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第11話 有利なカード

 火を点けたばかりの煙草の先からゆっくりと紫煙が立ち昇ってゆく。

 その様を目でたどりながら、クルフは一息大きく煙を吐き出した。


 執務室の中ほどには、これまでと同じようにリーベンが座っていた。

 しかし今は、眉をしかめ、険しい表情をしている。じっと痛みをこらえているようだった。尋問のために頻繁に呼び出される度に、本来であれば車椅子を使うような怪我にもかかわらず、雪の中、徒歩でバラックと管理棟を往復させられている。足の傷の痛みはかなり激しくなっているはずだった。

 だがリーベンは沈黙したまま、不平を訴えるでもなく静かに椅子に座っていた。


 クルフは煙草をふかしながら目の前の捕虜の様子をしばらく観察していたが、その態度に苛立ちや怒り、不安といった感情の変化が現れないのを見て取ると、ようやく口を開いた。


「あなたはなかなか状況への適応力が高いようですね。こちらとしては好感が持てます」

「――どういうことか分からないが」


 固い口調でリーベンが問い返す。


「よくいるのですよ。尋問に際して、待遇が悪いだの条約違反だのと声高に主張する人間が。その点で、あなたからは全くそういう言葉を聞かない」

「そもそも君らは初めから条約を順守するつもりがないから、怪我人であってもこういう扱いになるんだろう? そこにあえて反駁して余計な労力を費やすつもりはない」


 リーベンは淡々と言った。

 クルフはその合理的な思考に満足してにっこりと笑みを浮かべた。


「それが、適応力が高いということです。適応力というのは、生き延びるための最大の強みでもあります」


 そう応じると、まだ長く残っている煙草を念入りに灰皿に押し付けて立ち上がり、座っているリーベンの脇まで歩みを進めた。

 腿の上に置かれた左手の薬指に、銀色の指輪が嵌められているのが目に入った。細かい疵に覆われ、すっかり艶をなくしている指輪からは、結婚してからの年月と、彼の任務の激しさが窺えた。


「結婚しておいででしたね――。奥様は、毎日あなたの無事を祈っておられることでしょう。夫が捕虜になったと知らせを受けた時の心痛は察するに余りある。お気の毒なことです」


 最愛の者の話を持ち出してみても、リーベンは表情を動かさず前方に視線を向けたままだった。

 クルフは構わず続けた。


「この収容所にいるあなたの同胞で、長い者ではもう何年になるのか、一度訊ねてみられるといい。いつ故郷に戻れるのか、1年後なのか5年後なのか、それとも10年後なのか――それは誰にも分かりません。我々にさえ分からないことです。期待の持ちようがない中で、異国の地で閉ざされた日々を送らねばなりません。自分の家族が、妻や子が、恋人が一体どうしているのか、待っていてくれているのか、それとも自分には見切りをつけて新しい生活を始めているのか――月日とともに希望よりも不安の方がまさってくるのです……」


 クルフはリーベンの傍らを離れると窓辺に立ち、結露して曇っているガラスを指で軽く拭った。僅かに開けた視界の中で、見渡す限りの白い世界に目を向ける。


「この国で生活を送る上での最大の困難は、何といっても冬です。どの収容所でも毎年、冬を越せない者が数多く出ます。食糧事情や衛生状態の悪さがその主な原因であることは認めましょう。しかし、一番の要因は――先の見えない収容生活に、未来への希望を失うことなのです」


 ゆっくりと振り返ると、真正面からリーベンの視線を捉えた。焦茶色の瞳が少しの動揺もなくクルフを見返している。


「ですが、あなたは幸いなことに、非常に有利なカードをお持ちだ。いずれは捕虜交換なり帰還なりの話が出てくることでしょう。そうなれば、帰国者名簿の欄を埋めてゆくのは、我々に協力的だった者からになるはずです」


 クルフはいっとき間を置いた。リーベンが僅かに警戒するような眼差しを向ける。


「リーベン少佐、賢明なあなたになら理解していただけると信じていますが、ここで協力していただけるのなら、あなたの名前をその名簿の第1番目に載せることができるのです」


 黙って話を聞いていたリーベンの眉があからさまにひそめられ、その表情に不快そうな色が浮かんだ。

 口を開きかけた相手を目で制して、クルフはひとことひとことゆっくりと言い聞かせるように続けた。


「先ほど私は、あなたは適応力が高いと申し上げましたが、ここではぜひその能力を最大限に活用していただきたいものです」


 そう言って、しばらくリーベンを注視した後、口調を和らげた。


「少し時間を置きましょう。一度よく考えてみてください。ただし――」


 言葉を区切ると、噛んで含めるように付け加える。


「あなたのカードには長くない有効期限がありますから、それをお忘れないように」


 リーベンは頑なな表情で口を噤んだままだった。

 クルフは廊下に待機しているライヒェルとヴェスカーリクを呼び入れ、捕虜をバラックに戻すように命じた。


 執務室に一人きりになると、胸ポケットから新しい煙草を取り出し、火を点けた。軽く振り消したマッチの燃え差しの先から延びる細い煙が、宙に緩い曲線を描く。


 今回もリーベンの態度は揺らぐことがなかった。だが、有用な情報が何ら得られなくても、クルフは焦らなかった。

 まずは相手に自分の置かれた状況を理解させる。そして、場合によっては現在の状況よりも恵まれた立場になれるという可能性をしっかりと刻み付けておく。今はその段階だ。


 ただし、今回はあまり悠長に構えていることもできなかった。

 敵の部隊配置や兵站能力、既に終わった戦闘に関する詳細といったような、「既にあるもの」について尋問する時とは基本的に異なる。「今後起こること」の情報を得るに際しては、その正確さと同時に、何よりも迅速さが求められる。敵の背後を突くための周到な戦略を練り、兵力を配備する時間を確保しなければならないからだった。


 ライヒェルとヴェスカーリクには早い時期に仕事をしてもらうことになりそうだ――。


 壁際の暖炉の中で燃えさかり揺らめく炎にじっと視線を注ぎながら、クルフは今後の尋問計画を綿密に組み立て始めていた。



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