地獄で信長に会いに来た今川義元 ~桶狭間の感想戦~
地獄に来たが、痛くも熱くも苦しくもない。やることもなく、とりあえず一人で安土城を建てた信長のところに「大恩人」がひょっこりやってきた。はたして、その目的は…
【地獄安土城にて 織田信長と今川義元】
「信長。おい信長」
「…ああ?誰の声だ?」
「私だよ」
「……え~と、誰だっけ?」
「何だとっ。私を覚えていないのか?お前の大恩人だぞ」
「俺の大恩人…?顔は、見たことあるような気がするが…。どこでお会いしましたっけ」
「厳密に言うと、会ったことはない。私も、お前の声を聞くのは初めてだ」
「おい、そんなんで大恩人って何なんだよ」
「私は、今川義元だ。お前の大恩人だろう」
「ああそうだ、そのお顔は今川義元殿でしたね。その節は ありがとうございました。おかげさまで、俺の名が上がりましたよ」
「この今川義元に勝ったのだから、当然だろうな」
「でも、思い出せるはずがないよ。あんたが塩漬け首にされてから、ご対面したんだからさ。それまでは会ったことなかったしね」
「まあそうだな。私はお前の顔を、死ぬ前にチラっとだけ見たけどな」
「そうだったの。俺はあんたがあの時、どこにいたのかも分かんなかったんだ。あんたの本隊に突撃したまでは良いが、派手な鎧のやつがたくさんいてさ。誰が誰だか、さっぱり分かんなくてね。そしたら家臣が、首を取りましたって叫んでたから、おい誰の首だよって聞いたら、今川義元ですなんて言うからね。初めはホントかよって思ってたんだ。したら、本当にあんただったからね。ビビっちゃったよ」
「あの時は、お互い顔も知らねえのに戦なんかしてたんだからな。雑兵のふりして逃げれば良かったぜ。恥も何もあったもんじゃねえ。あんなとこで首を取られるほうが よっぽど大恥だったって、死んでから思ったわ」
「悪いことをしたね。でも、あんたが愚将だっていう評価は、400年後くらいには見直されるんじゃないかと思うよ」
「ってことは、やっぱり現世じゃ今頃 私は、愚将扱いなんだな」
「まあね。俺にとっては恩人だけどね。ところで、何か話してて違和感があるんだ。あんたって、何歳だったの?」
「享年42歳だ。私も、お前は小僧だってイメージが強くてな。同じく違和感ありありだ」
「ここじゃ死んだときの歳で固定だからだな。俺49歳だもんな。歳が逆転してたんだな。俺も、あんたが年下だって思えねえよ。すげえスポーツ選手が年下だとはとても思えねえ、あの感覚に似てるかな。でも良いよ。俺はあんたに小僧扱いしてもらったほうが、喋りやすいよ」
「そうだな」
「っていうか、あんたもやっぱり地獄だったんだね」
「あの時代の武将は、死んだらほとんど地獄だぞ。時代のせいだと思うんだが、どうも私たちは悪人判定されがちなんだよ。だから、地獄の住人が爆発的に増える時期が度々あって、地獄の団塊世代って呼ばれているらしいぞ。私たちはこの国で三回目の爆発で、通称〈サードインパクト〉なんだってよ」
「誰がそういうの考えるんだ」
「そこまでは知らねえよ。ただ、地獄にも長くいると、顔見知りが何人もできるもんなんだ。そんで、色んな噂話とか教えてもらうんだよ」
「そうなのか。それにしても、ここって地獄のわりに、痛くも熱くも苦しくもないんだよな」
「それは、あの現世のほうが、よっぽど地獄だったからだ。あの過酷な環境で、斬られたり刺されたり撃たれたりしていたせいで、耐性が付いてしまっているんだよ。団塊世代ってのは、どこに行っても打たれ強いもんらしい」
「何のための地獄だよ。ところで、大恩人の今川義元様。わざわざ小僧の俺になんで会いに来たの?」
「自分がなんで、あの桶狭間で敗れて死んだのかを、よく検証するためだ。私がお前に敗れるなど、普通ではあり得ないだろう。だからお前と、あの戦いの感想戦をしに来たのだ」
「感想戦って、将棋でやってるあれか」
「そうだ。互いの指し手を分析し、より高みを目指す崇高な行為で…」
「敗者の言い訳を聞いてやるってことだな」
「違うっ。あくまでも戦いを振り返って、もっとレベルアップするために行うのだ」
「まあ良いよ。じゃあ やろうか、感想戦」
「この感想戦は長くなるぞ。このまま始めていいのだな」
「言い訳が長いってこと?」
「うるさいわ。言い訳ではないぞ」
「分かったよ。ゆっくり聞いてやるから始めようか。まあ、よく覚えてねえかも知れねえけどな。俺だって、あんたに必ず勝つ見込みなんか、あったわけじゃねえんだからな。たまたま勝っちゃっただけなんだ」
「お前は勝ったから、たまたまで納得しても、たまたまで負けた私は、死ぬほど悔やんでいるの だぞ。…まあ、死んでるがな」
「はいはい。確かあんたが先手じゃなかった?」
「そうだ。では始めようか。私のリベンジをな」
「あんた、そんな面白いキャラだったなんて、意外だよ。あの時の状況は、こんな感じ?」
「そうだな」
「あんたは、どこまでやる気だったの?」
「あの戦では、尾張の伊勢湾東岸を、完全に私の支配下にするところまでだ。最低でも、智多郡・愛智郡、上手くいけば春日井郡までだな。尾張の鳴海城と大高城は、お前の親父が死んだ後すぐ、城主がこっちに寝返ってきたから、今川家の支配下になってはいたが、城だけ押さえていても大した意味はない。実際、お前は城の周りを砦で囲んでいたからな。あの一帯から、お前の兵と砦を排除すれば、私の勝ちってところだな」
「そうだね。あの辺りをあんたに押さえられたら、俺はもうお手上げだった。そうなっていれば、あんたに降伏するか、勝ち目のない戦を続けて殺されるか、それしか道はなかっただろうね。家督を継いだばかりの俺じゃ、家臣らにも見放されていただろうし。でも、そこまで分かっていても、あの丸根や鷲津の砦をあんたの大軍から守り抜くなんて、まず出来やしなかっただろうね」
「では初めから、砦を本気で守る気はなかったのか?」
「いや、大高城を奪還できていれば、砦を守ろうとしたかも知れない。でも早い段階で、その選択肢は捨てざるを得なかった」
「…なるほどな」
「分かるだろう?兵糧が切れて落ちる寸前だった大高城に、あんたが寄越した援軍が、兵糧をたっぷり持って、包囲もくぐり抜けて入っちまったんだ。そしたら城主の鵜殿長照が、急に元気になって逆にうちの砦を攻めてきた。もともと兵力はそっちが多い上に、城と急造の砦じゃ防御力が違い過ぎる。それで、大高城の奪還は諦めたよ。それが逆に良かったんだって、後から気づいたけどね」
「そうか。ならばいっそ大高城をお前にくれてやったほうが、結果的には良かったということか。また奪い返すくらい、容易いことだったからな」
「結果的には、そういうことだね。今だから言えることだけどさ。俺は大高城を奪還できていれば、城と砦を死守しようとしたと思う。その選択は大間違いだと気づかずにね。そしてあの時、もしあんたの援軍が入れなければ、大高城は奪えていたはずなんだ」
「つまり、援軍を率いていたやつが、難しい任務をあっさりとやってのけたのが、勝敗の初めの綾だったわけだな」
「そうみたいだね。あんたとこうやって話さなかったら、そんなことは考えもしなかったよ。あいつも、俺の大恩人じゃないか」
「俺にとっては疫病神だった」
「まあとにかく、あれで俺は砦を捨てることに決めた。となれば、清洲城に籠もるか、奇襲しかない」
「伊勢湾東岸を失えばお前の負けだったのだから、清洲城に籠もるという選択肢はないだろう?」
「確かに、俺の中では、ないよ。でもあんたは、俺があの時 清洲城に籠もることは、絶対にないって思ってた?」
「……正直に言うと、お前は清洲城に籠もるしかないと思ってしまった。つまり勝ちを確信した」
「そう。あの一帯を取ればあんたの勝ちだ。だから、とても清洲になんか籠もれないんだよ。でもあんたは、俺はそうするしかないって思ったんじゃないの?」
「認めるしかないな」
「俺も、狙ってそうしたわけじゃないけどね。あんたは勝ちを確信した。俺は奇襲しかなくなった。それで、鷲津と丸根の砦に籠もる家臣らには悪いけど、そっちに援軍は出さず、俺が動かせる兵を掻き集めて、密かに善照寺砦に移動した。そこで、あんたの本隊への奇襲のタイミングを計った」
「勝ちを確信した私は、沓掛城から大高城に移動し始めた。私が着く頃には、大高城の兵が砦を落としていると思っていたし、実際そうだった。鳴海城には岡部元信がいて心配はない。あとは大高城に私が入れば完勝のはずだった」
「その、落とされた砦にはね、弟との家督争いでも俺に付いてくれた連中が籠もっていたんだ。佐久間盛重とかね。俺はそいつらに、死んでも砦を守れって命令したんだ。本当に砦は落ちて、ほとんどのやつが討ち死にしたよ。あいつらが最後まで降伏しなかったおかげで、あんたの部隊は砦を攻め続けるしかなくなり、俺は動き易くなった。あの犠牲がなければ、勝てなかったよ。当時は俺にも、人の心ってもんがあったらしく、ちょっとアレだったよ」
「なるほどな。お前の勝ちは、たまたまじゃなかったのだな」
「たまたまだよ。あの雨は、俺が降らせたわけじゃない」
「雨か。あの道は雨が降ると泥濘がひどかった。あえて悪路を進む必要はないからな。桶狭間山に登って休息を取りつつ、雨をやり過ごそうとしたのだ。進軍中に休息を取るのは、普通だからな」
「そうだね。あんたは正しい。正しくても、負けることがあるのが戦だね。雨のおかげで、俺の進軍はあんたの部隊に悟られずに済んだ。俺の物見は、高台で休息していたあんたを見つけることができた。あんたが移動を再開する前に奇襲をかけられれば、勝ち目があると思ったよ」
「あの時、地元の住民から酒を献上されたんだ。それで、さらに気が緩んだんだろうな。地元の者も、私を快く迎え入れようとしている。それで、上機嫌で酒を飲んだ」
「あの酒を献上させたのは、俺の策だ」
「なんだとっ」
「嘘だよ」
「まったくよ。結局 負けるべくして負けたんじゃねえか」
「大きなミスはしてないけどね。そもそもあの奇襲だって、あんたを討ち取れる保証はなかったしね。もっと言えば、あんたの首を取ったとしても、残った家臣が退却しないかも知れなかった」
「そうだな。太原雪斎が生きていれば、私が死んでも退却せず、お前の首を取っていただろうな」
「色々と紙一重で、俺とあんたの運命が変わったんだね」
「あいつもだ。お前よりさらに小僧だったくせに、頭を使って大高城に入ったようだな」
「家康ね。ああ、あんたには元康って言ったほうが良いのかな」
「忌々しい。元康の元は、俺がくれてやった字だ。なのに俺が死んだら、さっさと改名しやがった」
「あんた、私って言うより、俺のほうが似合うよ」
「そうか。俺はそういうのは、実はどうでも良いと思っている。別に、好きで公家みたいに振る舞っていたわけでもない。まあとにかく、お前に会いに来て良かったぞ」
「恩人にそう言ってもらえて光栄だよ。あんたは早く地獄を卒業したほうが良いよ」
「そうかもな。だが元康に会うまでは、こっちで羽を伸ばすつもりだ」
「それも良いね」
「…じゃあな、小僧」
「じゃあね。
…ああそうだ。家康は70過ぎまで生きるらしい。いずれ会ったら、あんたが小僧だよ」
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