第2話:契約書は嘘をつかない
ギルド本部の重い扉が閉まった瞬間、外の冷気が嘘みたいに遠のいた。
石造りの大広間。天井は高く、壁には歴代の英雄たちの肖像画が並ぶ。
その空間を支配しているのは、熱気ではなく――規律だった。
王都最大の冒険者ギルド。
ここでは「強い者」よりも「信用できる者」が生き残る。
そして、信用を形にするものはたったひとつ。
――契約。
「……あなたがカイ・アルベルトね」
俺の前を歩く黒髪の女性は、迷いなく受付を通り過ぎ、奥の応接室へ向かった。
名前はまだ聞いていない。
だけど、その所作ひとつでわかる。
“育ち”が違う。
「失礼ですが、あなたは……」
「リディア・エル=ヴァレンシュタイン」
彼女は振り返りもせずに言った。
――ヴァレンシュタイン。
王都でも五指に入る大貴族。商会や金融にも強く、王宮にも顔が利く。
つまり、俺が今夜出会ったのは――
**人生を変えるに足る“権力”**だった。
応接室の扉が閉まる。
リディアは椅子に座り、顎で俺を示した。
「座って。あなたの鞄の中身を見せなさい」
俺は静かに紙束を取り出し、机に並べた。
依頼書。報酬分配表。ギルド提出書類の控え。
そして――裏金契約書。
それらを見た瞬間、リディアの目がわずかに細くなる。
「……ふふ」
笑った。
でもその笑みは、楽しげなものじゃない。
獲物を見つけた猛禽の目だった。
「あなた、これを三年間ずっと保管していたの?」
「はい。雑用係だったので。……記録は俺の仕事です」
「素晴らしい。あなたは“弱い”のではなく、“武器の使い方を知らなかった”だけね」
リディアは立ち上がり、扉を開けた。
「ギルド長を呼びます。今夜、裁きの場を作りましょう」
――裁き。
その言葉が、俺の胸の奥で静かに火を灯した。
⸻
その夜。
ギルド本部の大広間には、異様な緊張が満ちていた。
深夜にも関わらず、幹部クラスが集められ、机が並べられ、簡易の審問席が設置されている。
中央に立つのは、白髪の老人。
ギルド長――グラン・フォルテ。
「……カイ・アルベルト。お前が《蒼天の剣》の不正を告発したいというのは本当か?」
「はい」
俺は一歩前に出た。
ここで声が震えたら終わりだ。
でも不思議と、足は揺れなかった。
俺はもう“追放された雑用係”じゃない。
――告発者だ。
リディアは審問席の端に座り、腕を組んでこちらを見守っている。
背後には、彼女の護衛と思われる騎士が二人。
この場は、俺ひとりの戦いじゃない。
「よろしい。では――被告を呼べ」
扉が開く。
入ってきたのは、あの四人。
レオン、ミレイア、セルジュ、ガルド。
《蒼天の剣》。
王都の英雄。
――のはずの連中。
「……なんだこれは」
レオンは不機嫌そうに眉をひそめた。
「深夜に呼び出しとは、ギルドも落ちたものだな。俺たちは忙しい」
その言葉に、ギルド長の目が冷たく光った。
「忙しい? ならばなおさら良い。お前たちの“忙しさ”の中身を確認しよう」
レオンの顔色が一瞬だけ変わった。
――やっぱり、わかってるんだ。
俺が何を持っているのか。
「カイ。……お前、余計なことは言わないって……」
セルジュが小声で呟く。
震えている。
俺は答えなかった。
代わりに、紙束を一枚取り出して机に置く。
「まずは報酬分配についてです」
レオンが鼻で笑う。
「くだらん。分配なんて、リーダーの裁量だ」
「ギルド規約第十二条。報酬は事前の合意と、記録に基づき分配すること」
俺は淡々と言った。
ギルド長が頷く。
「続けろ」
俺は次の紙を置いた。
「依頼主への虚偽報告。討伐数の水増し。素材の横流し。――これらは全て、俺が提出した控えと、依頼主からの照会記録で一致しています」
ミレイアが口を尖らせた。
「そんなの、細かいミスじゃない! たまたま――」
「たまたまが、三年間で二十七件です」
俺は被せる。
ミレイアの顔が引きつった。
ガルドが苛立って机を叩く。
「おい! こいつ、ただの雑用係だぞ!? 何様だよ!」
その瞬間、ギルド長が低く言った。
「雑用係? ……違うな」
老人は俺を見た。
「カイ・アルベルト。お前は記録係だ。信用を担保する者だ」
その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
……ああ。
俺の仕事は無駄じゃなかった。
レオンが焦ったように笑った。
「ギルド長。こんな平民の戯言に付き合う必要はない。俺は貴族だぞ。後援者も――」
「後援者の話なら、ここにいる」
リディアが立ち上がった。
その一言で、空気が凍る。
レオンの瞳孔が揺れた。
「……ヴァレンシュタイン、だと?」
リディアは薄く笑う。
「ええ。あなたたち《蒼天の剣》が受け取っていた裏金。――その契約、私の家の名で締結されているものがある」
「なっ……!」
レオンが言葉を失う。
リディアは続けた。
「本来、後援金は“表”で支払われるもの。
それをあなたたちは、仲介商会を挟み、書類を二重にして“裏”に落とした」
俺は最後の一枚を机に置いた。
裏金契約書。
封蝋。署名。金額。条件。
全てが揃っている。
「……ギルド長。これが決定打です」
ギルド長は書類を手に取り、目を細めた。
「――確かに。これは契約書だ」
老人は顔を上げた。
「レオン・ヴァルグレイヴ。お前はギルド規約違反だけでなく、貴族法にも抵触する。
この場で《蒼天の剣》のギルド登録を抹消。王都での活動を永久禁止とする」
「待て! そんな……!」
レオンが叫ぶ。
「俺たちは英雄だぞ!? 王都を救ったんだぞ!」
「英雄は“信用”を裏切らない」
ギルド長は断じた。
「そして、契約書は嘘をつかない」
セルジュが膝から崩れ落ちた。
「……終わった」
ミレイアは青ざめ、ガルドは歯ぎしりする。
レオンだけが、まだ足掻いていた。
「カイ! お前……! 戻れ! 戻ってくれ! お前がいないと――」
その言葉が出た瞬間。
俺は、心の底から理解した。
こいつは俺を“仲間”として必要としていたんじゃない。
便利な道具として必要としていただけだ。
俺はゆっくりと、レオンを見た。
「……俺を追放したのは、お前だ」
レオンが口を開く。
「違う、違うんだ。俺は――」
「契約は、もう終わった」
俺は言い切った。
その瞬間、レオンの肩が落ちた。
……これで終わりだ。
俺の三年間は、ようやく報われた。
※
審問が終わり、人が散っていく。
ギルド本部の廊下を歩く俺に、リディアが追いついた。
「見事だったわ、カイ」
「あなたのおかげです。……助かりました」
「いいえ。あなたが持っていたのは“証拠”だけじゃない。
あなたは、三年間ずっと“正しさ”を積み上げてきたのよ」
リディアは少しだけ表情を柔らかくした。
「――ねえ。私の下で働かない?」
「……え?」
俺は立ち止まった。
「ヴァレンシュタイン家には、信用できる記録係が必要なの。
裏金の一件で、家の内部も膿が出た。掃除をしたい」
彼女はまっすぐに俺を見る。
「あなたのように、契約を守る人間が」
胸が、じんとした。
こんなふうに仕事を評価されたことなんて、なかったから。
俺は深く頭を下げた。
「……俺でよければ」
リディアは小さく笑った。
「決まりね」
廊下の窓から、夜明けの光が差し込み始めていた。
東の空が薄く染まり、王都の屋根が金色に輝く。
俺はその光を見て、息を吐いた。
追放された夜は、確かに寒かった。
だけど――
その夜があったから、今がある。
俺はもう、誰かの背中を追って拾い物をするだけの男じゃない。
これからは、俺自身の契約で生きていく。
「……なあ、リディア様」
「様はやめて。堅苦しい」
「じゃあ……リディア。ひとつ聞いていいか」
「何?」
俺は笑った。
「契約書って、こんなに気持ちいい武器だったんだな」
リディアは一瞬きょとんとして、次の瞬間、ふっと笑った。
「ええ。世界で一番静かで、確実な刃よ」
朝日が、眩しい。
俺はその光の中で、ようやく――
自分の人生を取り戻した気がした。
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