嫉妬の慢心
気付けば俺は部屋の中に戻っていた。
いや、戻っていたというのは正確な表現ではないか。
長い長い、夢のような時間であったがきっと一瞬の事だったのだろう。
何故なら部屋の外にいる飛鳥達が入ってきていないからだ。
白骨死体は無くなって、後には灰とローブだけが残っていた。
横にはルージュが立ったまま寝ており、器用だなと場違いな感想を抱く。
暫くして、ルージュは目を覚ました。
その目には涙が浮かんでおり、視線はどこか遠くを見ていた。
何だか懐かしむようなその眼差しに、彼女が何を見たのか少しだけ分かった気がした。
「おはよう」
「とても優しい世界だったわ。誰もが幸福で、誰もが死なない、終わってしまったのね……」
「そうか」
どれだけ居心地が良かったのだろうか。
自力で立ち直る事が出来なさそうな様子に、少し心配になる。
心がここに在らずな状態で次の部屋に迎えるのか心配になったのだ。
だが、それは杞憂であると彼女の目が雄弁に語った。
「でも、夢は夢ね。私の居場所は、私の現実はここですもの」
「大丈夫そうだな」
「えぇ、飛鳥達を呼んで次の部屋に行きましょう」
部屋を出た俺達は飛鳥達と合流して、最後の魔女の部屋へと向かった。
残る敵は嫉妬を司る魔女である。
どういう能力なのか、それは分からないが搦め手で来ることは間違いないのだろう。
先行していた飛鳥が階段の途中で止まった。
どうやら別の世界の自分と重なったようだ。
怪しい電波でも受信している風に見える飛鳥は、この部屋の先を知ったのだろう。
「分かったわ」
「今回は分かったのね」
「また私以外全滅したわ」
またかよ、と皆が口々に言う。
流石に後半、大罪の魔女の中でも強い奴らが出張って来るのかと思えば当然なのだろうか。
愚痴を言いながら俺達は次の部屋のドアを開けた。
その部屋は無人で、至る所に料理が出来たての状態で置いてあった。
キッチンとたくさんの冷蔵庫、テーブルの上に並ぶ数々の料理。
あれ、部屋間違えたんじゃないか?
「ここは……暴食の部屋ね、私達の目的の相手の部屋じゃないわ」
「なんだこれ!上手いぞ!あれ、映画で出た奴だコレ!豚になる奴!」
「おい、こっちには別のがあるぞ!パンとトロトロチーズだ!アルプスがここにあるぞ!」
「ぐっ、どうやらアニメや映画の食事を再現したようだな。上手すぎる!」
「虹色に肉が光ってるわ。意味が分からない、どういう構成物質なの……」
次の部屋に行こうとした飛鳥以外が、部屋の中を物色して手付かずの料理を口に放り込んでいた。
その光景に飛鳥は頭を抱えて唸っていた。
俺達、結構自由だからな。苦労が絶えないのだろう。
それにしても、美味い物がたくさんある部屋で素晴らしいと思う。
暴食さんのセンスが光ってるぜ、惜しい人を亡くした。
俺はミミックの丸焼きを食べながらしみじみ思った。
何で漫画とかアニメの食べ物知ってるんだろう。食欲が次元を突破したのだろうか。
そしてどんちゃん騒ぎの後、腹ごしらえが終わったので次の部屋を目指す。
と言っても残ってるのは嫉妬の魔女の部屋だけである。
階段を上っていくと、遂に部屋が見えてきた。
壁に一枚の鉄の扉が付いたシンプルな作り、この先に残る敵がいるのだろう。
飛鳥の未来の記憶によれば、飛鳥以外が中に入って全滅したのだった。
そこで、憤怒の魔女の時のように違った行動を取る事にした。
他の世界では取られる事の無かった方法、俺達が最初の一回になる方法だ。
扉を開き、中に入ったのは俺とルージュだけだった。
それには理由があるのだが、今は割愛する。
部屋の中にはそれなりの調度品が置かれておりシンプルな部屋だった。
今までと違う普通な部屋だ、平凡すぎて奇抜な所がまったくない部屋だ。
部屋の主は奥にいた。
暗い部屋の、ベッドの上で、此方を見据えて待っていた。
顔は痩せこけ、髪はボサボサで人というより幽霊と形容した方がいい見た目。
そんな女と、目が合った。
「ここに来たと言う事は、他の者は敗れたのか」
「お前が嫉妬の魔女だな」
「あぁ、私が嫉妬を司る大罪の魔女エンヴィーだ」
女は視線を合わせたまま口を開いた。
動かず、それこそ警戒する素振りすら見せていなかった。
その出で立ちは堂々としていて、気負った様子は伺えない。
何を企んでいるのだろうか。
今までの魔女達と比べた結果、そんな事を考えてしまう。
何もしていないということはまずありえない。
であるならば、この態度の理由は……
「まさか!?」
「気付いたようだな。お前達は既に私の攻撃を受けている」
既に攻撃を完了していたのか、という予想は当たっているようだった。
出遅れたことに俺達は遅れながら気付いたのだ。
「やってくれたわね!」
「無駄だ」
悔しげにルージュが顔を顰めて、魔法を展開しようとする。
しかし、それはエンヴィーの一蹴するような一言により失敗した。
魔法が失敗したことにルージュの顔が驚愕に染まる。
何故、何で失敗した、と信じられない物を見るような目で驚いていた。
そして、ルージュは自身の違和感に気付く。
当然、リンクしている俺もその違和感に気付く。
それは、魔法のコントロールが難しくなっていたのだ。
思う様に動かせないのではなく、動かし方を忘れてしまったような独特の違和感。
まるで、魔法を覚え始めた未熟な頃に戻ってしまったような違和感だ。
「何が……」
「嫉妬の術式の効果は単純明快、自身よりも優れた物を劣化させると言う物だ」
エンヴィーは語った。
嫉妬とは自分がない物を羨む行為である。
嫉妬とは自分より優れる事を憎悪する行為である。
故に優れた者を憎悪し、それは呪いとなり、他者の足を引っ張るのだと語った。
嫉妬の術式、その効果は敵を弱体化させ、劣る存在に変えるという物だった。
「今のお前は私よりも魔法が使えない存在だ。持っていた膨大な魔力も行使できる魔法も制御する事は叶わない」
「ふん、魔法が使えなくたって!」
ルージュは普段のように移動しようと踏み込んだ。
床を蹴り付け、敵の懐へと迫ろうとしたのだ。
だが、それは劣っているルージュには出来ない事だ。
「ぐっ!」
「無駄だ、身体能力も私以下だからな」
踏み出した足は、すぐ傍に移動させるに止まる。
普通の人間が前に跳んだのと同じ距離、吸血鬼の身体能力ではあり得ない短い距離だ。
「貴様は勝てない、何故なら劣っているからだ。劣っていると言うのは、それだけで苦痛であり悪だ。どんなに努力しようと心を奮わせようと、劣っている時点で全ては無駄なのだ」
「久々よ、こんな屈辱。嫌な学生時代を思い出すじゃない」
「無駄な足掻きよ、何故そうまで努力する。報われない努力に何の意味がある。出来もしない事をやろうとする姿は醜く滑稽だぞ」
「うっさい!」
ルージュは駆けだした。
駆けだして、そして嫉妬の魔女エンヴィーに向かって殴り掛かる。
身体能力は劣化して、その肉体強度は敵よりも劣っている。
しかし、それでも変わらなかった物があった。
「喰らいなさい!」
ドンッ、と思い踏込みから流れるように腰が捻られる。
回転を乗せ肩に伝わり鋭い拳が放たれる。
力は伝動し、拳が抉られる様に敵に当たる。
「ぐっ、小癪な」
「あがっ!?」
エンヴィーの顔にルージュが培った戦闘技術から放たれた拳がぶつかった。
しかし、それは多少のダメージしか与えられず思わぬ反撃をルージュは喰らい後方に蹴り飛ばされる。
「ルージュ!」
俺が叫ぶ直前にエンヴィーが何かを放つような動作をした。
何をしたかは分からない、だが何かをされたのは確かだ。
「ハァハァ……どうやら格闘技は劣化してないみたいね」
「馬鹿が、戦闘技術だっていつかは劣化する。そして、既に貴様は身体の動かし方を忘れている」
「なるほど、アンタの術式は明確に対象を指定しないと劣化できないみたいね。そして、さっきの動きが関係している」
「それが分かった所でどうした!貴様は私以下のゴミクズなんだよ!」
エンヴィーは見下す様に笑った。
そして、どこからか剣を持ち出していた。
魔法か何かで召喚したのだろうが今のルージュには分が悪い。
「死ねよ、カスが!」
「ッ!?」
剣が、回転しながら宙を飛んだ。
投げられたそれはルージュ目掛けて飛んで行く。
ルージュがそれを何とか転がるようにして避けるが、続いて第二波、第三波と新たに剣が飛んできた。
いったい何本持ってるんだよ、クソが!
俺は悪態を吐きながら肉の壁としてルージュの前に立つ。
剣が突き刺さるが、すぐさま再生する肉体に押し出されて床へとそれらは落ちて行く。
ルージュはそのうちの一本を手に持ち、俺の影に隠れながら敵へと迫った。
「チッ、異常な回復力め……妬ましい」
「ガハッ!?」
「ヤンヤン!」
エンヴィーが術式を使ったのだろう。
身体が一気に重くなり、転倒してしまった。
大した量の血は流していないのに、目の前がクラクラして意識が朦朧とする。
傷は癒えず、剣は突き刺さったままで、そしてその数を増やしていく。
「立ち止まるな、奴は自分で投げている。避けられない程ではない」
「でも!」
「大丈夫だ、奴を倒せば術式は解除される……筈だ」
解除されなかったらどうしよう。
その時は、その時で考えよう。
俺はまだ奴によって行使できなくなってない能力を使う。
それは変身、肉体を圧縮しその表面を剣よりも硬い物へと変えて行く。
ボーリング玉のような肉体になって防ぐのだ。
奴も妬ましい対象として、認知していなかったのだろう。
故に封じられてるか分からなかったが、この力は使えたのだ。
まぁ、普通の生物は魔法以外じゃ変身出来ないしな。
「終わりよ!」
「回復力は私と同じにした。貴様は死ぬのだ!グフッ」
「ガフッ……」
それは相打ちという結果に収束した。
優位にありながら慢心する魔女と劣っていながら決死の吸血鬼、優劣はあれど気構えが勝敗に影響を与えた。
両者の力量が拮抗してしまったのだ、それ故の相打ち。
「早く、早く回復しなければ……」
「残念、終わりよ」
「えっ?」
かと思えば、目の前で貫かれたルージュの身体が霧となり霧散した。
そして剣を振り被った状態で魔女の後ろに現れて、その首を切断した。
あっ、アイツも変身できるんだった。




