episode1-5
2047.8.16 8:26
乾ききった空気の中から、急に水中へ突っ込まれたように錯覚した。
だが、それは激しい豪雨であると、人類最後の男はすぐに察知した。
それでも、疑念は消えない。
一秒未満の間にこれだけの雨量が降りかかってくるなど、物理的にありえない。少なくとも、自然現象としては。
もしや、聖霊レイシアの儀式はただの雨乞いだったのか? そう思い当った瞬間、視野が完全に戻った。
突き出した波型剣の先には、誰も居なかった。
理解不能な状況と言えど、迷いは無い。即時、“災厄と叡智の体現”を引き戻すと、正眼の構えを取る。
そして、視線を周囲に這わせる。
もっと大きな異変に気付いた。
ミケル国立公園が、在りし日の姿に戻っていた。
豊かな常緑樹が植樹され、規則正しく並んだ鉄柵は錆の一つも浮いておらず、目だった傷もない銘板は誇らしげに公園の名を示している。
今来た道を振り返っても、同じだ。
倒壊していた店舗も、骨組みをむき出しにしていた民家も、何もかもが復元されている。
焼き菓子のように砕けた道路さえ、新装したかのように、亀裂一つ認められない。
相変わらず、人の喧騒は無い。かといって、化け物どもの無秩序な喧騒も消え去っている。
それなのに、久しく聴いていなかった小鳥のさえずりがリズミカルに鳴っているのは、どういう事なのか。
汚泥と古い血の跡にまみれた法衣を着た男だけが、周囲の情景から浮いていた。
男は、逡巡する間も無く進んだ。
足早に、ミケル国立公園の敷地内へと。
これで、約束は守ってもらえるのだろうか。
裏切られる事なんて、考えたくない。
否。考えられない。
ヴィルヘルミネは、恐怖と気負いに震える身体を必死に押さえつけて、曇天の空を見上げた。
顔の表面では無数の水滴が筋を作って滑り落ち、雨水と涙の区別がつかない。
「お父さん。私、どうすればよかったのかな?」
蚊の鳴くような声で、呟く。
事実、彼女は自分の肩に乗る何者かの手を見ていた。
彼女にだけ見える、男の存在があった。
これは、独り言では無い。
「皆、どうやって普通に生きてるんだろう。私、もうわからない。難しい。
前に右の道へ行ったら責められたから、次は反省して左の道へ行ったらまた責められて」
ヴィルヘルミネの傍らに佇む男に、雨の水滴はかからない。現世から切り取られ、無理やり貼り付けられたように、浮いていた。
「私って、他人から憎まれるように出来てるのかな……」
他人はどうして、理由をつけて他人の悪いところを仕立てあげてつるし上げるのだろう。
真面目に生きてさえいれば、静かに生きさせてくれてもいいじゃないか。
弟とひっそり、貧しいながらも生きていく事が、そんなに罪なのだろうか。
ヴィサがいない時、何度父に向ってそう嘆いたかわからない。
しかし父トイミ・ヌルミは、一言たりとも言葉を発してくれない。
彼は、六年前に死んだのだから。
それでも、口を覆わずに話せる相手は、もう弟のヴィサと父の霊しか居ない。
「私は――」
水気を含んでぬかるんだ土が、背後で踏みつぶされた音。
それを聴いたヴィルヘルミネは、心臓が止まるような思いと共に口を噤んだ。
駄目だ。振り返ってはいけない。
現実を見てしまったら、後戻りはできなくなる。
そう自分を食い止めようとしながらも、しかし彼女は、簡単に振り返ってしまった。
「ヴィルヘルミネ・ヌルミ……」
棒読みのように呟く、生気のない声だ。
ヴィルヘルミネは、かすれた悲鳴を漏らしかけた。
全身血染めの長身。
短く刈った髪が、固まるほどに。
アイスブルーの碧眼が、より冷たく感じられるほどに。
痩せこけた顔の輪郭が、凄惨さを増すほどに。
元は純白のコートが、穢れていった過程を示すほどに。
波型の西洋剣が、無数の命を蹂躙していった事を誇示するほどに。
ヴィルヘルミネは、すぐに理解した。
自分が、どんな人間と相対してしまったかを。
腰が抜けて、立てない。尻で無様に這い、少しでも男から離れる事しか出来ない。
公園の記念碑に、背中が当たった。そこで、彼女のささやかな逃避は終わった。
「よもや生きて居たとは。よもや、貴様だけが生きて居たとは」
男はごく当たり前のように歩み、そして波打った肉厚の剣を油断無く構えた。
「今更そうした所で無意味な事かも知れんが……。
貴様は、殺す」
ヴィルヘルミネに、男の言っている事は理解できない。
ただ、もがいた。意思に反して、その場から立ち上がろうとしない自分の身体に。
人体とはこういう時、何より自分の命を優先して、爆発的な力を発揮するべきじゃないのか。
自分の身体にさえ、裏切られるのだろうか。
傍らに立つ父の虚像も、関心があるのか無いのか。
誰も助けてはくれない。
「いや……、私は、私はまだ!」
口を隠す事さえ忘れて、女は喚いた。
「そう言って死んで行った者達の無念は、貴様自身の命で贖うしか無い」
仇敵をなぶる意図さえなく、事務的に。
流麗なまでの滑らかさで、ルカ・キリエは波型剣を上段に掲げた。後は、振り下ろすだけだ。
「ちょーっとまった!」
ある種、緊張感のない女声が、時間を止めたようだった。
血染めのルカ・キリエが、声のした方向に向き直る。
黒を基調としたワンピースのようなものに全身を包んだ女が、息を切らして駆け寄ってきたところだった。
「なっ!」
ルカ・キリエの顔に、初めて、驚愕という感情が宿った。
「なにがあったかわかりませんけど! そういう……その、ケンカ? みたいなのはよくないと思うんです」
ここにきて初めて、ルカ・キリエは構えを崩してしまった。
対する黒衣の女は、それを見ただけで、安堵にいくらかの力を抜いた。
男の構えが緩んだ事実は、達人の域にある戦士のみが理解できるごく些細な機微だ。
「君は――否」
だが、ルカ・キリエはすぐに構え直すと、一息の間に黒衣の女へ肉迫した。
無慈悲な踏み込みながらも、何かを振り切るように。
丸腰で立ち尽くす彼女の脳天へ、縦一直線の斬撃を落とし、
「わっ!」
頭上で、何の前触れもなく止まった。
超音速で落ちた波剣は、女が掲げる漆黒の金属棒によって阻まれていた。
それは、女の手中から急に現れ出たようにしか見えなかった。
金属棒の先端には、三日月のように湾曲した肉厚の刃が伸びている。
いわゆる、大鎌だ。
接触から一拍。遅れて生じるのは、大気の炸裂する衝撃波と大音響。
不規則に大気を乱す圧力波が両者を打ちのめすが、共に信じがたい脚力で踏みとどまり、膠着している。
「うわっぷ」
女がかぶっていたフードだけが、烈風にあおられて外れた。
流れるような薄金色のロングヘアーが零れ、逆流するように乱れ躍る。
困惑と懸念を含んだ紫色の瞳。
息を呑むルカ・キリエ。
対する女が、力任せに男を押し戻し、鋭く飛び退いて距離を取った。
「貴様、何者だ」
男の詰問に対し、
話をする余地はある。
そんな希望的観測と共に豊かな胸をなでおろしてから、女は、
「わたしは、テレサ・バーンズです。通りすがりの」
漆黒の大鎌を背中へと隠すように下げ(二メートル超のそれは、まるで隠れていないのだが)戦意が無い事をアピールした。
「テ――」
ヴィルヘルミネの、ほとんど音になっていない呟きを気にかけた者は、誰もいない。
「テレ、サ……だと?」
「そうです、単なるテレサです。あやしいものではありません。とりあえず武器をしまって、話しあいましょう?」
ルカ・キリエは硬直した。
ただし、今度は構えを乱すような不手際は無い。
「この、ピントのずれ具合、独特の言動パターンは確かに彼女のもの……」
「なんか、納得してくれるのはいいんですが、微妙に失礼なこといってません?」
「だが“奴等”であれば、その程度の擬態は不可能では無い」
再度、目視不能な踏込みからの水平斬り。
対するテレサは、まぬけに背中へ隠していた大鎌を、これも超音速で構え、斬撃を受け流した。
だが、流石に後手だった。
そして、いくら祝福的な腕力に恵まれていようとも、質量が軽い女の身で車両半壊級の剛剣を受け損ねれば、若干なりとも体勢が泳ぐ。
鎌の柄を地面に突き立て、無防備な姿を晒してしまう。
テレサが構え直すまでの一秒未満よりも、ルカ・キリエが彼女の首を狩るコンマ数秒の逆水平斬りが速い――。
鈴のような音色が響いた。
ルカ・キリエの体勢が大きく揺らぎ、テレサの首を落とす寸前だった波型剣もまた、暴れ馬のように跳ねて、逸れた。
テレサの足元に、さっきまでなかった拳大のクレーターが掘られている。
それが拳大ほどの石だという事を知れたのは、超人的な視力を持つルカ・キリエと、テレサ自身。
ヴィルヘルミネはただ、無為な呼吸を重ねる事しかできない。
「大地の、秘術」
「ほら、今なんか、偶然にも小石がはねたみたいですけど、人にぶんぶん剣をふりまわすのは、よくないってことですよきっと!」
呆然と呟くルカ・キリエの言葉を耳に入れないまま、テレサは必死にまくしたてる。
あらゆるエネルギーを掌握し、一大文明を築いた、天の奇跡。
そのテクノロジーをもってしても、唯一、自在にできない要素があった。
石、土、砂といった、大地に属するものだ。
鉱物資源から成る金属なども含む。
こうした物質は“大地由来物質”と分類され、儀式には一切応じない、非可干渉物質として学術的にも定義されている。
天地という言葉があるように、天と地は対極の存在として古くから認識されてきた。
始祖レイシオが“天の奇跡”を発見・確立するよりも以前から。
思考がダイレクトなエネルギーとして作用する性質が仇となり、“地”に属するものが現代奇跡文明に組み込まれる事は無かった。
ただし、生まれてから逆の思考――つまり“天の奇跡”という概念を知らず“大地の恵み”のみを知る人間も、人知れず存在する。
大地の秘術を知る者は、身体のどこかが何らかの形で大地由来物質とつながっていれば、知覚圏内のそれら全てを、脳の電気信号が及ぶのと等速のレスポンスで自在に出来る。(この独自の儀式起点を“接地”と言う)
大鎌を構成する金属もまた、大地由来物質である。テレサが握っているそれが地面に接している限り、接地が成立する。
接地が成立している限り、大地そのものがテレサの味方であり、騎士の敵だ。
天の文明圏では、決して知られてはいけない人種。
大地の秘術を意のままにする人間が。
「もう、やめましょうよ。ね?」
諦めと紙一重の希望をこめて、女は言う。
けれど、朽ちた法衣の騎士は、どこまでも曇りのないフォームで剣を構える。
「有り得ない事だ。彼女は、テレサは」
ルカ・キリエの帯びた空気が、明らかに変質した。
表情、姿勢、身じろぎ、声質、呼吸のリズム……ルカ・キリエにまつわるあらゆる記号的データ――俗に気配というもの――を、テレサの頭脳は瞬時に分析した。
二十三年の人生のうちでも、数回しか経験した事のない次元のプレッシャーが、テレサの脳髄を貫く。
だから、執聖騎士であるらしい、この男の独白を耳に入れる余裕も無かった。
「彼女は死んだ」
テレサは、桜色の唇をかたく結んで決意した。
「貴様は、彼女の姿を借りた化け物である確率が圧倒的に高い。こんなものは、幾らでも偽装可能だ」
「どうしても、やめないのですね?」
「テレサ・バーンズの名を騙る魑魅よ。
その罪深き行為、貴様自身の命で贖え」
ルカ・キリエの足元から、膨大な砂の柱が立ち上った。
彼の直下にある地面を瞬時に掘削し、人間大のスペースを生成する大地の秘術――つまりは即席の落とし穴である。
高さ三メートル余りの縦穴に落とされた被害者は、重力に従って戻ってきた土砂に埋め立てられ、幽閉される事となる。
その土石は常に一定せず、執行者が命じ続ける限りは循環し続ける。
どのような剛力と祝福の持ち主であろうと、掴みどころ・踏ん張りどころのない流砂の中では、ただ溺れる事しか出来なくなる。
幸いにして、テレサ・バーンズの緻密なる秘術設計により、生き埋めとされた者が呼吸が出来る程度の空間は確保されている。
だが。
まとわりつく土煙を突き抜け、男の長身頑躯がテレサの前にそびえていた。波型剣を上段にかざしている。
玉虫色の刀身が、水滴を流して色彩を散々に乱している。
稲妻のように、落ちたというよりは最初から一本の縦線だったかのような迅斬がテレサの脳天を襲い、
テレサはこれを、ほとんど予備動作も見えない打撃で力任せに打ち払った。
暴れた剣に引っ張られるように、ルカ・キリエはたたらを踏む。
テレサが、彼の足元にある地点に意識を向けただけで、また土砂の間欠泉が激しく噴出した。
今度こそ埋めたか。
土煙に僅かな変調を見たテレサは、推測を捨てて対応。
ほとんど転倒しかけた格好で、それでも落とし穴を回避してのけたルカ・キリエが、低い構えからテレサにめがけて刃を斬り上げた。
接触面積の広い半月の刀身を盾代わりに、テレサは騎士の剣を弾いて、飛び退いた。
屈んだ姿勢からの斬り上げ。テレサは、これも受け流して後退。再度、間合いを離そうとする。
だが、騎士が波形剣を翻し、突きを放つ方が速い。
テレサの眉間をめがけて真っ直ぐ飛び込んでくる、肉厚の刃。
しかしそれは、テレサより遥か後方の地点から射出された、拳大の石に撃ち弾かれた。
更にテレサは、自分と男の間を隔てるようにして、幅広の落とし穴を設計。
土砂の荒波は五メートルもの高さを舞い上がり、公園の地面が両断される。
ようやく間合いを離せたテレサは、短く息をついた。
祝福・反応力・武術の練度……単純な白兵力では、ほとんど拮抗している。
だから、剣と大鎌という武装の違いが響いている。
持ち主の背丈をゆうに越える長柄武器は、接近戦での取り回しに難がある。
そも、一対一の近接戦闘に適した武器ではないのだ。
斬り結んで最初のうちこそ演舞のように拮抗しているが、三度、四度と武器を交えるうちに得物の大きさ=手数の格差が顕著になっていく。
接近戦が長引く限り、テレサの打つ手は着実に削られてしまう。
それに、建造物半壊級の威力をフル出力して男を殺してしまうわけにはいかない。
テレサが、その道徳に縛られる限り、長柄武器の利点である“力と重さに物を言わせて叩き潰す”という選択肢も取れない事も意味する。
更に、初見にも関わらず大地の秘術を見切った直感力は、もはや人間離れしている。(実際、この男にとって秘術自体は初見では無いのだが、テレサには知るよしもない)
また、見切ったからと言って、テレサの脳信号一つで足場の消失する不条理に全て対抗出来る身のこなしは、やはり尋常ではない。
男が迫る。
一度、二度、三度、四度と、立て続けに、土砂の間欠泉が吹き上がる。
その全てが、完璧なタイミングで躱されていく。
この秘術は特に即効性が高く、たとえ砂粒の動きを足の裏で感じてから跳んだとしても、退避が間に合わないというのに。
もはや、心を読まれているとしか思えないほどだ。
テレサの頭脳は、予習した事柄を必死に掘り返す。
あらかじめ目を通しておいたウツソンレコード二〇四七年度版(大手格付け会社による、世界の戦闘力ランキング誌)の人間部門に、この騎士はいなかったはず。
一位の“最強戦士”ケリー・ロスや二位の“全知全能”ダニー・フライ枢機卿には及ばないまでも、身一つで大地の秘術を躱してのける男なら常勝の戦士であってもおかしくは無い。
それが世界最強の武力機構である執聖騎士団の所属であれば、なおさら目立つ事だろう。
――ノミネートされた本人の武術や儀式スタイルを赤裸々にのせたあの本。あれにのっていたなら、対策もできたかもしれないけれど。
――だめ。あわてると教科書にたよるのは、わたしの悪いくせ。
煙の向こう、ぼんやりとした人影が鮮明になってゆくのを見据え、テレサは大鎌の間合いを維持しながら、ゆっくり下がる。
もう、辺り一面が穴だらけだ。
騎士もまた、テレサの鎌柄をくぐり抜けるチャンスを探りながら、摺り足でゆっくり詰めてくる。
雨は、いつの間にか止んでいる。
にわかに訪れた静寂。
それは、すぐに破れた。
腹を叩く鈍重な音と振動が、大気を微細に震わせた。
公園の南口を蹂躙する、圧倒的質量の気配だ。
テレサも騎士も、動いてはいない。
ただ、マイクロバス大のナメハダタマオヤモリが、憎々しげなステップを踏んで近付いてくる様に目を奪われた。
「きちゃった……」
競合種にしては動きに機敏さが無いと思えば、とんでもない手傷を負っていた。
体長の半分以上がえぐれ、ぼろ切れのように潰れた臓物が、汚液を地に擦り付けている。
街に派遣された執聖騎士がやったのだろう。瀕死の重体だ。
それでも――否、それだからこそ、なおのこと、このヤモリは危険だ。
死に瀕したものは、何より生への執着がリアルになる。
死に瀕したものは、生きる為に全てをなげうち、他の何をも顧みない。
ヴィルヘルミネは、未だ腰が砕けたように動けない。
ただ、口許をおおって首を振るだけ。
「この競合種は」
騎士が、深みのある調子で呟いた。
テレサは、騎士へとすがる目を向けた。
競合種は、捕食者。
人類全ての天敵。
だから。
「好都合だ。互いに食い潰し合うが良い」
情感無く言うと、テレサめがけて肉迫。
「そっ、そんなぁ!」
騎士の良心を信じきっていたテレサは、反応が遅れた。
騎士の接近を阻もうと鎌の柄を横凪ぎに振るうが、出遅れた打撃には威力が乗り切っていない。逆袈裟斬りで叩き払われた。
がら空きとなったテレサの胴に、騎士の、斜め下からの斬り上げが襲う。
テレサは、暴走車のような勢いで弾かれた鎌を力任せに引き戻してこの斬り上げも食い止めるが、衝撃を殺し切れずに身体が泳ぐ。
「やだ、やだ来ないで!」
ヴィルヘルミネの、喉を裂くような悲鳴。
ヤモリが、ヴィルヘルミネの視界を覆うほどに接近していた。
騎士に武器を打ち払われ、押されて行くにつれて、ヴィルヘルミネが遠ざかっていく。
テレサはかたく瞳を閉じると、即断。
暴れる大鎌を地面に突き立てた。
接地。
テレサの意思は、鎌から地面へと、光と同等の速さで伝い、公園の中央に鎮座する記念碑へ巡る。
高さ三メートル×幅二メートル×厚み二〇センチはある記念碑が、神隠しのように消失。
ヤモリの裂けた胴体にぶち当たると、その有り余る推進力で道連れにし、五十メートル彼方へ。
路面に着弾。
大気の破裂する凄まじい音と、大地の叫ぶような重低音を撒き散らして爆散した様が、ここからでも見える。
だが、テレサにそれを見届ける暇は無かった。
接地の為に鎌を突き立てた姿勢の彼女へ、騎士が飛びかかる。
ヴィルヘルミネの救助を優先した為に、騎士への対処は完全に後手となった。
辛うじて構え直すが、騎士の放つ下段からの斬り上げが鎌を痛打。
小気味良い金属音。
――。
ゆうに一〇〇キロを越す対物大鎌が、空高く舞い上がった。
テレサがしゃがみ、手で直接“接地”しようとするが、波形剣が真っ直ぐ降り下ろされる方が速いタイミング。
本来ならば。
騎士は、テレサの鎌を弾いた直後の、剣を頭上に掲げた格好のまま、一秒弱静止した。
まるで、瞬時に心を失ったかのように。
手で地面をひと撫で。石弾が地面から飛び出し、波型剣を強かに弾く。
「ごめんね」
薄金色の髪と黒衣のスカートが、らせんを描くように翻る。
逆手に持つのは、拾い上げた大鎌。
我に返った騎士が構えを整えるよりも、テレサが彼の鳩尾へ鎌の柄を突き込む方が速い。
筋肉を圧迫し、胸椎のつぶれる手ごたえまでもが手に伝わってくる。
予期しない手応えに、テレサは目を瞠った。
法衣に常駐する対衝撃性奇跡を考慮して込める力を計算したはずなのに、これではやり過ぎだ。
声も無く、騎士は膝からくずおれた。
大地の秘術は、単に石や砂を操るだけの技術ではない。
大地には、有史以前から万物の記憶が蓄積されているという。
土砂や鉱物は――ひいては金属も――等しく“大地”に通じるワームホールである。
秘術の真髄は、大地の記憶を使いこなす事にある。
騎士の剣で鎌が打たれた瞬間、剣と鎌を通して、テレサと彼は“接地”していた。
その瞬間、騎士の脳裏に適当な空白の記憶を割り込ませる事で、あらゆる思考をカットさせたのである。
近接戦闘においては、死に値するだけの隙。
それをテレサは、武器が触れ合っただけの相手に、強制的に与える事が可能だった。
騎士は、これまでとは一転、ぐったりとうつむいて微動だにしない。
悶絶しているようには見えないが、痛みと苦しみに戦意を無くしたのだろうと判断。
テレサは、男を油断無く警戒しながらも、吐息だけで安堵した。
脚の中身が断裂しては“天”に請うて治させ、ルカは走る。
《もういいだろう!? アンタはよくやったよ、だがここまでだ!》
説得しながらも、シェイは託宣サポートを止める事が出来ない。
「もう少し、なんだ、もう少し……」
前のめりに、無様に転ぶ。
ルカは、街並みの隙間から覗く国立公園を睨み付けてから、容赦なく立ち上がった。
靭帯がはち切れたので、一息の間に直した。