皇帝とネコ
夢を見ていたんだ。暗闇の中、深淵の奥底から輝く世界を見ていた。
俺と言う存在は唐突に誕生して生まれた時からずっと一人で、思い描いていた理想を見ていた。
ただ、見るだけで求めても手に入らない夢の世界だ。
それは一匹のドラゴンの物語だ。
苦労することもあるが、いつだって楽しそうな物語。
俺は読者でしか無くて、ただの傍観者でしかなかった。
だから、俺は欲しかったのだ。
居場所が欲しい、何も為す事なく朽ちる運命を否定したかった。
見ているだけという死んだような俺はこんな世界でなく、苦痛も幸福もある奴の世界へと生まれたかった。
だから、俺はもう一人の居場所を奪った。
奴が死に掛け、ドラゴンに食われる間に肉体を奪った。
魂を食い漁り、奴の記憶も存在もほとんど奪った。
もう少しで、俺は理想の自分に……
夢の世界に生まれる事が出来るはずだったのだ……
なのに邪魔をするのか。
貴様は俺の邪魔をする気か。
俺では奴の代わりにはなれないのか、なぁ……
我が主よ……
耳障りな喧騒が聞こえた。俺はそれに煩いなと煩わしさを覚えた。
そして、ゆっくりと目を開けた。どうやら、眠っていたようだと自覚した。
周囲を見渡すと、そこは一面が土だった。まるで、巨大な何かが掬い取ったような凹み。
クレーターの中心で、俺は目覚めた。
随分と長い事眠っていたような気がした。前後の記憶は曖昧で、意識がはっきりしない。
ただ、何だか悔しいような悲しいような夢を見ていた気がした。何となくは思い出せるが、どんなだったかは分からない。
「ここは……」
自然に零れた言葉、俺はそのまま記憶を探る。
段々と思い出していく記憶は竜に追われる自身の姿があった。
そして、次に空を見ながら落ちて行く記憶。
群がる竜の群れに自身が喰われ、それに対抗して自身も竜達に噛み付いた記憶。
いつしか、竜は全滅した。狂ったように俺を喰らい、俺に喰われて消え去った。
俺はそれでも空腹で、目に写る全てを口の中へと入れていく。肉体が液体のようにドロッとした何かに変わって周囲を喰らう。
「なんだこれは……」
混濁した記憶、酷く酔っていた時の記憶を思い出したようだった。
まるで、自分が自分じゃない気がするような記憶だ。
「あぁ、そうか。そうだったな……」
思い出そうとしたことで、水門が開いたダムのように記憶が激しく奔流となって流れてくる。
それは一匹のドラゴンの物語だ。憑依され、見る事だけしか知らなかった竜の人生。
ソイツが俺になろうとして、そして呆気なく殺された記憶。
俺の知っている記憶を別視点から見た記憶。もう一人の俺の記憶だった。
「お前は俺か……」
俺は泣きながら笑っていた。
複雑な心境の真相。
それは、同情しながらも生き残った事を喜んでいるのか。
それとも、吸収された事が悔しく、だが同時に一つの生命として誕生した歓喜か。
答えは分からなかった。
喧騒の原因は、俺が攻撃しなくなったことによるものだった。
アレだけ小さく見えていた都市が大きく見える。
正確には大きかった俺が小さくなったから、そう見えるだけだ。
すぐに人が来ることだろう、相手をしても良いが俺はルージュに呼ばれている。
俺は新たな身体を軽く動かし、その動きを覚えて行く。
今や俺の身体はドラゴンとして破格の性能を持っている。
本来俺が知っていなければいけない知識すら完全に溶け合った故に知っている。
魚が泳ぐように、人が呼吸する様に、出来て当たり前の事を俺は知ったのだ。
キメラドラゴンの本能で理解している能力、それは食べた物の再現だ。
「さぁ、向かおう。我が帝国へ」
俺は新たな能力で雷となって帝国へと飛びだした。
ヤンヤンが帝国へと向かっている間、ルージュは帝国軍部にて指揮を執っていた。
命令はただ一つ、本国へと撤退せよという物だった。
これから始まる闘争に、一人でも多く巻き込まない為だ。
「ふぅ……」
執務室のデスクにて、報告書片手に溜息を吐くルージュ。
その目の前には報告に来たコボルトの軍人がいた。
「陛下、何か悩み事でしょうか?」
「何でもないわ大佐、それよりどのくらい帰還したかしら?」
「ハッ、それが血の気の多い奴等ばかりで芳しくはないです」
そうか、とルージュは報告を聞いて返事をする。
初めて書類から大佐の方へと視線を移すと、なんだか懐かしい事を思った。
そう言えば、彼のお婆さんは自分の元で働いていたな。
「そう言えば、君の祖母は元気かね?」
「祖母は二年前に他界しました」
「何だと……そうだったのか……」
「我々は寿命が短い種族ですのでお気になさらず」
また一人、知り合いが死んだか。
少しだけ感傷的になったルージュは、報告に来ていた大佐を部屋から退室させて椅子に寄り掛かりながら目を瞑った。
眉一つ動かさず誰かが死んだ報告など聞き飽きていた自分が、知り合いと言うだけで感慨深くなる。
本当に自分は人を従えるような器ではないなと再認識したのだ。
目を瞑っていると、ルージュは大佐が来る前に悩んでいた事を思い出す。
まぁ、原因は魔王の一言なのだが自分のありようについて考えていたのだ。
魔王はルージュに対して王のあり方を問うた。
王とは、主義や主張に哲学を持った存在でなければならない。
簡単に流されて影響されて振り回されるお前は真に王ではないのだ、そう言った。
それを聞いてルージュは共感してしまったのだ。
自分は昔から変わらず凡人なのだ。
世界の中心にいるような主人公に振り回される脇役なのだ。
才能が無かったから人間をやめて、才能に勝る物を手に入れた。
頭の機転も呑み込みの良さも記憶力だって人間以上になった。
だから、簡単に生きていけたのだ。
大きな組織を運営したり、建国したり、普通の人間では出来ないような偉業を為したことに満足していた。
ただ、憧れた主人公のような自分で満足していた。
だが、それは偽りの現実なのだ。
今までやって来たことは成り行き任せであったり、人の影響を受けてだった。
戦争だって、宣戦布告されたから始めたのだ。
自分は何にも持ってないのだ。
そして共感してしまったルージュに魔王は問うた。
なぜ、お前は戦っているのか?何を為すために闘争に挑むのか?なぜ、そこまで生きたいのか?
「なんとなく、そうとしか言えないのよね……」
ルージュは魔王の問いに答える事が出来なかったのだ。
そして、だから自分は凡人なのだと理解した。
答えを見つけるまで、自分は主人公にはなれないのだ。
ヤンヤンの無事が確認されて数日後、帝国内の城に雷が落ちた。
騒然とする使用人達が見たのは、中庭に下り立った竜の姿だった。
黒い肢体を地面に食い込ませ、威風堂々と佇むドラゴンだ。
ドラゴンは庭にいた一人の給仕を見下ろした、その鋭い眼光と恐ろしい牙がゆっくりと給仕の方へと向かって行く。
蛇に睨まれた蛙とはこの事かと言わんばかりに、給仕のメイドは固まった。
他の者達は蜘蛛の子を散らすように去って行き、敵襲などと騒ぎ立てていた。
何故、最初の犠牲者が自分なのかと不幸に嘆き涙を垂らしながら固まる。
そんな彼女の目の前で、ドラゴンは光り輝き姿を変えていく。
「な、何……」
震えながら紡ぎだされた声、それが指すのは一匹の黒猫だ。
ドラゴンが黒猫になって、自らの胸に飛び込んできたのだ。
思わずキャッチしてしまったが、自分の胸に頭を擦り付ける猫に困惑する。
どういうことだろうか?何だこの状況は……
「ヤンヤン!」
「陛下、危険でございます!」
その時、声が聞こえた。
扉を蹴破った声の正体、それは皇帝陛下だった。
無意識に、頭を垂れて給仕は出迎える。
何でここにいるの、部屋に引き籠ってろよ馬鹿陛下!
なんて、内心愚痴ってしまいながらの行動だった。このメイド、不敬である。
「いないじゃない!本当にドラゴンがいたの?」
「そんな筈は、おいメイド!ドラゴンは知らないか!」
大臣の一人がメイドを呼んだ。
おそらく、誰かが先程の事を上の人間に報告したのだろう。
今後の事情聴取を考えると運が無いとすら思える。
「あ、あの……」
「やっぱり知っているのか!」
「こ、これが……」
両手に捕まれて、手足をブラーンとした黒猫をメイドは前に差し出す。
ご丁寧に挨拶するかのようにニャーンと鳴く、黒猫だ。
大きさは小さく、子猫である。それをドラゴンだと言って信じられないだろうとは思ったが一応伝える。
「子猫がなんだというのだ!馬鹿にしているのか!」
「ド、ドラゴンなんですよ!私も分かってないんですから怒鳴らないで下さいよ!」
ニャーニャー鳴く子猫を前に、泣きそうになりながらメイドは伝える。
大臣に怒鳴られた事も原因だが、主に皇帝陛下が無表情で射殺すように視線を向けているのが一番の理由だ。
「大臣、もういいわ」
「しかし陛下――」
「ハァ?」
「うっ……私、急用を思い出しました。失礼いたします!」
お前に急用なんかないだろ!走り去っていく大臣を見ながらメイドは思った。
何で、お偉いさんと二人きりにしたんだ!許さない、絶対に許さない!
自身の気苦労の分だけ復讐してやりたくなった。
目の前には微笑を浮かべる皇帝陛下、中庭の渡り廊下にいるのは自分と皇帝のみ。
そんな状況で、皇帝は口を開く。
「殺すぞ?」
「な、何で!?」
ビクッと手の中で子猫が震えた。思わず驚いた反応に子猫が反応したのだ。
子猫はプルプルしながら、暴れて手から零れ落ちる。
そして、そのまま皇帝の方へと向かっていた。
猫ちゃん、どうしてそっちに行くの!
殺される自分を見捨てて、媚でも売ろうと言うのか。
しかし、子猫は自分の考えているような事をしようとした訳ではなかった。
子猫は必死に皇帝によじ登ろうとしていた。そう、自らの存在を訴えかけて自分を守ろうとしていたのだ。
猫ちゃん……うっ、貴方を信じきれなかった私を許して!
「次やったら、殺すから」
「ニャーン……」
メイドは自分の何かのせいで罰せられる代わりになった子猫を見て涙を流すのだった。




