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記憶の中のあなたと、記憶喪失のあなた  作者: 御咲花 すゆ花


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8/12

8 そのままでいて

 雨の日が多くなって来た。

 まだ梅雨(つゆ)入りの発表はされていない。

 波中(なみちゅう)の校庭は水はけが悪いため、すぐに部活動は中止になる。新校舎になってからは、ピロティの部分が雨天時の活動場所として開放されていた。もっともバレー部のわたしには、どちらも関係が薄い。


 予鈴よりも少し早く帰りの支度をはじめる。

 完全下校に遅れないためというのが名目だけれど、本心は気もそぞろだからだった。

 体育館の扉を開ける。

 湿気の臭いがしたので予感はあったが、やはり外は雨だった。


「うっちゃん、傘は?」


 手ぶらの私を見て、友達が声をかけて来る。


「パクられた」

「ああ……朝は降っていなかったもんね。職員室で借りられるよ。数に限りがあるから、急いだほうがいいと思う」


「そうなんだ、ありがとう。行って来る」


 荷物を抱える。

 首を縮めて、わたしは校舎に向かって駆けた。

 ピロティにできた人だかりを()き分ける。

 昇降口は滑りやすいので走らない。

 ロッカーから上履きを出そうとすれば、これから帰る人に声をかけられた。

 海斗(かいと)くんだった。


彩良(さら)さん、忘れ物?」

「先生に傘を借りようと思って」


 卓球部の活動は多目的室で行われるから、下校で鉢合わせてもおかしくはない。


「俺のでよければ、貸そっか? 大丈夫、俺2本持っているから」


 わたしは一木(いつき)小学校を思い出していた。

 状況は少し違うが、以前にも海斗(かいと)くんのを使ったことがある。そのときは、本当にわたしは傘を忘れていたし、海斗(かいと)くんは(うそ)をついていた。実際は1本しか持っていなくて、雨の中を走って帰ることになった海斗(かいと)くんは、カゼを引いてしまったんだ。


「でも……」


 ためらうわたしに、海斗(かいと)くんはバッグから折り畳み傘を取り出した。そこには確かに2本あった。


「笑ってくれていいよ。間違って持って来ちゃったんだ。たぶん母さんかな、自分で入れるって言ったのに……」


 海斗(かいと)くんはちょっとだけうっとうしそうに、はかなく笑った。


「優しいお母さんだね」

「心配性なだけだよ。俺の記憶が飛んでからは、拍車がかかったみたい。彩良(さら)さんの役に立ったなら、まあいいのかな」


 上履きを取り出したまま固まるわたし。

 決断を促したのは、生徒指導の先生だった。


「おい、もうチャイムは鳴ったぞ。早く帰れ」


 しっしと虫を払うようにわたしたちを外に追いやる。

 今さら職員室には向かえない。

 わたしは大人しく海斗(かいと)くんに甘えることにした。

 2人いっしょに階段を下りる。


「どっちがいい?」


 海斗(かいと)くんが青と紫の傘を見せる。アジサイをモチーフにしているようで、どちらも薄く花柄の模様が入っている。


「いいよ、好きなほうで」

「じゃあ、彩良(さら)さんが紫かな。そっちのほうが、たぶん新しいよ」

「古くてもいいのに……」

「どうせだったら、きれいなやつは女の子に差してもらいたいじゃん?」


 雨具としての状態を鑑みてくれたわけじゃないらしい。

 明後日の気づかいに、うれしさと寂しさの入り混じった感情が生まれる。

 今のは女の子に対する親切だ。きっと、あの頃の友情とは違う。

 ぱっとアジサイが開く。

 もう慣れているはずなので、道案内は必要ない。それでもわたしたちの歩くスピードは変わらなかった。


 小雨のようにぽつぽつと、海斗(かいと)くんが言葉を投げる。


彩良(さら)さんも……」

「えっ、何?」


 わたしは聞き返す。

 海斗(かいと)くんは足元の水たまりに視線を落とした。


一木(いつき)小学校で保健委員だったんだよね?」


 どきっとした。


「……」


 隠していたわけじゃないけれど、うまく言葉が出て来ない。

 海斗(かいと)くんは自分が委員だったことを知っている。わたしが偽ったことを理解しているんだ。


「ごめん、聞いて回ったわけじゃないんだ。ただ教えてくれた人がいて……その」

「……。海斗(かいと)くんと違って、わたし手当の方法とかわかんないから。自分が情けなくて、言い出せなかったの」


 話せなかった理由は全く異なる。

 それでも、わたしはでっち上げる必要があった。

 海斗(かいと)くんが視線を上げて、こちらを見た。

 ああ、いよいよそのときが来てしまったんだと、わたしは覚悟した。


「僕たちの間には本当に何もなかったの?」


 どう考えたって、素直になれなかったわたしが悪い。

 わかっているけれど、海斗(かいと)くんだけには聞かれたくなかった。

 自分の口からは言いたくなかったんだ。

 でも、もう遅い。

 これ以上はごまかすことなんてできないだろう。


「……。……人並みに交流があったよ」


 海斗(かいと)くんはわたしを責めない。

 ただ、ため息をひとつついた。

 どこに向けてなされたのかもわからない。


(だま)すつもりじゃなかったの」

「……言えなくて当然だよ。彩良(さら)さんからすれば、俺は大事なことを忘れたクソ野郎なんだから」

「違う! そんなふうに思っていない」


 首が取れてしまいそうなほどに勢いよく、ぶんぶんと首を横に振った。海斗(かいと)くんは悲しそうに笑って、気にしないでと前を向く。


「何があったんだろうね、俺たちの間には」

「それは……」


 ちっちゃくて美しい、たくさんの思い出たち。

 もろく、触れれば壊れてしまうものだらけだけど、わたしにはどれもが大切でかけがえのない宝物だった。


 劇的なドラマなんて何もない。

 一言で表せば、ただわたしが海斗(かいと)くんを好きだっただけだ。

 いつ自覚したのかは思い出せないけれど、仲良くしている間にわたしは恋をしていた。

 海斗(かいと)くんが傘を閉じる。


「な、何しているの!?」


 驚いて声を上げたわたしを無視して、海斗(かいと)くんはまた遠い目をする。


「前にもこんなことがあった気がする……。今、ずぶ()れで帰れば、記憶を取り戻せそうなんだ」


 そぼ降る雨とは対照的に、憂うことのない爽やかな表情だった。

 短く、別れのあいさつをした海斗(かいと)くんが走る。


「ま、待ってよ!」


 わたしは必死になって背中を追った。

 海斗(かいと)くんはどうなってしまうんだろう。良くも悪くも、わたしがただの女の子だから、海斗(かいと)くんは優しくしてくれているんだ。


 傘なんて差していられない。

 泥が跳ねるのも気にせずに足を動かせば、どうにかブレザーの端をつかむことに成功した。

 息が切れていて、どうしたって呼吸が荒くなる。


「無理に……思い出さなくていいから」

「でも――」

「いいから!」


 海斗(かいと)くんの返事をわたしは大声でさえぎった。

 今の人格が消えてしまうくらいなら、思い出なんてよみがえなくたっていい。当時のほうが親しかったけれど、それは友情の延長なんだ。


 そんなものはわたしの中だけで十分だった。


「あいつも言っていたじゃん。これから作っていけばいいんだよ」


 ずるいだろうか。

 異性として扱われることを望むのは、やっぱり悪い女なんだろうか。


「……。いいの?」

「うん」


 わたしは同じ人に浮気をしてしまった。

 もしかしなくとも、それは海斗(かいと)くんに対する裏切りだ。

 2人でいた小学校こそが宝箱だと思っていたのに、もうわたしの心の中には違う入れ物が用意されていたんだ。

 コメントまでは望みませんので、お手数ですが、評価をいただけますと幸いです。この後書きは各話で共通しておりますので、以降はお読みにならなくても大丈夫です(臨時の連絡は前書きで行います)。

 次回作へのモチベーションアップにもつながりますので、なにとぞよろしくお願いいたします。(*・ω・)*_ _)ペコリ

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