episode1-15
都市を包む大火事に、肌が火照る。
宵闇に支配されかけていた遠景は、再び斜陽の色で焼き焦がされていた。
建物の周囲は、老若男女、白人黒人黄色人種様々の武装市民に包囲されていた。
ルカ達――つまり、怨敵たる執聖騎士団――が建物を上った所を目ざとく見つけた者が居たのだろう。
「レイシオ・グラントに踊らされた、哀れな傀儡ども。上獅子に悔いと会心を述べれば、せめて苦しまないようにして消してやるぞ」
統率者らしい老人が、三又タイプの汎用戦槍を構え、叫んだ。
クロネ焼き討ちという空前絶後の所業に興奮し、半ばトランス状態に陥っているようだ。
「凡そ、十名。私が血路を開きます」
リナが、刀を抜き放って冷然と宣告した。
社会通念上、女学生の言う事では無い。
「おい、リナ、何を――」
「まって、リナちゃん」
テレサが、ルカとリナの前に進み出て兄妹を制した。
そしてルーズベルト大鎌を顕すと、柄で地面を突いた。
「こ、怖かねえ、怖かねえぞ、そんなもん!」
声変わりもしていない少年が、身の丈を超す騎兵戦斧を手に、威勢を張った。同胞から祝福の才覚を買われたは良いが、ろくな実戦経験を積んでいないのだろう。
上獅子に尽くせば永遠の命が待っている。対物長柄武器で挽き肉にされる程度の事は、乗り越えられると本気で考えているらしい。
テレサが唇を引き結んだのが、合図となった。
足下、遥か深淵から轟く鳴動。
路面が剥がれ、破片が細かい砂粒にまで分離。
武装市民達は、地表から消えた。
誰一人地上に残れなかった。
彼らには、何が起きたかわからなかっただろう。
そして、今後、いくら思い返して考えても、一生わからないままだろう。
辛うじて、自分が地中に落とされた事を察したのが一人か二人居る程度か。
流砂が循環し、もがいてももがいても、体に力が入らない。
「あとで救助はよびますから、我慢してください」
地中三メートル程度の戦線外へ追放された武装市民達は、穴の底からただ無念の怒号をあげるのみ。
ルカとリナだけは、一瞬だけ呆然としたものの、棒立ちで居るわけにもいかない。
未来人とシーザーは、テレサに続いて既に走り出している。
すぐに脱落しかけたシーザーの首根っこを、同じくらいの背丈しか無いリナが掴み上げ、器用に持ち運ぶ。
右手の刀は、抜き身のまま。
テレサは走りつつも、鎌の柄で地面を小突く。
当然、接地のためだ。
目視範囲内の道路やタイルが、極めて微細な粉塵にまで瞬間分解され、濃霧と化して街を覆う。
目と気管に砂が入り込み、武装市民は、殺し合いどころでは無くなる。
自爆をいとわない上獅子派と言えど、視界も不確かな中でそれを実行する者はいない。
上獅子の為にならない自爆など、無駄死にでしかない。
恐るべき事に、この砂塵、かなりの面積をカバーするだけの降臨規模でありながら、まとわりつく対象が完璧に識別されている。
ルカ達や警官の身体とは常に反発し、ほとんど影響を与えていないのだ。
広降臨規模、かつ、精密な降臨点制御。
これを、混沌きわまる撤退戦の最中にやってのける人材は、執聖騎士の中でもそうは居ない。
それも、伝説の大地の秘術を模倣する事は、儀式設計の観点から言えば無駄が多い。
これほど複雑な儀式ロジックは実現が難しいはずだ。
リナは、テレサの横顔を横目で見てから、人知れず眉をひそめた。
何者だ、と。
実際、天の奇跡による模倣などではなく、伝承の中にのみある大地の秘術が目前で展開されているだけなのだが、リナには知るよしもない。
それでも、
「危ない!」
ルカが、突然テレサをはね飛ばした。
砂塵に濁った、激しい閃光。
ルカの全身が一瞬、余さず発光。五体を、確かな形を持つほどに濃密な電流が、這いずり回った。
全身が沸騰し、壊死・炭化。心停止。肌に、葉のような電紋が広がる。
ルカは、本来テレサが立っているべき位置で、前のめりに倒れた。
「あ……わ、わたし」
の、ミスだ。
前の砂塵の範囲内から抜け出し、新たな砂塵を発生させるまでの、一瞬の間隙を突かれた。
テレサが、口許を覆って息を殺すのも一瞬、
「おいおい、雑魚を狙ったら、上物がかかったぜ。すげーウケる」
「よくやった。特別に五ポイントくれてやるよ」
下卑た笑みを交わす、黒人の男と短髪の巨漢が、アパート三階のベランダに。
「おいおい、なにその上から目線」
黒人の方が、儀式起点の杖をテレサに向け直した所だった。相棒に対しておどけながらも、眉間は殺意に歪んでいる。
元々は、テレサを狙ったのだろう。
近代儀式戦術は、初見では互いの手の内を読めない。
お互い、何をしてくるかわからないのだ。
そんな常識の中、ただのマイケルは言わずもがな、この男のように放電や落雷を専門とする戦士はごまんと居る。
つまり、戦場では実質的に光速の攻撃が来る事を常に想定し、他人の降臨点を先読みして対応しなければならない。
ルカが儀式執行者を発見し、テレサをかばったタイミングは完璧だった。
自分の身をかえりみなかった事を除けば、だが。
加害者である上獅子派の男も、まさかルカに当たるとは思わなかったのだろう。
「騎士だぜ、騎士を殺したんじゃね、オレ! 上獅子様、見てますか? やりましたよ、オレ!」
法衣の絶縁性能を凌駕するだけのジュール熱が、騎士を体内から焼き尽くした。
即死しないまでも、まず助からない。
「騎士を殲滅すれば、大抵の隊は瓦解する。笑える命乞いをした奴だけは、助けてやるぞ」
上獅子派の二人組の認識は、一〇〇パーセント正しい。
騎士が死んだら、従士とかパンピーなんてものは、逃げ惑うか命乞いをするのが常だ。
だから、
「え?」
抵抗される可能性を、念頭に入れられなかった。
黒人の背後に墜ちた轟風。
何か、生ぬるい液がはねて、彼の頬に付いた。
弛緩した顔のまま相棒を見やる。
上階から落ちてきた未来人に、巨漢の顔面は踏み砕かれていた。
巨漢は、二階建ての建物一軒を素手だけでむしり、一分で解体出来る程の超戦士だった。
その祝福を一手に司る優秀な脳は、少しの役目を果たす事も出来ないまま、頭蓋ごと粗挽きとなった。
黒人の男は、巨漢の死体がベランダの柵にもたれ掛かるより速く、飛び降りていた。
相棒の死よりも、自分に降りかかる驚異を予測しての、素早い判断だ。
だが、
「おいウソだろ!?」
刀を右手に持ったリナが、ベランダの柵を順に飛び移り、足下から肉迫して来た。
ルカを倒した男は、壁のわずかな凹凸に飛び移り、逃げる。
だが、リナも窓枠を足場に跳躍、大きく距離を詰めた。
刀の間合い。
地に足がつかず、身体の側面が壁にこすれそうな、不安定な空中で、両者は向かい合った。
男は、リナの身のこなしから、彼女が帯びる祝福の程度を目算。
――計算完了。並程度だ。
刀の重量と強度を加味しても、儀式杖でブロック可能と判断。
黒人は既に、騎士をも殺す電流の儀式イメージを紡ぎはじめてもいる。
――縦に切断する。
リナの思考を、澄み渡った理路が走った。
鈴のひと振りに似た音を聞いた直後。
黒人男の思考は永久に途絶えた。
和禰刀は、すり抜けるように儀式杖をカットすると、男の頭を鼻の高さまで両断していたのである。
リナは早々に刀を引くと、飛び降りた。
遅れて、物言わなくなった男の身体が、逆さに墜落した。
肉が路面を叩く、水っぽい音を背景に、
「失敗」
と、リナは冷静に自己評価した。
兄ならば全身を破砕してのけたろうし、叔父ならば完全に真っ二つに切断していたはずだ、と。
役目を終えた風の未来人も、黙々と隊列に戻ってきていた。
テレサは、声を失い、ただ成り行きを見るしかできなかった。
そこへ、
「怪我は無いか、ミス・バーンズ」
肩に手を置かれた。
そこには、焼死体となっていたはずのルカが立っていた。
傷ひとつなく、壮健だ。所々、炭化した前の皮膚が付着して、薄汚れてはいるが。
「そしてリナ! お前は――」
「この区域は最早、紛争状態にあります。市民の自衛権を糾弾する資格は、執聖騎士と言えど有りませんので」
そして、ルカの儀式医としての腕は知らないでも無かったが……テレサは ただただ、目を丸くした。
もはや、彼女の言語中枢が、この兄妹のありように対してついていけなかった。
「まあ、いつもの事ですから。そんな事より、急いで逃げましょう」
シーザーが、淡々とフォロー。再びリナに襟首を差し出して、持ち運ばれて行った。