風刃のアブー
「一時的とはいえ、仇は取ろう」
そう言ってルージュに近付く影がある。
それは、風刃のアブーと呼ばれるギリ―スーツを着たような男だ。
目元はフードのような物に隠れ口元しか見えないが、悔しそうであると声の調子から分かる。
「起きろ、エンリル」
アブーが片腕を上げながら宣言した。
その呼ばれた名に呼応する様に、周囲の大気が唸る。
それは魔法によって呼び出された嵐とは一線を画す物、自然の風とは言えない何かだ。
纏う様に、本来見えない風の動きが雨を巻き込むことで視覚で認識する事が出来る。
それは小規模の竜巻、それがアブーの腕を中心に渦巻くように集まっていた。
「さぁ、我が風に刻まれるがいい!」
瞬間、アブーの身体が揺らいだ。
まるで、背景に溶けるようにその姿が希薄となって消えたのだ。
「ッ!?いったいどこに……ハッ!」
ルージュは反射的に背後に向けて手刀を放った。
それは瞬間移動する敵との経験により為せる、気配を感じた瞬間による迎撃だ。
視界が背後に移る、そこには薄皮一枚で身を引くアブーの姿。
「ぬぅ……」
「ハッ、そんな攻撃利かないわ!」
目の前で回避するべく後方へ跳んだアブーに合わせるようにルージュは踏み込む。
アブーが下がる歩幅だけ怒涛の攻めに転じながら踏み込んでいく。
「くっ、重い一撃」
「はぁぁぁぁぁ!」
槍のような鋭い突き、それをアブーは側面に軽く衝撃を与える事で防ぐ。
ルージュは防がれることも分かっていたのか、すぐさま次の攻撃に移る。
流れるような攻撃、それに対する防御、何度も両者の間を拳が交差する。
「貰った!」
「甘い!」
アブーの意識の薄い場所目掛けて、ガードごと打ち破ろうとルージュの拳が聖気を纏いながら螺旋を描き打ち込まれる。
それを迎え撃つのは垂直に立てられたアブーの腕だ。
「翠山派、双嵐手!」
「ぐっ!」
ルージュの拳が二つに立てられたアブーの腕に遮られる。
腕と腕の間を強引に割り込もうとする拳、しかしそれは腕を中心に渦巻く竜巻によって防がれる。
回転により、前面に押し出すように竜巻がルージュの拳を包んだのだ。
「このぉぉぉぉ!」
「死ね!」
無理矢理押し通そうとするルージュ、その様子を見たアブーが叫んだ。
刹那、背後に何者かの気配が現れる。
まるで瞬間移動、無から有が生まれるように気配が突如現れたのだ。
「はぁぁぁぁ!」
咄嗟の反撃、それは蹴りによる応酬だった。
後方に向けて、数発の蹴りを刹那の間に打ち込んだのだ。
しかし、その蹴りも最後の攻撃の瞬間に捕まれる。
「しまった!?」
「その命、貰い受ける!」
声がした、それはルージュの右側面。
そこにアブーがいた。
目の前で拳を防ぐアブー、横から突きを放とうとするアブー。
同じ人物が二人も存在する。
だが、それでもルージュは動揺せず機械的に対応する。
幻術か何かの類、そう辺りを付けて空いている片手で防ごうと構える。
「終わりだ」
「……えっ?」
何かが弾ける音がした。
次に背中に感じる強烈な熱、それは身が焼かれていると錯覚させてしまう強烈な痛みだ。
痛みは、内側から入り込み胸部に向けて抜けて行く。
視線の先には赤い色、そして誰かの腕と握られた心臓。
「ごふぅ……」
激痛と視界に移る胸部から生える腕、血の気がサッと引いていく感覚、気持ち悪い喪失感。
脳が数秒遅れて貫かれたと認識した。
そして感じる、四つ目の気配。
「馬鹿な……どうして」
振り向くルージュ、その視界の先には男がいた。
「どうして、三人目がいる!」
それは、一寸たりとも狂いのない同じ人物が存在した。
心臓が抜かれたことにより体が力を失い倒れる。
その間、腕を掴まれ千切られる。
身体がバラバラになり、それを切り離された頭部が虚ろな目で見ていた。
肉体をバラバラにしたのは、四人のアブー。
再生、しなくては……
一瞬でルージュの身体はドロっとした血液となり少し離れた場所へと離脱する。
不定形の身体で、ルージュは四人のアブーに驚愕していた。
実体のあつ幻覚、身が引き裂かれたことにより実感する敵の正体。
質量を持った人間だ。
まさか、誰かの上に幻覚を乗せている?それとも鮮明なイメージによって身体がダメージを受けた?
まぁ、それも回復してから直接聞きだせばいい事だ。
そう思い、ルージュが回復が早まるようにと少しでも意識する。
そんな意識の間を狙ったようにある声が邪魔をした。
「まだ生きているのか?」
「がはぁぁぁぁ!?」
再び貫かれ、今度は身体が爆散する。
それは先程の再現のような攻撃、背後から心臓を一突きした。
そして、それを行ったのは――
「五人目!?」
新たに現れたアブーだった。
ルージュの声に気付いた四人のアブーが此方に向かってきた。
しかし、心臓を貫いたアブーのせいでルージュは逃げられない。
例え逃げようと再び貫かれるからだ。
だったら、とルージュは身体をハリネズミのように変形させる。
再生したばかりの身体、その背中から赤い刃が複数現れ五人目のアブーを貫く。
切れた感覚は、ない。
「実体じゃない、そんな馬鹿な」
攻撃の瞬間、アブーの姿が消えた。
回避したのではなく、文字通り消えた。
貫いた刃は虚空を突き刺し、先程まであった気配が嘘のようだった。
新手の神の能力か、そう判断してルージュは向かってくるアブーを見る。
「な、何人いるのよ!」
そこにあるのは人の波、人の壁、そうとしか表現できない多くの人間。
しかし、その全てが同じ格好の同じ人物。
双子だったとか幻術なんてチャチなトリックじゃない、シンプルな答えだ。
「そうか、自分のコピーを作る。それが貴様の神の加護か!」
単純に増えていたのだ。
驚愕するルージュに向かってアブーが飛び掛かる、その数は五人。
恰好と相成って影分身でもした忍者のようですらある。
回避する間も無く応戦するルージュ。
殴った感触はあり、練度からして本人。
しかし、何かしらの致命傷を当てると姿が背景に溶けるように消える。
「しまった、囲まれた!」
全てのアブーを始末したと思ったルージュの目先には包囲するアブーの壁があった。
「やってくれるわね……」
「風は、どこにでもある物」
「そして、どこにもない物」
「姿や形は無く」
「しかし、実在はする」
「我が加護は寸分違わない自身を生み出す能力」
「全てが同一で全てが本物だ」
目の前のアブー達が口々に返答する。
それは一人で群、群であって個人、まさに一騎当千である。
「なるほど、風で構築した自分って所かしら」
絶望的であった。
それはつまり、本体が残れば敵が無限に増えると言う事を意味していたからだった。
精神的な疲労、それによって聖気を扱えなくなる事もある。
しかし、これだけの量を相手するのであれば休む時間を相手に与えてしまう。
本体を探すルージュに周囲のアブーが物量によって殺到した。
繊細な技も、全てを捻じ伏せる力でもない、数と言う名の暴力による攻撃だ。
「うわぁぁぁぁぁ!」
濁流の如きアブー達の攻撃、ルージュは聖気を纏った拳で応対する。
数が増えたことにより避けるスペースが無くなって攻撃は通りやすくなっていた。
しかし、一人消した所で焼け石に水の状態だった。
「オラオラオラオラオラ!」
徐々にだが、ルージュの顔に疲労の色が見え隠れする。
体力を削り、精神も削り、そして小さな傷を付けて行く。
終わりの無い戦いだ。
此方を見る事しか出来ないドルク率いる鋼山派も敵の攻撃に晒されるのみ。
まさか、配下すらそもそもいらない存在だとは思いもしなかった。
「うりゃぁぁぁぁ!」
それでも維持するには莫大な量の聖気を運用しないといけない筈。
故に長期戦に持ち込むことで倒す事が可能である。
血液を鞭のようにしならせ、その先に触れる物を切り裂いていく。
循環する血液のウォーターカッター、それが一振りの剣の様に周囲を薙ぎ払って行く。
「無駄だ、さっさと死ね」
「諦めたら死んじゃうんのよぉぉぉ!」
手刀によってルージュがアブーの群れを蹂躪する。
数が仇となった為に案山子のように自由に動けぬアブー達を見当たり次第に切り裂いて行くのだ。
「えぇい、邪魔よ!」
「しぶとい奴め」
「まとめて死になさい!」
時間が掛かる攻撃から、大規模な魔法攻撃へとルージュは切り替える。
それは周囲一帯を炎によって包む魔法、炎の津波を召喚する攻撃だ。
「喰らいなさい!」
「無駄だ」
だが、発生する津波はアブーの何体かを巻き込んだだけで霧散する。
思う様にコントロール出来ず維持することが出来なかったのだ。
「な、なぜ……」
「貴様らの技術は聖気によって防ぐ事が出来る。聖気でもある分身体はまさに生きる盾、攻防一体の存在だ。故に、俺にそのような攻撃は効かん」
「どうしたら」
魔法は使えず、倒しても無限に増える相手、八方塞がりな状況にルージュは冷や汗を流す。
まるで、砂漠で米粒を探す様な無理難題、気を抜けば殺され、殺され続ければいつかは死ぬ。
今までで初めてのピンチだ。
「ドルク!」
「そこにいるのか!助けてくれ!」
「まだ一つだけ試していないことがあるわ」
「それは何だ!」
後方で固まる修行僧とドルクに向かってルージュは声を張り上げた。
それは次の行動を告げる為だ。
起死回生の一手、それは――
「耐えて!私が戻って来るまで!」
「おい、待て逃げる気かよ!」
「違うわよ、戦略的撤退よ!」
「待て、待つんだルージュゥゥゥ!」
――戦略的撤退だった。




