憤怒の誘惑
ここは……
俺は重い目蓋を開きながら周囲の状況を探る。
視界の端では仲間達が戦っており、自分が気絶したことを思い出す。
誰だアレは?いかん、混乱しているのか。
「ぐっ、そうだ……」
一瞬の頭痛の後、俺は魔王の攻撃によって壁に飛ばされた事を思い出す。
ここは魔王城、勇者アレンの使い魔である俺は数年の旅の末に世界を滅ぼそうとする魔王と戦っていた。
異界より召喚されし勇者アレン、世界最強の女剣士カレン、最高峰の回復魔法を使う聖女マリア、無限の魔法を使う魔女アンタナ。
アレンの聖剣が煌めき、マリアの付与魔法が仲間達を強化する。
一瞬の隙を突いて魔王の剣をカレンが弾き、そこにアンタナが極大の魔法を連続で放つ。
魔王は笑いながら剣を放棄して肉弾戦へと移行し、魔法を拳で一つずつ潰していく。
「くっ、このままじゃ」
「アレン、ヤンヤンが目を覚ましました!」
「あぁ、そう……ヤンヤン!?無事なのか!」
一瞬、軽く流しそうになりながらアレンは俺の事を心配した。
長い付き合いだが、彼はいつだって心配性だった。
俺がタフなのを知っていながら、戦闘中に心配するなんて馬鹿な奴だ。
そんな明確な隙を、魔王が見逃すはずがないのにだ。
だが、そんな愚かで仲間思いな彼だからこそ、俺達は彼と一緒に旅してこれたのかもしれない。
「あぁ、頭を打っただけで問題ない」
「何を……いや、いけるか?」
「ぐッ……勿論さ、相棒!」
咆哮を、大気を揺らす轟音を俺は響かせながら魔王へと突っ込んだ。
魔王は余裕を持って迎え撃ち、その腕が俺の羽を削ぐ。
「オラァァァァァ!」
「チッ」
羽を削がれながら、俺はその腕へと牙を突き立てる。
「貰うぞ、右腕!」
「貴様ァァァァァ!」
魔王の拳が胸を貫く。
だが、それは想定済みだ。
俺程度では万に一つの勝ち目がないことは分かっていた。
先程の攻撃で身体はボロボロ、もう戦えないことも分かっていた。
それでも相棒に行けると嘘ついて、俺は凶行に及んだのは理由がある。
それは相棒が、仲間たちが、確実に俺の意図を理解して行動してくれるという自信があったからだ。
「ヤンヤン、ウラァァァァァ!」
「しまった!?」
心臓を抉られながら、俺は決死の想いで魔王の右腕を喰いちぎる。
魔王はそれに対して怒り心頭で俺を残った腕で殴り飛ばす。
痛みに震える魔王は硬直し、その隙をカレンが突撃した。
一瞬の隙を突いて懐に飛び込んで、奥義にて両足に切り傷を刻んだのだ。
しかし同時に、カレンは魔王の左腕によって肉片へと変えられる。
だが、その動作が更なる隙を生む。
「術式解放、その命貰います」
「うわぁぁぁぁ、封絶結界!」
抱きつく様に、アンタナが最大威力の自爆魔法を発動させる。
その余波が周囲に影響を与えないように、マリアが仲間の死を嘆きながら結界を張った。
足が傷付き、自爆魔法も結界も防ぐことは魔王は出来なかった。
そして、結界の中で膨大な光と熱が暴れ狂い魔王の絶叫が響く。
視界の端で、俺は最後の攻撃を見守っていた。
「みんな、勝利をこの手に!喰らえぇぇぇ!」
アレンが上段に構えた聖剣を振り下ろす、すると剣先から極大の光が放たれ魔王を滅殺せんと飲み込んでいく。
そして、暫くしてそこには抉れた城の一部だけが広がっていた。
「勝った、勝ったぞみんな!俺達の勝利だ!」
「あぁ、よくやったアレン……魔王を遂に倒したな」
思えば、苦しい戦いだった。
仲間を犠牲にしてやっと倒せるのだから、魔王と言う奴は出鱈目だ。
「相棒……」
「馬鹿野郎、何を泣きそうになっている……」
「だって、お前はもう……」
「俺より死んだ奴等を嘆いてやれよ……薄情だね……」
今にも消えてしまいそうな相棒に、いつものように皮肉で俺は返す。
相棒は悲しそうに、そしていつものように俺に文句を言った。
「うるせぇよクソドラゴン……こんな所でくたばるんじゃねぇぞ」
「ちょっと、眠るだけさ」
「あぁ、ちょっとだけだぞ。お前は俺の唯一無二の相棒なんだからな」
「そうだな……んっ?」
アレンの言葉を最後に、今までの事が走馬灯のように駆け巡る。
俺の傍にいたのはいつだって赤いドレスを来た女。
いや、誰だ?アレンじゃない、コイツは誰だ?
だが、俺は彼女を知っている。
仲間達との苦しい戦いや旅の記憶の片隅で、知らない記憶を思い出す。
それはあるはずの無い記憶、いや実際にあった記憶。
彼女は存在しない人物、いや実在している人物。
俺は彼女を知っている、しかし名前が出てこなかった。
記憶は白黒で、ノイズが混じるようにブレて思い出す事が出来ない。
鮮明な記憶は、仲間達と生活している記憶。
だが、こんな物は知らない。俺の記憶ではない。
「…………寝言言ってんじゃねぇよ、クソガキ」
「えっ?」
「俺のご主人様は――」
その名を思い出す寸前、声が響いた。
『汝が望む世界は何処か?』
声が響いた瞬間、俺の視界は暗闇に囚われた。
荘厳な城の玉座、俺はその上で居眠りから目を覚ます。
「うん?」
あれ、今まで何してたっけ?あぁ、そうだ式典の準備で、寝てしまったんだった……
俺の目の前にはせっせと式典の準備を進めるモンスター達の姿が広がっていた。
そう、今日は俺が魔王となった事を祝う式典の日だった。
思えば長い道のりだったな、最初は異世界に転生して野生の中で暮らすハメになったからな。
ドラゴンになった俺は、蟲やネズミなどを喰らい大きくなり小動物、大型動物、モンスターとドンドン食べれる物を増やして成長した。
成長してからは森の派遣を巡って様々なモンスターと争い、その次はドラゴンと山の権利で戦った。
山の次は海を巡って海魔達とドラゴンを率いて戦争し、その後は空の利権を巡って天使や神と敵対したっけ。
世界の殆どを手に入れた次は、悪魔達の死後の世界を奪いに仮死状態になって戦った。
そして、世界を手中に収めた俺は魔法で異世界への道を開いてこの世界に降り立ち、現地のモンスター達を支配して魔王として活動しようと式典を開いたのだった。
「おい、そこのお前」
「何でございましょう、魔王様」
せっせと机を運んでいたゴブリンの一体を呼び止める。
理由は、暇だから話し相手として彼女を呼んでもらおうと思ったからだ。
「えっと、アイツを呼んできてくれないか?金髪の、赤い目をした、ダメな女だ?」
「そのような者は記憶にございませんが……」
「いや、いたはずだ。何だっけな、メ?ル?違う、何か思い出せないな……」
いつだって傍にいた。ゴブリンが知らないだけで、どこかにいるはずである。
俺は玉座を下りて、彼女の良そうな場所を探す。
記憶に従い、城を徘徊する。
そして、奇妙な感覚に囚われる。
知っているけど、知らない景色。
見慣れたはずの場所が知らない場所なのだ。
なんだこれは、なんだこれは!
俺は魔王で、いや使い魔だった。
俺は一人で戦い続けて、いや彼女の使い魔だった。
彼女は誰だ、俺の記憶にあるこの女は誰だ。
「お前は誰だ!いや、思い出したぞ!お前の名は――」
その名を口に出す寸前、声が響いた。
『汝が望む世界は何処か?』
声が響いた瞬間、俺の視界は暗闇に囚われた。
輝く魔法陣の上で、俺は光に包まれていた。
「うん?」
光が少しずつ引いている中で、俺の視界は真っ白な光景以外の物を捉えた。
そこはどこかの地下室だった。地面に描かれたのは恐らく勇者召喚の魔法陣。
周囲には見知らぬ人々が緊張した面持ちで此方を見ていた。
そして俺は状況を把握した。通学路を通っていた俺は魔法陣のような物に巻き込まれた。
そこで、こんな場所にいると言う事はつまり異世界召喚って奴なのではないだろうか。
ならば、ここにいるのは王様や貴族達。目の前にいる少女がお姫様という事だろうか。
「って、違うだろ」
「キャッ!?」
俺の声に、目の前にいた少女が悲鳴を上げる。
だが、そんな幻に俺は騙される気は無かったので無視して俺は彼女の名前を言う。
「彼女の名前はル――」
その名を口にした寸前、声が響いた。
『汝が望む世界は何処か?』
声が響いた瞬間、俺の視界は暗闇に囚われた。
今度は美女や美少女に囲まれて、俺はベッドの上にいた。
ご丁寧にドラゴンで無く人間の、それも結構美化されたイケメンの姿で全裸だった。
喘ぐように、欲する様に、貪るように、女達が俺の身体を求めて手を伸ばす。
そんな女達の中に、俺の探している者はいない。
俺が探している者、それは……
「邪魔するな、ルージ――」
その名が言い終わる寸前、声が響いた。
『汝が望む世界は何処か?』
声が響いた瞬間、俺の視界は暗闇に囚われた。
目の前に広がる美食の数々、中華、和食、洋食、フレンチ、イタリアン、知らない国の料理もあれば知っている馴染み深い料理が並ぶ。
匂いが鼻孔をくすぐり、無性に美味しそうに思えた。
だが、所詮は夢幻だ。女の次は料理で戦いを挑んできたと言うのか。
全ては分かっている。恐らく憤怒の魔女の幻に俺は捕らえられていると言う事なのだろう。
そして、それは条件次第で解除できると言う事だ。
誘惑して人を楽園から追い出す、なるほど憤怒を司るサタンのような戦い方だ。
この夢の世界に囚われると言う事が俺達の敗北条件なのだろう。
誘惑し、精神を拘束し、肉体の制御を出来なくする。
怒りに囚われて自分が自分で無くなるように、暴走といった自分を制御できない状態にするように、誘惑と言う形で無力化する。
成程、憤怒を表す能力と言えるだろう。
「だがもう無駄だ。憤怒の魔女よ、俺は全てを思い出した」
『汝が望む世界は何処か?』
「俺の望む世界はここではない、俺はアイツの元に戻る。ルージュの元にな!」
その名が言い終えた寸前、声が響いた。
『汝の望む世界は此処か』
声が響いた瞬間、俺の視界は光に飲み込まれた。




