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episode1-4

2047.8.16 8:17


 金属をひっかくような苦鳴が聴こえて、雨に気を取られていたルカは我に返った。

 音源は、マイクロバスほども大きな、茶褐色の肉塊。

 一房のブドウよろしくはみ出した臓物が、それ自体が生き物のように蠢き、痙攣している。

「仕留め、損ねたか」

 騎士は歯噛みし、雨粒ごと空気を握りしめた。

「私の技術が、至らなかったばかりに」

《でもまあ、あのザマなら虫の息だろ。このクサレヤモリ、今頃、昨日食った虫の気持ちを悟ってたりしてな!》

 決着を確信したシェイの表情は弛緩していた。

 いかに、条理を逸した再生機能を持つ競合種といえど、無から身体を修繕できるはずはない。

 ルカの斬撃により、相当な面積の肉を微塵に破砕されたヤモリの身体は、もはや再生が追い付かない。

 傷口か頭部に渾身の一刀を叩き込めば、次こそはとどめを刺せるだろう。

《ああ、そうか! 昨日食ったチャバネゴキブリも実は競合種で、そいつの呼気量は三万リットルもあって、虫の息ってのがどれだけの量かわかりませんってか! こいつは傑作だよな、リーダー! 今日の昼飯時にさっそく使ってみようかな、このジョーク! はは……はははHAHAHAHA》

 急速に緊張から解放された反動か、シェイの口上はとめどない。

 反面、現世では、雨の零れる静謐な音とヤモリの弱々しい呼吸音だけが場を支配していた。

《ただリーダー。アンタに限って、こんなトラップに引っ掛かるとは思えんが、フライ枢機卿のレポートによると、このクサレヤモリは――》

「ルカさん、剣、持って、来ました、よ」

 シェイが、一つの文献をルカの脳裏に送ってきたのと。

 シーザーが、ルカのハイドランジアM96を、()()うの体で引きずり運んできたのと。

 ヤモリが、おもむろに自分の尾を切り落としたのと。

 全てが、ほとんど同時に起こった。

 ルカは、有無を言わず、跳んだ。

 シーザーを突き倒す勢いで伏せさせた。

 大気が爆ぜた。全周囲の建物で、ガラスが粉々に砕け落ちた。

 乗り捨てられた車のフレームが、見る影もなく変形した。

 砂煙が巻き上がり、濃霧のごとく街並みを覆ってしまった。

 切り離したヤモリの尾が爆散し、肉片と骨の破片が、四方八方の何もかもを打ち砕いた結果が、これだ。

 シーザーを掴み起こしながら、託宣カルテを確認。

 ルカ・キリエ、シーザー・カレイ共に被害なし。

 ヤモリは時に、自らの尾を切り離して捨てる事がある。

 これを自切(じせつ)と言い、天敵に補食されそうな時の囮に使う。

 競合種はこの機能を進化させ、自切にすら殺傷力を付加した。

 ヤモリ競合種の尾は、一五〇メートル程度の高さまで舞い上がってから、爆圧と破片が放射状に四散する構造だ。

 恐らくは、ヒトの頭部を確実に狙うための進化だったのだろう。

 それは反面、伏せてしまえば直撃を避けられる事を意味した。

「避けなくても支障はなかったのに」

「馬鹿者、お前が死ぬだろう」

「まあ、それもそうなんですが」

 土の煙幕が、雨に洗い流されて薄れてゆく。

「今のは、爆発浴びながら、ごり押ししてでも、トドメを優先すべきだったかも。逃げられました」

 薄汚い汚液と肉片を残して、ヤモリは忽然と姿を消していた。

「一体、何処に――」

 脊髄反射で疑問を口にしてから、一つの可能性に思い当たる。

「今のあいつが一番したいのは、ボロボロになった身体の修復。

 でも、これ以上ルカさんの前にいたら、速攻で殺される。

 出来るだけルカさんから離れて、身体の材料になるタンパク質とかそれ系のものが欲しい」

 雨が勢いを増した。

 もはや雨粒というよりは、水塊が流れ落ちるような有り様だ。

「この雨、どう見ても自然発生のものじゃないですね」

「気象操作士が、街に入って居る!」

 託宣で、今の時刻が意識に浮かぶ。

 ――2047.8.16 8:23

《まだ一時間前だぞ! つむじ風の奴らは何を考えてやがる!》

 遮るものがない上空を降臨点とする為、雨乞いなどの気象操作儀式は、降臨規模を広く取れる。

 しかしどうしても、執行者から離れた位置ほど、イメージが散漫になる。

つまり、雨量の一番多い位置に、執行者が居る。

 ヤモリには、気象操作士の位置が筒抜けだろう。

「行きましょう。たぶん、きっと、国立記念公園です」

 ジープの変わり果てた遺骸を一瞥してから、ルカは遮二無二に走り出した。


2050.8.16 7:12


 遠くに陽が昇り、水色一色の空模様となっていた。

 ヒトの喧騒はおろか、鳥のさえずりさえも喪われた世界。

 無秩序に変質したものどもの統一性のない声が、処女のごとき青空を冒涜していた。

 ふと、人類最後の男は、足を止めた。

 ミケル国立記念公園、だった、残骸。

 腐れ枯れた常緑樹の亡骸と、凄まじい外圧でねじくれた鉄柵が、敷地の外周を混沌と埋めていた。

 ルカ・キリエは、ふと考えた。

 理解不能である、と。

 三年前、全てが始まった公園。

 そこにたどり着いたから、足を止めた。

 そんな自らの行為が、理解出来なかった。

 それは自問ですらない。

 ただ“自分という存在は生産性のない行為を取る理由が無い”という大前提と、今の有り様が矛盾しているから。

 純粋に、理解が出来なかった。

 頭上に気配。

 ただし、化け物のように大きくは無い。

 それでもルカ・キリエは、正確に放たれた弓矢よろしく、速く鋭く跳び退いた。

 波形剣を、一点の曇りも無い正眼に構え、気配の主を見上げた。

 ……何の事は無い。

 単に、聖霊レイシアというものが、頭上をよぎっただけだ。

 夜の清流を思わせる黒髪と、質素な純白のローブをたなびかせた、若い女の姿を取っている。

 教国の始祖・レイシオの実姉にして、第一の腹心でもあった、レイシア・グラント。

 それが単独飛行している光景は、太古の時代から、当たり前に観測されている。

 日蝕の方がまだ珍しい、単なる自然現象だ。

 取るに足りない過剰反応だったと判断したルカ・キリエは、グリップの握りをゆるめて、波形剣を下げ――ようとしたが、再度、構えを固めた。

 聖霊レイシアが飛行を止めたかと思うと、ゆっくり高度を下げ始めたからだ。

 切れ長の目は、ルカ・キリエを見下ろしている。

 聖霊レイシアの存在自体は、珍しくも何ともない。

 しかし、高度五十メートルより下に降りてくるなど、有史以来無かった事だ。

 痣ひとつ無い素足が、音も無く地面についた。

 かつて人類が在った時代、聖霊レイシアを弓や投石器などで撃ち落とそうとした人間も一定以上はいた。

 だが、聖霊はなにものにも接触せず、なにものの影響も受けなかった。

 矢も炎も、聖霊の在るはずの空間を切っただけだった。

 非物質の存在とも言われていた人形(ひとがた)は、しっかり地を踏みしめているように見えた。

 人類最後の男は、未知の存在に対して、剣を向ける事で応じている。

 理解が出来なかった。

 己の、非生産的な選択に。

 護るものも、仇も、ゆかりの無い他人さえもいない世界で、

 なおも抵抗するのは何故なのか。

 敵を排除し、生き延びようとする理由は何なのか。

 不意に、聖霊が掌を突きつけてきた。

 ――儀式戦術。

 その言葉が、男の脳裏をかすめた。

 儀式戦術。

 生物の殺傷・物の破壊を目的に何らかの奇跡を願う行為の総称。

 火か、超高圧水か、大気の変質か、人為的な落雷か、疑似毒か。

 奇跡の形は、その人物の教養と思考に依存する。

 攻撃の形は千差万別だ。初見の敵に推測を巡らせても栓無い事。

 ルカ・キリエは、路面の残骸を蹴散らす脚力で聖霊の懐に踏み込んだ。

 降臨規模の広い儀式戦術を相手に剣士がすべき事は、間合いを詰めるのみ。

 聖霊レイシアの白い額めがけ、波剣をまっすぐに突き出す。

 死に際の儀式思考さえ許さない、頭脳への破突。

 頭蓋を刺し貫いた手応えがあったかは……ついぞわからなかった。

 ただただ、ルカ・キリエの視界を真っ白な光が埋め尽くした。

 否。

 その一面を覆い尽くす“白”の正体が光であるか色であるかさえ、判別がつかない。

 何も見えない。

 やむを得ず目を閉じるが、無意味だった。

 まぶたを透過して、網膜に直接突き抜けるような、純白の世界。

 音だけは変わらず。青空の静寂と異形のものどもが撒き散らす鳴き声の混ざったものが、呑気なまでに耳を障る。

 今、この瞬間までは。


2047.8.16 8:25


 何も見えない。

 否。

 あらゆる色彩あらゆる形があらゆる軌道で知覚しきれない速さで現れては過ぎ去る。

 何もかもが見えすぎて意味のあるものが何も見えない。

 身体の感覚も無く、意識だけがただ漫然と漂う。


《リーダー、ヘイ、返事をしろ!》

 本当に唐突に、身体が在るという感覚が戻った。

《応答しろ、騎士キリエ!》

 しかし、凄まじい虚脱感が全身を襲う。

 五体を分断されても平然と蘇るような男の精神力をもってしても、これには抗えず、膝の力が萎えた。

 生温い水溜まりへ、前のめりに倒れた。

 剣を、無様に取り落とす。

「筆頭騎士キリエから、サポートチーム騎士シェイ・デューンへ。託宣カルテの展開を要請する。ステータスは、私の物を表示してくれ」

 指示をしてから一呼吸の後、ルカ・キリエという個体のあらゆるデータが荒滝となって滑り落ちてゆく。

 一項目をコンマ秒で読み、ただ一文字も見落とす事なく情報を飲み下し。

ルカは、弛緩したかのような腕で長身を起こしながら、

「……無い」

 呆然と呟いた。

「異常が、無い」

《何だって?》

「今、私は、競合種から筋弛緩作用のある毒を受けたと推測して居た」

《バカな。今回のターゲットは、毒なんて持ってない。情報ソースはフライ枢機卿お手製の資料だ。間違いはありえない》

 ルカは、静かに頭を振る。

「毒はおろか、私のコンディションには一切の異常が無い。私の自覚症状とデータとが整合して居ない」

《マジか。オレが何かミスってるか》

「君がこのレベルのミスを犯す事は、有り得ない」

《じゃあ“祭具”の不調か?》

 祭具。

 ある一つの儀式を、人に変わって代行するよう、洗礼を施された品の総称。

 シェイがルカやシーザーの身体情報が取得出来るのは、彼らの着ている騎士の法衣・従士服の繊維に、そうした儀式を付与されている為だ。

 乗用車も、複数の祭具を組み合わせて成り立つ。動力・操舵・制動といった、各々の役割を担う祭具を複合させた品を、一口で自動車と呼ぶのである。

 騎士の法衣もまた、繊維一本一本が、奇跡的価値の異なる祭具群である。 その為、防刃性・衝撃吸収性・耐熱性・絶縁性を着用者の肉体に与え、負傷を二センチから三センチの秒間治癒効率で修繕してくれる。

 ただ、祭具はごく稀にだが、突然機能を止める事がある。

「祭具の故障は、精々一分程度で復旧する。それに、媒体の破損が原因なら、完全に奇跡降臨が止まる。

 機能が部分的に損なわれる故障等、聞いた事が無い。

 また、私の身体に起きた異変は、私自身が全て把握出来る」

 言いながらも、ルカは棒立ちだったわけではない。

 落とした剣を、拾い上げようと苦心していた。

 そう、先ほどまで竿のように軽々振り回していたはずの物を。

 愛剣は、まるで重さが何倍にも肥大化したかのように、容赦なくのしかかってくる。

 そして、気付いた。

「物質的に言えば、私の身体に異常は無い。

 どうやら、祝福による補正が極端に低下して居る為に、弱った様に感じただけのようだ」

 弱ったのではなく、強くなくなった。

 故に、フィジカルなデータとしては異常が検出出来なかった。

《祝福の降臨規模低下? それこそあり得ないぜ。

 アンタ、自分がいくつだと思ってる。二十一歳のいい年こいた大人が、祝福の強さをホイホイ変えれるものかよ》

 祝福の儀式思考は、深層心理で行われる。

 意識的な鍛練が不可能に近い以上、降臨規模は先天的な資質に完全依存し、十三歳前後の年齢で頭打ちとなる。

《ヒデぇ鬱とかになれば、低下しないとは言い切れないが》

「私は、鬱病やその他精神疾患を患って居ない」

《だろうよ……って、ヘイ、何してんだアンタ》

 ルカの背中に、後光がほとばしった。

 肉体強化の奇跡に追従した、副次光でしかありえない。

 過負荷が、関節と靭帯を食いちぎろうと、体内で暴れまわる。この程度の反動、今までならば祝福に任せて無かった事にしてきたものなのに。

 それでも物理的に鍛え抜いた肉体があれば、剣を持てるし走る事が可能だ。

 ルカにとって、それで充分だった。

「今、優先すべきは私の変調では無い。取り逃がした競合種と市民だ」

《今降ろした奇跡を即刻上書き消去して撤退しろ》

 ルカの筋繊維やその結合組織が緩慢に食い潰されていくデータ。

 非情なデジタルデータを放心の面持ちで見据えながら、シェイは抑揚の無い声で諌めるが、

「出来ん! 市民が街に残って居るんだ!」

 自ら身体を引き裂く片棒を担ぐかのように、全力で疾走しだした。

《正気か!》

「これが酔狂に見えるか? 頼むシェイ、もう少しだけ力を貸してくれ!」

 シェイは、ルカ以上の苦悶に頭を抱えながらも……一糸の乱れもない託宣処理を止めない。

「る、ルカさん、待って! 僕、体力的にもう無理!」

 遥か後方から、シーザーの追いすがる声もする。

 市民が、市民が危ない。市民が。

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