第46話 伝説、動く。
聖域・奥谷旅館の居間は、今や、世界で最も注目される観客席と化していた。
メインモニターには、AYAYAの視点から見た、ダンジョンの光景がリアルタイムで映し出されている。その脇には、彼女のバイタルや魔力の残量を示す、無数のデータ。そして、画面の端では、凄まじい勢いで、世界中からのコメントが滝のように流れ続けていた。
湿り気を帯びた昼下がりの空気とは裏腹に、部屋の中は、熱狂と緊張で満ちていた。
そこに映し出されていたのは、まさに「ソロ最強」の名に恥じない、完璧な戦いぶりだった。
ブリザードやネオゲートが、チームで、全力を尽くしてようやく突破した階層を、彼女は、たった一人で、しかし、驚くほど華麗に突破していく。多彩なスキルと、卓越した戦闘技術、そして、膨大な経験に裏打ちされた的確な判断力。その動きには、一切の隙が見当たらない。
そして彼女はついに39階層までたどり着いた。
『すげぇ……あり得ねぇだろ……』
『ソロでネオゲート超えるとか化け物かよ……』
『AYAYA強いとは思ってたけど、まさか本気出すとここまでとは……』
コメント欄は、賞賛と驚愕の嵐だった。誰もが、彼女の圧倒的な実力を認め、熱狂していた。
「すごいな、文埜さん……」
俺も、素直に感嘆の声を漏らす。
コメント欄では、『これはオーナー超えあるんじゃね?』『いや、ないだろ、あれは「災害」だ』といった、俺に関する新たな議論で盛り上がっており、俺は「おいおい……俺、化け物とか災害とか言われてるよ」と、苦笑いを浮かべるしかなかった。
誰もが、AYAYAによる、前人未到のダンジョン踏破を信じ、熱狂していた。
『これもしかしてマジで踏破あるんじゃね!?』
しかし、その中で、ただ一人。
郁美さんだけが、モニターを食い入るように見つめ、その額に、じっとりと汗を浮かべていた。
「そんなに心配しなくても、大丈夫そうじゃないか? 文埜さん、まだ余裕そうに見えるけどな」
俺がそう声をかけると、郁美さんは、厳しい表情で首を横に振った。
「お前たち、本当にわかっていないのか? ……こいつは、もうとっくに限界を迎えている」
「え……?」
「何度も危ないシーンがあった。装備のシールド残量、魔力消費のペース、そして、コンマ数秒単位での、反応速度の僅かな遅れ……。素人目には、華麗な戦いに見えるだろう。だが、私には分かる。今の彼女は、無数の地雷が埋まった原っぱで、その位置を知らされずに、必死でタップダンスを踊っているようなものだ。それが、たまたま、今まで爆発していないだけ……」
彼女は、どこか遠い目をする。
「わかるんだ。私には……。ずっと、隣で、あいつのことを見てきたからな」
その言葉には、ただのライバルではない、深い繋がりが滲んでいた。
そして――その瞬間は、訪れた。
前人未到の40階層。
AYAYAは、隠しきれない疲労の色を浮かべながらも、気力だけで、その身を支えていた。
そこで現れたのは、ボスでもなんでもない、これまで何度も倒してきた、中級クラスのモンスター「シャドウパンサー」の群れだった。
AYAYAは、いつものように、華麗なステップで、その鋭い爪をかわす。
しかし、その時、蓄積した疲労が、彼女の判断を、ほんの僅かに、コンマ数秒だけ、遅らせた。
着地した足が、ダンジョンの、僅かな石くれの上で、ぐらりと滑る。
それは、本当に、なんでもない、ちょっとしたミスだった。
だが、このダンジョンでは、その僅かな隙が、命取りになる。
体勢を崩した彼女に、シャドウパンサーの爪が、牙が、一斉に襲いかかった。
「きゃあ!」
AYAYAの悲鳴と、激しく揺れる配信画面。コメント欄は、一瞬で、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
居間で、その映像を見ていた俺は、即座に立ち上がった。
「助けに行く!」
俺が動き出すよりも早く、一つの影が、俺を追い越して、玄関へと走っていった。
郁美さんだった。
「お前はいい。――私がいく」
彼女は、振り返り、俺を見る。
その瞳には、もはや、いつもの知的な研究者の光はない。
そこにあるのは、かつて、この世界の頂点に君臨した、絶対王者の、鋭く、そして燃えるような光だった。
「はぁ!? 郁美さん、戦えんのか!?」
「でも、ブランクとかあるんじゃ……」
俺と小町ちゃんの、心配の声をよそに、氷室さんと椿さんは、静かに、そして、どこか嬉しそうに微笑んでいた。
「あなたは、本当のイクぽんを知らないから、そういうことが言えるのよ」
氷室さんが、うっとりとした目で、郁美さんの背中を見つめる。
「彼女は、当時最強だった。何があってもね。そして、それは今も同じはず。今も昔も、ソロで彼女を超える人間は、歴史上現れていない。だからこそ、イクぽんは『伝説』なのよ」
「まさか、この目で、再びイクぽんの本気が見られるとは……」
椿さんの声も、わずかに震えていた。
郁美さんは、何も持たず、ただ、その身一つで、ダンジョンの闇へと飛び込んでいった。
「おいおい……本当に大丈夫なんか……?」
居間に残された俺たちは、ただ、AYAYAの配信モニターを見つめる。
そこに、伝説が再び降臨する、その瞬間を、世界中と共に、待ちわびていた。
――つづく。
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読者の皆さま、ここまでお読みいただきありがとうございました。
これにて第一章は終了です。
これから第二章に物語は続いていきます。
ぜひとも引き続き読んでもらえますとうれしいです。
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