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episode1-8

 振り返って見ると、小柄な少女が居た。ハイスクールのブレザーを着用しているので、年の頃は十代後半だろう。

 黒髪を顎下ほどの高さに切りそろえている。

 面差しは、声に違わず、歳相応の幼さと歳不相応の冷たい知性が同居している。

「私は、リナ・キリエ・キシン。貴方の実妹です」

 初めて見るはずの顔が、そんな語句を紡いだ。

 まず、人種からして違う。

 リナと名乗るこの少女、どこをどう見ても東洋人だ。

 流暢な大陸公用語を操るが、ごく微細な訛りが聞き取れる。

 この発音は、極東の島国・和禰国(わねこく)のそれだろう。

 そんな少女が突然、実妹であると名乗ったところで、どこにも説得力がない。

 だが、ルカの関心は、そこにはなかった。

「待て、君、その、手に持って居る剣は」

 緩やかに湾曲した刀身が、ホオノキの鞘におさまっている。

 鮫皮を張り、帯状の紐を巻いたグリップと、円形の鍔。

 明らかにそれは“刀”と呼ばれるカテゴリーの戦闘用長剣だ。

 銘柄は、ベルッティ武装系列会社はベルッティ・ユニーク社、ジュー=ベイVer6.3

 未成年の少女はおろか、無免許の一般人が手にして良い刃渡りのそれでは無い。

「兄さんは、私がこれを携行する事を、過去に認めて居ます。また、段位のライセンスカードも持って居ますが、見ますか?」

「いや、段位とかそう言う以前にだな」

「んー……やっぱりこれ、類間(るいかん)系の応用儀式かな」

 テレサが、自信無さそうにつぶやいてから、

「って、ほんとだ! 女の子がそんな物騒なものもっちゃいけません!」

 ワンテンポずれた弾劾。絶望的に迫力がない。

「かと言って、ここに捨てる訳にも行かないでしょう? 通りすがりのテロリストにでも拾われたら事です」

「そ、そっか。

 でもそれ、ぜったいに抜かないでね? ぜったいに。

 おねーさんとの約束ですよ?」

「そんな事よりも、類間儀式がどうしましたか?」

「うん。これだけたくさんの人の記憶を変えさせちゃうっていうと、それしかないですよね?」

 いともあっさり丸め込まれたテレサが、ルカの顔を見上げて確認を求めてきた。

「確かにそうだ」

 現代儀式文明の前提として、人間や競合種自体を降臨点に奇跡を起こす事は出来ない。

 もちろん、脳も例外ではない。人が人の意識を変える事は、実質的に不可能である。

 一個の人間が個で在ろうとする自我は、祝福よりも根深い精神領域である。

 誰にでもある原始的な本能が、“天”で、他者からの直接的な干渉をブロックしてくれる。

 これは儀式医療にも言え、治癒や強化のように肉体の利益となる奇跡は通すが、心臓を止めさせるような害悪は、やはり現世に降臨する前に拒絶され、霧散する。

 しかし、裏を返せば、本能のプロテクトを潜り抜ければ、理論上は実現できる事も意味する。

 類間儀式という手法がある。

 似たもの同士は影響し合うという、人間の思い込みに着眼した土着の儀式論から発達した。

 人間の潜在意識にそれを“正しい”と思わせる事で、心の防壁を限定的に解除する切り口である。

 子に恵まれない女性が人形を世話する事で、懐妊の助けとした例がある。

 海草を食べる事を儀式起点とした育毛法も、これに当てはまる。海辺に打ち上げられたワカメの姿を、豊かな黒髪と関連付けるのである。

「わたしたち、ほんとは知りあってるけど忘れてる、って考えれば、つじつま、あいませんか?」

 実のところルカもまた、可能性はそれしか無いと考えつつあった。

「だが、儀式執行者は何処だ? 特に類間儀式であれば、催眠術や暗示等、対象者に物理的なアプローチを仕掛けなければならん」

「そんな怪しい人物に接触すれば、直ぐに気付く筈ですね」

 すっかり話の輪に入り込んだリナが言った。

「どうやら、五十秒余りも私達がこうして話して居られると言う事は、奇跡降臨後に知り合った者の事を忘れる可能性は低いようですから。

 少なくともこの五十秒は、ですが。」

 シーザーが、リナを正面に見据えた。

「あなた、ルカさんの妹さんでしたっけ」

 リナもまた、正面から受け立つ。

「そう言った筈ですが? 僅か一分前に」

 黒瞳から、極寒の視線が放出されているのを、肌で感じられた。

 シーザーは、ルカの広い背中に半身を隠し、リナからの盾にする。

「あなただけ、お兄さんの顔をしっかり覚えている。ルカさんのほうは、双子の兄弟っぽい人の事すら忘れてるのに」

「類間儀式の効きには、個人差が有る物でしょう。人間の思考と言うファジーな要素に干渉するのですから、実存を伴う工学的儀式戦術とは訳が違う」

「そう。そのファジーなはずの人の記憶、それもこんな大勢の人数に影響を与える儀式設計力は並ではありません。

 そんな中で、あなただけが、たまたま、ひとつも影響を受けなかった」

「貴方こそまるで、その儀式が万人に絶対の影響力を持つと、確信して居る様に見えますね。その根拠は何ですか?」

「僕らの仕事は、偶然というものをアテにしちゃいけないんですよ。

 そして、悪いやつは完璧なプランで行動しているとみなすものです」

 意外としっかりした考えも持った従士だ、と感心しかけたルカだが、状況は良くない。

 シーザーとリナ。お互い、態度こそ冷静だが、これでは他の市民や警官達と同じ轍を踏むだけだ。

 もっとも、シーザーの方がルカの背中に隠れたままなので、刀傷沙汰の心配は無さそうだが。

 テレサはただ、心配そうになりゆきを見ていた。仲介したいが、入り込む隙を見つけられないといった様子だ。

「二人共、そこまでだ。(いたずら)に執行者を探るより、儀式起点の解明が先決だ。

 そうすれば、自ずと容疑者は絞られて来る。

 全員、私の指示に従って貰うぞ」

 シーザーとリナは、なおも互いを見合っている。だが。

「解りました。兄さんの意向に従います」

 リナから、素直に引き下がった。

 見知らぬ異国の少女に兄呼ばわりされる事に戸惑うが、それも今は後回しだ。

「まあ、状況からしてルカさんが僕の上司っぽいですし、言うこと聞いときます」

 やはり、彼がそうなのか。ルカは、複雑な気分になった。

 だが、今朝の競合種討伐を二人で果たしたのならば、例え記憶に無くともこの少年を信じよう、とも思った。

「とにかくですね、ここにいるみんなが、何かおなじものをみてるはずなんですよ」

 テレサが、心機一転、というふうに切り出した。

「だから、近くをみるより遠くをさがしたほうが、見つかるはずなんですけど」

 テレサ自身、口にするより先にそれをしていた。

 成果がない、と言う顔だ。

「消去、もしくは封印のする記憶の参照対象は“人物”だろうから、あやしい人をみたとしても、忘れちゃう可能性たかいしなぁ……おや?」

 テレサが、手を目の上のひさしにしながら目線を上げると、建物の屋上に――。

 テレサの首筋に赤い線が走った。遅れて、薄く血が垂れる。

「いった……」

 まるでかまいたちにでも遭ったかのように、ひとりでに薄皮が切れたらしい。

「ミス・バーンズ!」

 ルカが、切迫した叫びで、テレサを呼んだ。

「わたしは、大丈夫。そ、それより、あそこに――」

 四方から、粘っこい水音。

 あちこちでの怒号が、上擦(うわず)った悲鳴に塗り変わる。

「あれは!」

 ルカが、先ほどの男女に駆け寄る。

 今は、血をかぶって曖昧な質感となった女だけが立っている。

 おののく彼女の足元には、赤黒い溜まりに伏した、男の肥満体。

 頭部が無造作に転がり、空を仰いでいた。

 ルカは、脇目もふらず治癒の儀式に入る。

「サポートチーム、応答せよ」

《はいよ、こちらサポ》

 ……。

 今の瞬間、託宣オペレーターの名前と顔が記憶から消えたらしい。

「何と言う事だ、託宣越しの相手さえもッ!」

 臓腑(ぞうふ)を絞るような力で、無念を叫ぶ。

 託宣の降臨点は、目視範囲の制限を受けない代わりに、互いの存在を認識しないと、通信が出来ない。

 首の断面を接合、癒着させるが、男が目を覚ます事は無い。

 造血を祈っても、蒼白の顔に赤みが戻る事は無い。

 仮にサポートチームの支援が受けられたとしても、助かる見込みは低かった。

それは、第一級の儀式医であるルカが、わかり過ぎるほどにわかっていたが。

 それでも、それでも市民は生きている。

 救う手段を知る自分の目の前で、生きている。

 生きていた。

 死んだ。

「る、ルカさん、ルカさん!」

 テレサが、ルカの肩を必死に叩いて、ある建物の屋上を指さす。

 だが、市民の惨死に冷静さを欠いているルカに、その微妙な機微は届かない。

「教えてくれ、何があった!」

 男の死を確信してから、鬼気迫る顔で女を見上げる。

「あ……あ」

 血濡れの女は言葉を失い、ただ立ち尽くすしかない。

「貴女がやったのですか?」

 リナが、道でも訪ねるように訊いた。

「ち、ちが、勝手に、首……首が!」

「先程、言い争って居たようですが。首を掻っ切る、と言って居ましたね?」

「止めろ、リナ君!」

 放心し、後ろ手に倒れそうになった女を、テレサが背後から支えた。

 胃から逆流する物を抑えきれず、前かがみになってそれをぶちまけた女。 テレサは何も言わず、その背中を優しくさすってやる。

 同時に、何かを気にするようにオロオロしているのだが、誰もその変化には気付かない。眼に涙がたまって、いっそ泣きそうになる。

「ふむ。どうやら、彼女が犯人である可能性は低いようですね」

 女のショックもルカの制止も意に介さず、リナは周囲を見渡した。

 あちらこちらで、同じ惨状があった。

 まるで判に押したように、首が落ちた者と、その返り血を浴びて恐慌に陥る者とか生産されていた。

 ルカの表情が、茫然と固まった。

 すでに辺りを見渡していたシーザーと、目が合う。

「あそこでも……あっちもだ。同じように首の落ちた人がいますね。

 今の一瞬で、こんな大勢を斬るのは、剣ではさすがに無理でしょう。

 あ、もちろん、和禰刀でも無理ですよ」

「貴方、一言余計ですね」

 リナの、表情の無い批難に、ルカの法衣をつまんだシーザーが、ますます萎縮するポーズをとる。

 何はともあれ、首を斬られた者は誰一人助かってはいまい。

 シーザーは、手近な犠牲者三人を一瞥してから、

「テレサさん、さっき何を見たんです?」

 テレサが、ようやく光明を得たという面持ちになる。

「あそこの建物の屋上に――」

「犯人を見たぞ!」

 テレサの言葉を遮り、頭上から張りのある声が落ちた。

 ルカやテレサが反射的に目を向けた先は、建物の屋上。

 二人組の男が立っていた場所だ。

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