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episode1-9

 屋上。

 黒髪の中年と、赤毛の壮年。

 叫んだのは、赤毛の方。しゃれこうべのように痩せ細った顔つきに、みすぼらしい無精ひげを点々とはやしている。

「その辺だ! 社会秩序を乱す殺人者は、断じて許さん!」

 背中の棍を槍のように構えると、

「虚無、在りて永劫在り」

 対話ではない。独白のようなものを口ずさみはじめた。

 呪文式の儀式起点。

 そう察した時、ルカ、テレサ、リナ、シーザー。誰もが、表情から色を失った。

 わざわざ呪文を口にするのは、大がかりなメカニズムの儀式を執行する際の手法だ。

 最初の辺りに紡いだ儀式イメージを頭の中に保持する為に、自分の詠唱という“音声”を利用し“実感”を強いまま維持する。

 それが、高い降臨規模の維持につながる。

「永劫在りて、光輝在り」

 凄まじい奇跡的副次(ノイズ)光が、屋上の二人組を隠した。

 夕焼けにたぎる雲さえも、一・六キロメートル四方に渡って漂白されるほどだ。

「え、ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、あの人、いったいなにを!?」

 テレサが、狼狽の声をあげた。

 奇跡そのものではなく、奇跡降臨に伴うノイズ的現象でこの光量。

 そんな降臨規模の儀式を単独でやってのけ、こんな町中で降ろそうとは。

「何をして居る!? 直ちに儀式行為を中断せよ!」

 赤毛は、聞く素振りを見せない。

「光輝は全を生み、全は全を虚無に還す」

「降臨点、凡そ四時方向と予測。降臨規模――恐らく、八〇〇〇超過。皆さん、散開して下さい」

 リナの指示に、ルカとテレサ、シーザーも脊髄反射で従った。

 蜘蛛の子を散らすように各々に退避し、抱えきれるだけの人間を突き飛ばし、かばった。

「無常、万象の輪廻を此処に」

 光が、飽和。

 赤毛壮年がかざした棍の先から、何らかの波動が伝播するのは辛うじて見えた。

 大気が急速に加熱される。炙られた肌に、鈍い熱と痛みがくすぶる。

 体感、六〇度超。という事は、少なくとも自分には直撃しなかったのだな、とルカは理解。

 同時に、そこから予測される降臨規模を弾き出して、背筋が凍る。リナの推測は、おそらく正しい。

 建物の骨組みが熔解し、自重で崩壊する轟音。

 それも、一軒や二軒では無い合奏と化している。

 ルカは、自らへの儀式医療を脳内で組み立て、“天”へと提出した。

 視神経を奮起させ、眩んだ視界を強制的に復帰。

 振り返ると、パン屋と、何かの事務所、その奥のあらゆる物が、焼け落ちていた。

 火が延焼を起こしはじめている。

 赤毛の青年が、杖がわりにした棍の先から、およそ五〇メートルに渡る直線上が、甚大な熱エネルギーにひと撫でされた。

 光波の端をかすめた路面はマグマのようにくすぶり、降臨点の射線上に存在した車は焦げて歪んだ金属枠の残骸と化し、逃げ遅れた人々は消し炭か、よくて一握りの生焼け肉になっていた。

 誰も、声さえあげられなかった。

 戦場で口にのぼる“儀式戦術”など比ではない。個人が運用するには規格外の“儀式戦略”と称するべき威力だ。

 その、稀代の武力を見せつけられてなお、ルカは走った。あの赤毛の懐へと近づく為に。

 二度目を、降ろさせるわけにはいかない。

 先の競合種戦以来、原因不明の祝福不良に見舞われた身。その鈍重さがもどかしい。

 ただでさえ言う事を聞かない身体に、ハイドランジアМ96軍用剣を帯剣しているのだ。

 だがそんな些事を理由に、見過ごす事は出来ない。

 祝福に頼れないのであれば、物理的に鍛えた己の肉に頼るのみ。

 建物に飛びついた。

 窓やベランダ、雨どい。およそ掴みどころと言える部分をつかみ、踏み、猿のように滑らかな挙動で上へと突き進む。

「僕の目が黒いうちは容赦はせんッ!」

 赤毛が叫び、また棍を振りかざしたようだ。

 今度は、呪文すら無い。

 無数の可視光線が雨のように降り注いだ。

 阿鼻叫喚の悲鳴。

 先のような極端な規模では無いものの、一本一本が、一人の人間を終わらせるのに充分な憎悪をはらんでいる。

 まともに浴びてしまった犠牲者達の皮膚が沸騰し、血しぶきがあちこちで破裂する。

 もはや無差別殺人だ。

 ルカは、奥歯が砕けんばかりに歯ぎしりをする。

 三階、四階、五階。地上で、水風船の割れるような音と、老若男女の泣き叫ぶ声が乱舞している。

如何(どう)して、この様に残虐な事が出来る! どうしてッ!」

 屋上へ飛び上がったルカが、相手の顔をまともに確認する前から怒号を叫んだ。

「どうしてって……君は正気か!」

 赤毛の男が、悪びれずにルカへと返した。

「何だと!?」

「僕が今消した奴らは、全員、殺人犯だったかもしれない。消さねばならない。討議するまでも無いだろう!」

 それなりの歳を重ねてきたであろう男が、年相応の語彙力のまま、男児のごとき駄々を叫ぶ。

 その表情から、本心はうかがえない。

 また、赤毛の傍らに立つ、黒髪の中年男は黙して語らず。

「莫迦な、何の確証があって」

「確証? そんなもの、必要ない。奴らは死ぬしかない」

「必要ない……だと? 貴様、自分が何人の人間を殺したと思って居る!?」

「人間とは、どれを指す? 悪人だったかもしれないやつに、人権は無い」

「今、貴様によって死んだ人間にも、それぞれの人生があった! 家族も居ただろう! 友人も居ただろう! それを理不尽に奪って、何も感じないと言うのか!」

「奴らによって、それを奪われた者達の無念、無視するつもりか?」

 ルカは、めまいを覚えそうになるのを、激情に任せて踏みとどまった。

 もはや、この狂人には人語が通じない。

「貴様を殺人の現行犯で逮捕する。名を名乗れ」

「名前? 僕は“ただのマイケル”でしかない」

「姓名を正確に名乗れ。拒否するならば、それ(まで)だ」

 命じながらルカは、二人組に視線を巡らせる。

 赤毛の男が起こす奇跡については、嫌という程に思い知らされた。

 もはや都市破壊級に相当する儀式戦略の執行者。おそらく、ウツソン・レコードの人間部門で、上位を占めている人物だろう。

 “最強戦士”ケリー・ロスや“全知全能”のダニー・フライ枢機卿には及ばないまでも。

 あの書籍で有名であるが故に、本人を目の前にして記憶が消えたのだとしたら、辻褄もあう。

 つまり、個体性能として、自分ごときとは絶望的な戦力差があると思わねばならないと考えた。

 まして今は、剣をろくに振るえない身である。

 だがそれ以上に。

 ただのマイケルを称する男の隣に立つ中年男が気にかかる。

 波打つ黒髪を左右でわけた、歳の割に軽薄そうな身なりの男。

 顔に刻まれた皺を誇示するかのように、深い笑みを浮かべている。

 棍を持つマイケルは、まだそれなりに近接戦闘の型も予測できるが、徒手空拳の中年男に関しては、その無防備さが、かえって不気味を放出している。

 両手の全てにはめられた指輪が、禍々しくぎらついている。

 一つ一つ、宝石の色が違う。

 儀式起点か、祭具か。

「僕は、ただのマイケルだ。それ以上の価値を付加するのは傲慢以外の何ものでもないと知っている」

「終わりだ。貴様は最寄りの署まで、連行する。其処(そこ)の貴方も、同行して頂くぞ」

「僕らが? なぜだ、僕らは善良な市民だぞ」

「従わない場合、実力行使も辞さない」

 ルカは、剣は抜かず、軍用格闘術の構え。右手には、儀式起点のロザリオ。

「君は、人殺しの味方か……ッ!」

 マイケルの生暖かい憎悪が、右耳へ吹き掛けられた。

 側面への踏み込みを、目視は出来た。だが、ルカの身体がついていけない。

 儀式杖に見えた棍が、頭めがけて水平に襲う。

 ルカは祈る。

 青い閃光、放射。

 二つの要素が接触する因果を歪める。

 だが、ルカの頭部とマイケルの棍。

 両者に結ばれた因果は、ルカの祈りを超えて遥かに強かった。

 頭部右側面に衝撃。頸骨(けいこつ)が砕け、支柱を失った首がねじれる。

 左脇腹を薙がれる。

 胴体の中身が、余さずミンチになるのがわかる。

 右から脚を払われる。破砕。それだけ。

 この間、一秒未満。

 全身を完膚なきまでに挽き潰されたルカは、前のめりに倒れる。

 この男には、接近してはならない。

 桁違いの儀式戦略を見せつけられ、遠距離戦の専門家であると決めつけた、自らの落ち度。

 それを自覚した時には、もう遅かった。

 初撃で脳を潰すつもりだったのに。マイケルは、忌まわしげに棍を逆手に持ち替えた。

「君のような奴がいるから、世界は平和にならないんだ!」

 照準を、ルカの脳天に定め、

「だめ!」

 新たに建物を跳び上がって来た黒衣の女へと、警戒の対象を変えた。

 主力はこの女性の方か。マイケルは、職業柄――傭兵としての長いキャリアから――即時に判断した。

 武器は、無し。拳法か、軍隊格闘術の使い手か。

 密着戦では圧倒的に不利だが、裏を返せば、棍の間合いを維持すれば完封可能。

 光の速さで判断を下したマイケルは、背中が反り返りそうなほどに棍を振り上げ、下ろした。

 金属音、火花。

 無手だったはずのテレサの手中に、大鎌が忽然と顕れ、マイケルの棍を真正面から受け止めていた。

 テレサとマイケル、互いに数歩さがって、見つめあう。

W・Rウェイン・ルーズヴェルト社のP277対物大鎌!? 卑怯だぞ、騙したな!」

「鎌ですよ、鎌。こわいでしょう? やめましょう?」

 物々しい大鎌を見せびらかせ、テレサはマイケルを説得しにかかる。

 実際、今の一合も、攻めと受けの立場が逆であったなら、マイケルは無惨なブロック肉と化していてもおかしくなかった。

 建造物半壊級の対物長柄武器は、本来、人一人に対して振るう代物では無い。

 それを秘術でパッと出現させ、あまつさえ小剣のような気軽さで振り回して見せれば、ほぼ一〇〇パーセントの相手は腰を抜かし、戦意を全力投棄する。

 ほぼ一〇〇パーセントの相手は。

 テレサ、不意に目線を逸らしたかと思うと、鎌の柄で床を突いた。

「君は、僕を殺すのか?」

 惚けたような調子で、マイケルが問うと、テレサは慌てて彼に目線を戻し、

「ちがいます」

「本当に? 油断させるつもりではないのか?」

「ほんとに、ほんとです」

「本当にそうならば、僕がその武器に恐怖する理由は無い。

 嘘ならば……悪事に加担する者は、たとえ婦女子でも容赦しない」

 長口上の、次瞬。

 予備動作が見えなかった。

 マイケルは、あと一歩、棍が届かないはずの間合いから、降り下ろす。

テレサ、これをマイケルのミスとは見ず。

 防御面積を最大限にする為に、鎌の刃の部分を盾として掲げた。

 インパクト。

 棍の先端が曲が――否、棍だと思っていた棒は、二本の棒を鎖で繋げた歩兵式連接棍フットマンズ・フレイルだった。

 型式は、アンテス社のナッテリーM7030と見られる。

 継ぎ目をカモフラージュし、一本の棒に見せかけていたのだろう。

 柄との接合部を軸に超加速した

 穀物(からもの)が、ピラニアのごとく鎌刃の面に食らい付く。

 金属と金属の研磨音が、耳を突く。

 フレイルと鎌の接点から、赤熱した金属粉が無数に花開く。

 世界の重力全てが腕にかかったような圧力は、テレサをして押さえきれない。

 (いや)な音が、テレサの細腕を鳴らした。

 とっさに鎌を消し――否、質量を圧縮して、小型化。

 手のひらサイズになったウェイン・ルーズヴェルト大鎌は、しかし、その場に落ちた。

 遮る物が無くなったナッテリーМ7030歩兵フレイルは、未だに破滅的な威力を失う事なく。

 テレサの喉笛めがけて、伸びる。

 テレサは、動かなくなった両腕をだらりとさせながら、寸前で穀物を避けた。

 衝撃波が頬を打ち、鼓膜が破れる。

 その反動に乗るようにして、次に来た横凪ぎの打撃をかわした。

「全て見切るとは……素人では断じて無い。君は、悪人の共犯者の、そのまた共犯者と見た。

 見過ごすわけにはいかん」

「い、言ってることの意味がわかりませんよっ!」

 マイケルは、淡々とした足取りで、テレサを追い回す。

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