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episode1-6 ~人類の敵~ 完

2047.8.16 8:34


 騎士の視界に闇の戸張がおりる。

 息が出来ない。

 とうに許容範囲を越えた疲労と肉体的損傷で、脳が意識を途絶させようと暴れているようだ。

 祝福レベルにまで根付いた儀式医療でつぎはぎの調整はしてきたが、もはや誤魔化しの効かないほどにダメージが蓄積している。

 まさに、“精神力”というなんの儀式価値も無い原始的な思考のみで身体を動かしていた有り様だ。

 それすらも今、揺らいでいた。

 思念の秘術。

 大地に蓄積された、あらゆる残留思念を抽出するテクノロジー。

 ただ地形を変えたり石を動かすだけなら、天の奇跡でうわべを真似る事も可能だ。

 大地そのものを従えるのではなく、風力や磁力といった外的エネルギーで結果的に動かすのであれば。

 だが、空白の思念を意識に割り込ませられた今の感覚は、間違えようもない。

 天の文明圏にある現代人には、決して用いれない。

 まして、擬態した怪物などには不可能だ。

 認めざるを得ない。

 彼女は間違いなく、秘術を受け継ぐ者テレサ・バーンズだ。

 否。

 仮に思念の秘術を受けていなかったとしても、騎士には判っていたのかもしれない。

 真摯にこちらを覗き込む紫眼。

 気遣わしげに結ばれた口唇。

 これを擬態できる怪物など、ありはしない。

 かつて最悪の形で喪った仲間の一人が、どういうわけか生きて、目の前にいる。

 最悪の結末を引き起こした仇敵、ヴィルヘルミネ・ヌルミと共に。

ならば。


 今。

 不意に立ち上がった騎士の凶行に対してテレサの反応が遅れたのは、油断ばかりが原因ではなかった。

 純粋に、なすべき事のみを見据えた騎士の剣速は、亜光速の域に達していた。

 ルカ・キリエの生涯最速の早打ち。

 咄嗟に掲げた鎌の柄では、両断を免れない。

 鎌の抵抗を突き抜けた亜光速剣は、黒衣をやすやすと切断し、それを着用する自分の胴体も例外なく上下に分離させる事だろう。

 論理的帰結として、テレサは自分の死を理解した。

 だが。

 波型剣は、なぜか刃ではなく刀身の腹を向けられていた。

 その打撃を辛うじて受け止めるが、テレサ自身が軽々と浮き上がり、真後ろへ吹き飛ばされた。

 凄まじい牽引力が、柄を通してテレサの手にかかる。

 鎌を手にしたままでは、腕がちぎれかねない。柄から衝撃が伝わりきる前に手放した。

 明後日の方向に放擲(ほうてき)された大鎌は、花壇とベンチを跡形もなく粉砕して墜落した。

 テレサの方は、バウンドするボールのように地面に何度も叩きつけられている。

 そのつど受け身を取り、叩きつけられた地点を柔らかい泥に変換して、衝撃と推進力を殺いでいく。

 だが。

「ええっ!」

 進行方向に口を開けた落とし穴を認めて、テレサは泣きそうになった。

 騎士を落とすために、彼女自身が掘った墓穴の一つだ。

「わっ、ちょっと、待っ――」

 まるで、騎士が全てを見通していたかのように、テレサは縦穴へ落ちていった。

 怪我をするような高さと地質では無いが、這い上がるまでに費やすコンマ秒のタイムロスは、この場では致命的だ。


 テレサ・バーンズ。

 騎士が二十四年間――人類が滅亡するまで――戦ってきた中で、肩を並べる戦士としては最良と言えるパートナーであった。

 シーザーとはまた違った意味で、呼吸が合っていた。

 最終的には、お互いを自分と同一視出来る域にまで到達していたのではなかろうか。

 だから、人間相手には、落とし穴という無血制圧で済ませようとする事を知っていたし、墓穴に彼女自身をピンポイントで叩き落とす事など、造作もなかった。

 流石に今の太刀筋で右腕が壊れた。法衣の下で、腕が醜く膨張しているのがわかる。

 だが、左腕は動く。

 あと一太刀、振り上げて、振り下ろす事さえ出来れば、それで良かった。

 へたり込むヴィルヘルミネへ、幽鬼のように希薄な踏み込みで、距離を縮める。

 湿った大質量の音が、すぐそばで鳴り響いた。

 記念碑の直撃を受け、ボロのような有様になっているであろうヤモリの競合種が、すぐそこまで戻ってきていた。

 テレサは既に、落とし穴から這い出していた。

 ヴィルヘルミネは、もはや微動だにしない。ただ顔を覆い、何も見ないよう自らの殻に閉じこもった。

 何もかもが遅い。

 仮にテレサが騎士に何かをしてきても、位置関係的に競合種がヴィルヘルミネの始末をつけるだろう。

「ヴィルヘルミネ・ヌルミ。貴様を――」

 縮こまるヴィルヘルミネの頭頂部を見下ろし、愛剣“災厄と叡智の体現”を振り上げる。

「――殺す」

 縦の閃が、無情に走った。


 壊れては、治り。壊れては、治り。

 死に体と健康体を行ったり来たりしながら邁進(まいしん)するルカが国立公園に踏み込むと、あまりにも多くの情報が氾濫していた。

 半身がちぎれてなお這いずるヤモリの競合種。

 その側にはへたりこんだ女性。

 今まさに、彼女へ剣を降り下ろさんとする、騎士らしき男。

 理解不能な状況だ。

 だが、やる事は決まりきっている。

「ヴィルヘルミネ・ヌルミ。貴様を――」

 男はこちらには気付いていない。

《なっ、これは!? やばい、彼女、殺され――》

「殺す」「(いや)、必ず護る!」

 ルカは、ヴィルヘルミネと騎士らしき男の間を降臨点に定め、ロザリオをかざした。

 ――剣と女性の接触する因果が、奇跡的に逸れん事を祈る。

 奇跡の副産物たる青い光が閃いた。

 ヴィルヘルミネを脳天から正確無比に両断するはずだった波形剣は、彼女の右側にある虚空を斬って落ちた。

 地面をバターのように切り裂いて、刀身の半分以上を埋める。

 騎士らしき男の長身が、酔漢のように傾いだ。

 だがルカは、既に騎士らしき男を見ていない。

 無数のガラスを引っ掻くような咆哮は、自分を追い詰めた執聖騎士への怒声か。

 あるいは、恐怖の叫びか。

 ルカは、ずいぶん体積の減ったヤモリへと一直線に突貫する。

 ヤモリは、ルカを凝視しながらも、その前肢をヴィルヘルミネに向けようとしていた。

《正気かバカ野郎!》

 言葉とは裏腹、シェイから、対競合種密着戦時の非常用インターフェースが送信されてくる。

 予測されるヤモリの動作、レンジ、狙いを定めるマーキング。

 ――叩き斬る。

 あれだけ腕にのし掛かっていた剣の重みが、ふっと消えた。

 無心の袈裟斬りが、シェイの示したターゲットマークに沿って走った。

 テレサの射出した記念碑によってちぎられた断面へ、ハイドランジアM96の刀身が叩き込まれる。

 斬るというよりは、刃が立たない肉へ剣を無理矢理ねじ込んだような恰好だ。

 圧し潰すようにヤモリの体内へ潜り込んだ剣から、余波の衝撃が放射。

 ヤモリの身体を構成した有象無象が、ルカの眼前で爆ぜた。

 その反動で、ルカの長身が紙くずのように吹き飛んだ。

 ヤモリに突き刺さった剣を握り続ける力は、もう無い。

 市民の危機に、剣を振るえない。

 そんな事はあってはならない。

 失われた剣術を一心に求める、ルカの強烈な想念がこの一太刀を実現した。

 皮肉にも、彼が生涯のうちに振るった剣の、この一刀のみが、達人である叔父も迫るレベルへと到達していた。

 だが、その代償は。

 首を斬られてもものともしないルカ・キリエをして、喰われる獣のような叫びをあげさせるほどだ。

 皮下を生きたままミンチにされるに等しい痛み。

 儀式治療で、脳だけは死守する。

 あまりの激痛とショックに意識が明滅するが、競合種の生死と女性の無事を確認していないので、耐え抜くべきだ。

 死を願うほどの責め苦の中にあっても目的を果たすだけの身体能力を取り戻すべくシェイのカルテを元に治療プロセスを“天”へ送りつぎはぎながらも身体をよみがえらせて。それでもなお剣を支えにして踏みとどまり多少毛細血管が切れた赤い目でただただ前を見据える。

 競合種は、原型を留めていなかった。

 女性は、変わらずそこにいた。

 そして。

 汚れてくすんだ法衣に身を包んだ男と、正面から向き合う。

 我も彼も、立つためにバランスを取らなければいけない有様だった。

 それは、朽ちかけた姿見のようだった。

 それは、磨き抜かれた姿見のようだった。

「お前は」「誰だ」

 同じ顔をした男二人が、糸の切れたようにくずおれる。

「私が倒れれば、市民が 」

「奴を消さねば、世界が 」

 そして二人は、ほぼ同時に倒れ伏した。

 ……。

 …………。


 ……、

「うう……人を落とし穴にほうりこむなんて、なんてひどいことをするの」

 騎士二人が倒れこんだ瞬間に、テレサもようやく脱出を果たしていた。(とはいえ、所要時間は一秒に満たないのだが)

 何が起こったのか、まるでちんぷんかんぷんだが、ひとまずヴィルヘルミネが助かった事で気持ちが弛緩していた。

 次に、倒れた男たちを視認。安堵は一瞬にして破られ、

「ルカさーん! 応答願います、ルカさーん!」

 さらに、公園の南口方向から、少年の声が聴こえた。テレサは、慌てて落とし穴の中へと引っ込んだ。

 この状況、倒れた騎士どちらかの従士である可能性が高い。

 今、執聖騎士団と鉢合わせるわけにはいかない。

 こんな、戒厳令区域に不法侵入した姿を見られるわけには。

 けれど、ヴィルヘルミネも気になれば、横たわっている二人の騎士も気になる。まして、騎士の一方は、自分が暴行を加えてしまった相手だ。

 しかし、出るに出られない。

「うわ。なんだろうこの、穴ぼこだらけな公園は。

 あっ、ルカさんが倒れている。

 シェイさん、これは一体――ああ、生きてはいるんですね。じゃ、大丈夫だ。いつもの事だし。

 でも、そっちで寝てるもう一人の騎士は誰なんでしょう? えっ? ちょっと待ってくださいシェイさん、そんないっぺんに言われても何がなんだか――あっ」

 二十歳にも満たない男の子だろうけれど、異様に冷静な子だ。こんな時に テレサは、場違いな分析をしていた。

「えっと、あなたは」

 少年が、ここにきてようやくヴィルヘルミネに気付いたらしい。

「大丈夫ですか? お怪我は」

 ヴィルヘルミネは、すすり泣きと共に、必死に声を絞り出そうとしているようだ。

「まいったな、競合種は見るまでもなく逝ってるみたいだけど、この状況は何が何だか」

 とにかく、少年が去るまで待つしかないけれど……状況的に、託宣オペレーターが、倒れた騎士の救援を要請していてもおかしくない。

 はたして、このまま誰にも見つからず、逃げおおせる事が出来るのだろうか――、

「あな、穴の中に! たす、助けてくれた人、私を! 私を助けてくれた人が穴の中に、早く助けて!」

 脱出の算段を考えていたところへ、被害者たる女性の叫びが無情に響いた。

 穴の底にうずくまった姿勢のテレサは、くしゃりと顔をゆがめて泣きそうな顔になった。

「落ち着いてください。穴と言っても、どうもこの公園は穴だらけですし」

 即時、思考を切り替える。

 諦めてはいけないのだ。この場を発見されずにやり過ごす方法は、まだある。

 従士がこの穴を特定する前に、自分を土に埋めて隠れおおせる。それしかない。

 被害者の女性は錯乱しており、自分を助けてくれた女が居ると勘違いしていたが、それらしき人物は見つからなかった。

 これだ。このプランで行こう。テレサは、決意を新たに固め、

「ん? 何だこの大鎌は! 何で、こんな物がここに」

 やっちゃった、という語を、テレサは声に出さず唇でなぞった。

 声を殺したところで、もう手遅れなのだが。

 少年の足音が、真っ直ぐにこちらへ向かってくる。

 音から察するに、テレサが居る真上あたりに来ていると見ていい。

 今更、大地の秘術で地面をいじろうものなら、即座にバレてしまう。

 万策が尽きた。

 ふと、穴の底から晴れ渡る大空を見上げると、

「生存者発見! 一名です、シェイさん」

 少年従士のあどけない面差しで、空が覆い隠された。

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