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第21話 焦燥

「一体こんなことってありますか!? 一人の人間が忽然と消えちまうなんて!」


 粗末な端材で作られた一本の松葉杖を前に、ダルトンは声を荒げていた。

 軍医のエカートと若い衛生兵のミラーは、確かに見覚えのある品物を見下ろしたまま陰鬱な表情で押し黙っている。


 リーベンの姿が見えなくなって、今日でもう3日経つ。

 3日前の夜、ダルトンが当直で医務室に泊まり込んでいる時だった。夜中にひとりの入院患者の容体が急変した。軍医のエカートと共に慌ただしく対応に当たり、処置を終えて汚れた器具類を洗いに外の洗い場に出た。

 30分ほどして室内に戻ってみると、リーベンのベッドは空で、毛布は起きぬけにめくられたままのような状態だった。


 また尋問に連れ出されたのか――そう思って溜め息をついた――きっと5、6時間経ってから、疲れ切った様子で戻ってくることだろう。


 だが、朝が来ても、昼になっても、リーベンが戻ることはなかった。

 時間と共に、ダルトンの中の漠然とした不安は膨れ上がっていった。


 そして3日目の今日、仲間の一人が松葉杖を持って医務室にやってきたのだ。

 収容所の北の隅に設けられたゴミの集積場で、何かめぼしいものがないかと物色していた時に、投げ捨ててあったものを見つけたということだった。

 「誰か足の悪い患者がいたら使ってくれ」とその男は言って松葉杖を置いていったのだが、それを見たダルトンもミラーも慄然となった。それはまさに、リーベンのために自分たちが用意したものだったのだ。


「絶対に何かあったに決まってる。松葉杖を放り出して出かけるはずがない……何か――何か、今までと違うことが……」

「少し落ち着いたほうがいい、軍曹」


 居ても立ってもいられずそわそわと歩き回るダルトンを見て、エカートが口を開いた。慎重に言葉を選ぶようにして、溜め息交じりに続ける。 


「残念だが、突然誰かがいなくなるなんてことは、ここではそう珍しいことじゃない。君だって先日経験しただろう――絶望してひっそりと雪の中に横たわる人間だっているんだ……」


 (はな)から完全に希望を放棄しているその意見に、ダルトンはむきになって即座に反論した。


「でも、今あいつが自殺しようと思う理由なんてないんです! それに、姿がなくても騒ぎにならない。点呼の時に人数が足りなくても何もなかった。食事が減量されることもない――何もかもいつもと変わらない。つまり、彼らは一人欠員を承知してるんだ。デイヴは尋問を受けていると言っていたんです。きっとどこかに連れ去られたに決まってる……」

「そうだとしたら、なおさら我々にはお手上げだよ。どうすることもできない」


 事なかれ主義を貫こうとするようにも思えるエカートの態度と、何の策も思い当たらない自分への歯がゆさと焦燥に、とうとうダルトンは苛立ちも露わに叫んだ。


「国際法はどうなってるんだ! 捕虜待遇条約は!? こんなの完全な違反ですよ。あの尋問官に掛け合って、デイヴの消息を確かめてきます――」

「落ち着くんだ、ダルトン軍曹」


 喚きたてるダルトンを辛抱強い抑えた声音で制して、壮年の軍医は噛んで含めるように続ける。


「彼らが法律や条約を遵守しようと意識しているのなら、そもそもリーベン少佐をむやみに歩かせるようなことはしない。安静が必要な栄養失調の人間を、『作業可』の一声で凍りついた森に送ったりもしない。そうじゃないか?」


 まさしくそのとおりだった。反駁する余地のない意見に、ダルトンは言葉に詰まった。


「頼むから無謀な行動だけは控えてほしい。君が言ったとおり、少佐が失踪してから今日まで、我々の扱いにはまったく変化がない。だがもし、こちらが何らかの行動を起こしたことによって、今のこの状況よりも悪い方へと大きく傾くことになれば――君も分かるだろう、軍曹?」

「じゃあ、あいつを見捨てろって言うんですか」


 ダルトンは歯噛みして唸った。


「気持は私にもよく分かる。君にとって大切な友人だ。私だって彼の身を案じてる。だが、この収容所にいる同胞の健康と命はどうなる? 皆をみすみす困難な状況に追い込む訳にはいかない。監視兵お得意の『連帯責任』とやらでこれ以上死人を増やしたくはないし、何より私も頼りになる助手を失いたくない。だからどうか迂闊な行動は控えてくれ。いいね?」


 あくまでも慎重で消極的な軍医の言葉は気に入らなかった。

 だが、ダルトンも理屈の分からない子どもではない。決してエカートが非情な訳なのではなく、後ろ向きの考えに凝り固まっているということでもないのだ。

 自分一人の思い切った行動が、多くの仲間たちの命を危険にさらすことになりかねないことは簡単に想像できる。


「――分かりました」


 ダルトンは渋々頷いた。

 エカートは安堵とも諦めともつきかねる溜め息をひとつつき、ダルトンの肩を叩くと部屋を出て行った。

 軍医の横でずっと黙っていたミラーも、ダルトンに同情するような眼差しを向けたが、結局無言のまま仕事に戻っていった。


 ダルトンはやるせない思いで窓の外に目を転じた。


 粉雪が舞う中、鉄条網に囲まれた広場の一角には、昼の配給を待つ列ができ始めていた。

 その向こうから、炊事兵が二人がかりでひとつの大きな寸胴鍋を重そうに運んでくるのが見えた。鍋からはもうもうと湯気が立ち上っている。その様子だけを見れば、つい温かな美味い食事を期待してしまうのが心情だが、実のところはいつもと変わり映えのしない、切れ端のような野菜と、それよりももっと小さい肉が申し訳程度に浮かんだ、味の薄いスープなのだ。そして、温かいスープも冷え切ったブリキの器に盛られれば、かじかんだ手を温める間もなく冷たくなってしまうのだった。

 しかし、たとえ水のように薄いスープであっても、もし打ち切られてしまったら――。


 ダルトンは、机の上に置かれた松葉杖に目を戻した。


 デイヴ、一体どこにいるんだよ。どうしたらお前の安否が分かるんだ?


 必死に自問するが、答えが見つかるものでもない。不安と焦りが増すばかりだった。




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