半年近くも続く冬の間、じっと息を潜め風雪を耐えて暮らす。厚い雲間から太陽の光が差し込み雪原を眩しいほどに照らし出した時、微かな春の兆しを実感してようやく息をつくことができるのだ。


 管理棟に着くと、クルフは車寄せのひさしの下で雪を軽く払い落し、中に入った。

 玄関を入ってすぐのホールでは、所内の事務処理を担当する将校や下士官らがちらほらと行き来している。事務室となっている左右の大広間からは談笑する声が聞こえ、食後の休憩時間らしい気怠けだるい雰囲気が漂っていた。


 ホール中央の階段を上がろうとして顔を上げると、下りてくるヴェスカーリクの姿が目に入った。処置具を入れている小振りの鞄を下げている。捕虜の様子を確認してきたところのようだった。


 ちょうどいい――クルフはヴェスカーリクに声をかけた。


「軍曹、少しいいか。処置官としての見解を聞きたい」


 部下を伴い執務室に戻ったクルフは、コートと制帽をポールハンガーに掛け、執務机に寄りかかったまま内ポケットから煙草の箱を取り出し、一本抜き取った。


「対象の状態はどうだ」

「怪我の治癒にはしばらくかかりますが、熱は下がりつつありますし、最低限の体力は戻ってきていると思います」


 ヴェスカーリクは淡々とした態度で、クルフの問いに澱みなく答えた。

 クルフは火を点けた煙草を一息吸い込むと、指に挟んで軽く頷いた。


「いつ頃なら地下に戻せそうだ?」

「それはどう扱うかによります。心理的に圧力をかけるだけなら、今すぐにでも。ただ、身体的なものも加えるとなると、体が持ちこたえるのは難しいでしょう」


 吹き付ける風に、背後の窓枠が軋んだ音を立てている。


「もうひとりはどうしている」

「今のところ体調に変わりはありません。最低限必要なものは与えています」


 クルフは制服の袖口をちらっとめくり、腕時計に目をやった。時間は午後1時を過ぎようとしていた。リーベンは寝室で食事を終えた頃だろう。空腹が満たされると警戒心が緩むものだ。様子を窺うには悪くない時だった。


 ヴェスカーリクを下がらせ、まだ火を点けたばかりの煙草を灰皿に押し付けて丁寧に揉み消すと、長い廊下の奥にある寝室に向かった。


 これまでに受けた拷問によって、リーベンは相当な恐怖心を――それを表に出すかどうかは関係なく――刻み付けられているはずだ。寝室に移され拷問を免れたと安堵しているところで再び地下に連れ込み、脅しをかけて態度を崩すことができそうかどうか、そしてその脅迫が最も効果的に作用するタイミングがいつかを見極める必要がある。


 部屋に入ると、リーベンはいつものように入り口を向いた格好でベッドに横になっていた。肩まで掛けた布団から両方の掌を出し、指をゆっくりとぎこちなく曲げ伸ばししながらじっと見入っている。


「どうしましたか?」


 弾かれたように目を上げたリーベンは、クルフを認めるとその表情を硬くして口を開きかけた。

 クルフはさっと片手を上げて制し、なだめるように言った。


「何度も言っていますが、ダルトン軍曹に対してもそれなりの扱いをしています。ご心配には及びません」


 それを聞いたリーベンが目をみはる。驚いた様子でしばらくクルフを見つめていたが、やがて微かに苦笑を見せて諦めたように呟いた。


「……さすがだな」

「これほど分かりやすい例はそうありませんから」


 クルフがそう言うと、リーベンは力なくまた少し笑い、目を伏せた。

 ベッド脇の丸テーブルの元にある小椅子を引き寄せて腰掛け、改めてクルフは訊ねた。


「手が、どうかしましたか」

「いや――」


 いったん言葉を濁しかけたリーベンは、しかし、吐息混じりに続けた。


「息子の誕生日の贈り物を、まだ完成させていなかったと思ってね」

「手作りですか」

「ああ……」


 もう一度自分の手に視線を落とした後、ためらいを残しながらもぽつぽつと言葉を続けた。


「毎年、木彫りで小さな動物を幾つか作って送っているんだ。リッコフの駐屯地のそばには森があって、自分の国では見られない種類の鳥や動物を目にすることがある。それを覚えておいて、時間のある時に形にするんだ」


 クルフは穏やかな態度を見せて相槌を打った。


「随分と手の込んだ物ですね。お子さんは喜ぶでしょう」


 その言葉に、リーベンはふっと遠い目をして笑みを浮かべた。


「それが届くと、図鑑を引っ張り出してきて一生懸命に名前を調べるそうだ。そんなにうまい造りでもないから、見つけるのは大変だろうに――」


 妻からの手紙にしたためられていたのであろう。リーベンはその光景を慈しむように穏やかな眼差しをしていた。


「お子さんは幾つに?」

「来月で――いや……もう、そうなのかな――12月で6歳だ」


 そう答えたリーベンの表情から、まるで渇いた砂に水が染みこむように、すうっと微笑みが消えた。

 クルフの耳に、独り言のような小さな呟きが聞こえた。


「6年か……。ほとんど一緒にいてやれなかったな……」


 クルフは敢えて何も言わなかった。「自白すれば故郷くにに帰れる」という懐柔の言葉は、今は必要ないものだった。そのことはリーベン自身が一番よく承知しているはずだ。そして、承知していても、自白することを許さない自分自身の今後に対する諦めが、その口調には色濃く滲んでいた。


 今の状況で圧力をかけても、死に対する恐怖で口を割る可能性は限りなく低いだろう――。


 クルフは頭の中でそう結論付けた。


 部屋にはしばらく沈黙が流れた。


 二人が話している間、脇の方で静かに自分の仕事をしていたイリーエナが、遠慮がちに声をかけてきた。食器を片付けるために少し部屋をあけたいという断りだった。

 クルフが了承すると、彼女は窓辺に行き、閉じられたカーテンを手で僅かに開いて外の様子を窺った。そして足早に戻ってくると、厚手のコートを着込んでショールで頭と首元をしっかりと覆い、部屋を出て行った。使い終わった食器は炊事場まで戻しに行くことになっているのだった。手に下げた籠の中でブリキの食器がぶつかり合う音が、ドアの向こうで次第に小さくなっていった。


 部屋に二人きりになると、クルフは新しい煙草を取り出して火をつけながら、黙り込んだままのリーベンに訊ねた。


「どうですか、彼女は」


 気を取り直したように、リーベンは目を上げた。口を開きかけた時、傷ついた肺にうっかり煙草の煙を吸い込んでしまったようで、酷く顔をしかめてしばらく咳き込んでいたが、ようやく落ち着いてくると、喉をゼイゼイと鳴らしながらも律儀に答えた。


「良くしてもらっている。ただ――気のせいか、怯えているように見えるんだが」

「そうですか?――ああ、そうかもしれませんね」


 クルフは心当たりを思い出した。


「彼女には、あなたが素手で人を殺せるほどだから気を付けるようにと、最初に注意しましたから」


 そう言うと、クルフはリーベンに非難の眼差しを向けられた。


「あえてそう言ったんだな。俺が今、腕も満足に動かせないことくらい君もよく知っているだろうに。そもそも俺は、女性に乱暴なことをするつもりなんて最初から微塵もない」


 それを聞いてクルフはうっすらと笑った。


「用心に越したことはありません。今度は彼女の頭をかち割られでもしたら困りますからね」


 リーベンは溜め息をついて微かに頭を振った。


「――彼女の名前を教えてもらえないか? 何かを頼みたい時に、どう呼びかけたらいいか、いつも困るんだ」


 クルフは一瞬、名前を教えることで不都合な問題が出てくるだろうかと逡巡したが、すぐに、大した影響はないだろうと判断した。


「イリーエナです」

「敬称は? 何か――女性を呼ぶ時の……」

「彼女は未婚でしょうから、姓の前に『フシュカ』をつけます」

「そうか――フシュカ・イリーエナ……」


 リーベンは何度か口の中で繰り返し、クルフに穏やかな笑みを向けた。


「これで少しは緊張がほぐれてくれるといいんだが」


 クルフも僅かに口元を上げ、笑顔を返した。


 ――そう、そしてそのくつろいだ雰囲気が、再びリーベンに生への期待を抱かせることになるだろう。その時こそ、自白を促す最大の好機だ――。


 幾分の親しみを含ませた表情の下で、クルフは冷たい嗤いを浮かべた。



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