episode1-18
渋るシェイを筆頭騎士権限で説得し、託宣ナビを表示させながら、ルカは一人、騎士団車両を駆る。
乗り捨てられた車や、うずたかく積み上がった瓦礫、陥没した路面、そしてまばらに存在する軍や警察関係者を巧みに避け、奇跡的に推進力を水増しされた時速三五〇キロで、爆進する。
どうしても避けられない場合は、まさに運を“天”に任せて。
青い副次光や赤い副次光に包まれながら、駆ける。
十字路の連続する網目のような市街地を、光が駆ける。
乗用車にあるまじき直角の軌道で、駆ける。
上空で、聖霊レイシアが漂っている。
もし彼女がルカの車に注意を向けているのならば、さながらニューロンを巡る脳信号のイメージ図に見えた事だろう。
プロのレーサーでも実現が難しい最速タイムで、検問にたどり着いた。
シェイのナビが示す発生現場からは、まだ直線距離で二〇〇メートルは離れている。
これだけの戦線余白を空けないと、警官達の絶対的安全を保てないからだ。
車を降り、敏捷そのものの動作で警官に歩み寄り、敬礼。
一見、警官は冷静さを保っているようには見える。
プロは、背後に滅亡の病が蠢いていようとも、取り乱さないものだ。
「生存者は?」
「依然、数人が消息不明であります」
「了解。これより、執聖騎士一名、行方不明者の救助と滅病キャリアーの鎮圧を試みる」
「はい? 今、何と仰られましたか?」
呆気に取られた警官をよそに、ルカは荷台から剣を降ろし、ベルト式のアタッチメントで背中に装着。
多少重いリュックサックだと思えば良い。抱えるよりは遥かにマシだった。
改めて警官に一礼すると、迷い無く検問ラインを越えた。
見上げて目を凝らせば、三階建て相当の高さにそびえ立つ、有機的な輪郭が見えた。
そのシルエットは建物でありながら、無機物らしからぬ蠢動と身じろぎをしている。
端の部分がアメーバのように這い、今も少しずつ周りの土地を飲み込んでいる。
シーザーが、いつになく深く考え込んでいた。
「うーん」
自分の騎士が、滅病発生地に単独で突っ込んだ。
その救いがたい状況に対する悲観や緊張は、無い。
もっと別な、悠長な長考にふけっている。
「うーん、うーむ……」
置物のように微動だにしなかった未来人が、わずかに動いた。
「シーザー」
「はい?」
「お前は、あの私の命令通り、監視の仕事を全うした。そうだな?」
少年従士は、年相応の無知そうな顔で小首を傾げた。
「なぜに過去形?」
「さもなくば、あの私の叱責は免れまい」
未来人が、ほとんど密着するほどシーザーに接近していた。
それを認知してから逃げようとするも、遅い。
シーザーの頭部に、軽い打撃が走る。
あんまり痛くないや、と冷静に分別。
脳を損傷させる事無く意識だけを確実に刈り取る、緻密な計算のもとに行われた殴打だった。
そしてシーザーは、未来人の言わんとした事を理解。
確かに、夜明け前という憂鬱な時間にまでルカに怒られるのは御免だった。
これは、未来人なりの取引のようだ。こちらの内情を、よく調べている。
そして、シーザーの意識は、眠りの底へと沈んだ。
バレーラ宅を囲っていた五〇メートル幅の石造り塀が、 突きのようにルカの頭上を襲う。
これを〇・三秒前に見切っていたルカは、横跳びに退避。
落ちてきた塀は、重く、地味な破壊音を立てて路面をえぐり取った。
石塀はそのまま浮き上がって、宙を旋回し、横なぎにルカを襲う。
ルカの足腰に後光が走る。
背後へ、無理やりの三連跳躍。
果て無き面積の石塀が、分厚い風圧を纏って、ルカの目前を空振り。
祝福でフォローしきれない程の負荷がかかり、脚の腱が悲鳴を上げる。
ひざまずくような恰好となったルカが、石塀の舞い上がった先を見上げた。
ただの長方形が、まるで意思を持ったように柔軟な動きを見せる。
いや、実際それは“腕”だった。
バレーラ氏の店舗兼住居から伸びた、粘土じみた肉が塀まで伸びて絡みついているのだ。
その粘土肉は網状に壁面を覆い尽くしていた。
そして家の全周囲に枝を伸ばし、表の標識、樹木、そして石塀。あらゆる物体に絡みついているようだった。
それは元々、一個人の身体から出た肉だった。
無機物や植物と言った、まるで組成の違う物体になじみ、あまつさえ神経を通わせ、無分別に脳と接続してしまう万能細胞。
粘土肉と融合した物質は、全てが発症者の器官と化してしまう。
そして今も自己増殖し、近隣のあらゆる物を取り込んでいるのだろう。ルカの鋭い視力ですら、幅の全容を捉えきれない。
現代生物学の埒外にあっさりと飛び出してしまった、一個人の末路が、この家を包む肉だ。
これを放置すれば無限大に勢力を広げ、第二世代、第三世代のキャリアーが死ぬごとに、周囲の人々がねずみ算式に感染させられる。
理論上、人類は滅ぶ。
それが滅亡に至る病ともされる、滅病の恐ろしさだった。
長らく睨み合っていたルカと、ターン・ベーカリーの成れ果てであったが、
《ターゲットの座標軸一〇ミリ以上移動! 来るぞ!》
石塀――パン屋の右腕と化したそれ――が、垂直に拳骨を落とす。
ターン・ベーカリーが見せた微かな予備動作をキャッチしたシェイのサポートもあり、その抜き打ちは回避。
返す腕で、裏拳のような横なぎが来るのも予測済み。先ほどと同じパターンだ。
余裕で逃れたルカの後方、並木が六本、石塀に巻き込まれて、ほとんど抵抗も無くへし折れた。
大量の枝葉がこすれあう音。
幹の太い繊維が千切れる、六重奏。
立体的に襲い来る固体。
それによる圧倒的な打撃力は、ある意味で伝説の大地の秘術に通じる性質の驚異だ。
天の奇跡による氷塊や高圧空気の物量では、ここまでの重さを持つ打撃は難しい。
石や金属と言った、大地由来物質の恐ろしさは、基礎的な硬度と強度にある。
今度は、ターン・ベーカリーの左腕たる石塀が襲い来る。
まず垂直に。そして切り返すように、水平に。
建物が左右からコンビネーションを放ってきた。その程度の些事で、執聖騎士が戸惑う事は無い。
ルカはこれも、身体強化を行うまでもなく回避した。
だが。
《待て、そりゃフェイントだ! 後ろ見ろ!》
ルカをとらえ損ねて振り抜かれた石塀から粘土肉が枝分かれ。背後に停まっていた小型車に絡みついた。
車を包み込み、フレームの中に無理やり神経と血管をねじ込み、奇妙な金属音を鳴らし、瞬く間に同化。
そして伸びきった粘土肉は、車を呑みこんだまま超音速で縮む。
丁度、ルカの背中に当たる位置だ。
ルカは、これも見切ってはいた。
振り向き様、右手に握った儀式起点のロザリオを突き出すと、即時、儀式思考構築。
降臨。
ルカと車が正面からぶつかる瞬間、両者の間に青い副次光が爆発放射し、盾のような円形を描いた。
それは実際、盾であった。
ルカと車体が接触するという因果を、“面”単位の降臨点に散らす事で衝撃を分散させる、非実存の盾。
“暴走車に轢かれたが、幸いにも当たり所が良かった”という事例に等しい運命を呼び寄せたのだ。
ルカの身体は四散こそ免れたが、衝撃は殺しきれない。
足が離陸し、ボールのように弧を描き、後ろへと跳ね飛ばされる。
そして。
唐突に、激突するはずだった両開きのドアが口のように開いた。
高質化した粘土肉によって増量され、鈍重な城門のごとき厚みに成長している。
ターン・ベーカリーは、ルカを食べる気だ。
ルカは咄嗟に儀式思考を展開。
先程、因果の盾を展開した右手とは逆、左手にも握っていたロザリオを小型車に向けた。
青い閃光がルカを押し出すように噴射。
超音速で追ってくる小型車との因果を遠ざけられたルカの身体は、自然、進行方向に向かって飛ぶ速度を増す。
かつてパン屋の店舗だった異所に叩きつけられ、陳列棚が突き出た壁にぶち当たる格好で停止。
同瞬、ルカを噛み損ねたドアが勢いよく閉じた。
外で、ルカを追うように引っ張られていた小型自動車がドアに激突したらしいが、くぐもった音を立てるだけで、びくともしなかった。
ルカは、辛うじて動く手で、バラバラに砕け散った全身を走査・治癒の為の祈りを天に捧げた。
儀式起点であるロザリオを二つ持つ事で、これまでより更に効率的な防御や治療を可能とする。
その目論見自体は、どうやら成功だったらしい。
剣をまともに使えなくなったからこそ実現した、怪我の功名と言えよう。
死に体から、まばたきのような気軽さで完全復活を遂げたルカは、さっさと立ち上がって周囲を見回す……。
……が、それ以前にひどい臭気を感じた。
肉・魚・卵……あらゆる腐敗ゴミを濃縮し、そこにアンモニアと酢酸を惜しみなく振りかけたような、形容不能な臭いだ。
嗅いだが最後、数日は鼻孔にこびりついて離れないであろう、この臭気の発生源は――。
《退路だ! まずは退路を確認しろ!》
シェイとしては、悪臭の出所など二の次であるらしい。
その切迫した指示に、ルカは何ら疑問も挟まずに彼を信じ、振り返る。
両開きのドアは、一ミリの隙間なく閉じており、その、ゴムのようにも金属のようにも見える質感の肉を脈動させている。
ドアだけでなく、屋内の全てがこの調子だ。
床も壁も天井も、強固な肉と皮膚に守られて、脈打っている。
ルカは、少しのためらいも無くドアだったものを押してみた。
まさしく、隆々とした筋肉を押したような手触りである。
「……私の持つ手段では、開きそうに無い。撤退は不可能だ」
いくらかの力を込めただけで悟り、己の命運を見切った。
本人は、心底、気にしていないようだが、これは完全に二次遭難を意味した。
微妙な音を聞き分けたルカが、本能の赴くままに回避行動をとる。
最前まで彼の頭があった位置を、肉の塊が音を突き破って通過。
肉の壁に突き刺さったかと思うと、吸収されていった。
ここは今や、バレーラ氏の体内と化している。縦軸を含めた全方位を、弓兵に掌握されているようなものだ。
頭上から二発目。背後から三発目。前方から四発目。
射出された肉の矢は、ほかならぬバレーラ氏の体内に再び吸収され、還元される。
矢切れのない、半永久機関だ。
「成る程、見た所、一度に一発しか射出出来ない様だ。
また、射出される寸前、その部位の肉が隆起する。
それを見逃しさえしなければ回避は容易。命中したとしても、直ちに致命傷とはならない。
だが、私はそれで良いが、戦闘の素人であるミス・マルガリータに武術の心得は無いだろう。救助を急がねば!」
その言いぐさは、自分の置かれた絶体絶命の立場を理解していないがゆえか、現実逃避ゆえか。
シェイには測りかねたし、出来れば知りたくなかった。
それでも、肉の矢が射出されるポイントの予測データは、ルカに送り続けている。結局のところシェイも、忠実なのだ。
だが、応援も見込めないこの状況で、シェイ一人の健気な努力が何になろう?
たとえ超人的な集中力と精神力を持つ執聖騎士であろうと、軍用弓に等しい射撃を何時間も避け続ける事は出来ないだろう。
ここで射殺されるか、やられる前にアマド・バレーラを殺して家喰い肉塊の仲間入りをするか。
残された選択権は二つしかない。
《アー……、リーダー。その、何だ。気をしっかり持つんだ。だが、万が一と言う事もある。
今ばかりは、オレに出来ることなら何でもしてやろう。まあ、せめてもの慰めっつーか……その……アンタでも、思い出に残る曲の一つくらいあるんだろう? 流石に》
異様にルカを気遣う調子で、シェイが言った。もはや、ルカの生還を諦めかけているようだが、
「そうか、有難う。では早速の頼みで済まないが、そこの遺体を調査したいので復顔法の処理を頼む」
ルカには、シェイの諦観と悲哀が届いていない。
ただ、店舗の片隅に転がっている胸から上だけの腐乱死体を見ながら、いつもの生真面目さで指示するのみ。
シェイはもう、何も言わない。否、言えなかった。
ルカの見つけた遺体は、ほとんど白骨化していた。
表情筋までボロボロに崩れてもなお、断末魔の表情がうかがいしれた。
そのしゃれこうべを、ルカが視覚から捉えて、形状分析。
シェイに渡す。
当然、断続的に襲い来る肉の矢を躱しながらなので、じっくり観察する隙は無い。
だが、それでも充分だった。
シェイが、即座に肉付けしたシミュレーション結果を返してきた。
モデルとなったのが現場のデスマスクである為、激痛と恐怖に歪みきっているが、鼻筋の通ったハンサムな若者だった。
《クラーク・オルコット。恐らく、マルガリータの彼氏か何かだったんだろう。家族から市警へ、捜索願いが出てたよ。
下半身が無いのは、アンタがそうなりかけたのと同じように、そこのドアに喰いちぎられたからだろう》
「如何言う事だ? バレーラ氏の滅病発症は、今日判明したのだろう。彼の状態は、死後少なくとも一週間は経過して居る。辻褄が合わん」
《……》
鼻先に飛んできた肉弾を、ロザリオをかざして逸らし。
ルカは、店舗から住居へと続く通路を睨んだ。
「生存者の可能性が残って居る限り、諦めはしない」
墨を何重にも塗りたくったような、数多の黒に彩られたクロネの夜景。
本来、街灯となる光を降臨させる照明員が無数に駐在し、眠らない街と称される大都市。
照らす者を失った都市は闇にまどろみ、傭兵達が不規則に降ろす奇跡的爆轟や軍用車の照明ランタン、パトロールカーの警告灯ランタンの明滅だけが、かすかな光源だった。
だからこそ、光り輝く建物の存在は、悪目立ちしていた。
正常な光を失ったクロネの中にあって、唯一、照明祭具による透き通った冷光をちりばめた高層建築物。
幾何学的な骨組みに、ガラスを張り巡らせたそれは、俗に“氷の王宮”と呼びならわされ、クロネの観光スポットとしての顔も持つ。
キリエ・ファクト社・本部。
シャトラ教国の膝元でもある大都市に、空前絶後の紛争を一夜でもたらした、桐江清一郎の居城。
今、トリケラトプスのごとき威容の車影が十台あまり編隊を組み、反対車線をも含む公道全てを占拠しながら邁進していた。
目指すは、件の“氷の宮殿”だ。
車体には、いずれもフォース・オブ・キリエ社のロゴマークが堂々とペイントされている。
だが、重装甲車の一つ一つに備わった大容量前照灯ランタンが、行く手に立つちっぽけな人影を映し出した事で、進軍は止まる。
それは、たった一人の男。
手枷で拘束された執聖騎士の若者だった。
前を行く運転手は、忌々しげに舌打ちをしたに違いない。
この状況下で、市民の一人や二人くらい轢き殺しても、揉み消しようはいくらでもある。
しかし、執聖騎士が相手では装甲車の下敷きにしたくらいで死ぬ保証がどこにも無い。
目先のタイムロスを惜しんでシャトラと事を構えようとする程、キリエ社も傲慢では無かったらしい。
仕方なく車を停めると、何人かが車を降りて、道に立つ騎士――未来人を称する男を取り囲む。
騎士が形状を保って居られるか、挽肉にされるかは、傭兵達の判断一つだ。
携行式合成棍棒を肩に担いだ人相の悪い男が口を開く、まさにその寸前に、
「貴様等と話す余地は無い。桐江清一郎を呼べ。そこの車両に乗って居るのだろう」
未来人は、淡々と、しかし、傭兵達が自分に従うのが当然であるという調子で命じた。




