第42話 雑誌取材
旅館のグランドオープンから数週間が経ち、俺たちの日常は、ようやく一つの形を見出し始めていた。
その日、俺たちは、次回の宿泊客の抽選結果を、居間で確認していた。
「……ん?」
当選者リストを眺めていた郁美さんが、一人の名前に、目を留めた。
「倉田 詩織……。月刊誌『旅の扉』の記者だ」
彼女がタブレットに表示させたのは、知的な雰囲気を持つ、一人の女性記者のプロフィールだった。
『旅の扉』。それは、ゴシップや扇情的な記事を嫌い、質の高い文章と、美しい写真で、旅や文化の本質を伝えることで知られる、格式高い一流雑誌だ。
「……面白い」
郁美さんの口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
「どうせいつかは、本格的なメディアの取材を受けねばならん。相手が、ゴシップ誌のハイエナではなく、彼女のような一流の記者というのは、むしろ好都合かもしれんな」
「……俺たちの、ありのままを書いてくれるなら」
俺は、そう言って頷いた。こうして、俺たちは、聖域となってから初めて、正式なメディアの取材を受け入れることを決めた。
◇
数日後、倉田詩織さんは、一人の客として、静かに旅館の玄関をくぐった。
彼女は、知性的で、物腰の柔らかい、しかし、その瞳の奥には、鋭い観察眼を宿した女性だった。
ウェルカムドリンクのお茶を飲みながら、彼女は、深々と頭を下げた。
「本日は、一人の客としてお邪魔いたしましたが、もし、お許しいただけるのであれば……。この、素晴らしい旅館の物語を、私たちの雑誌で、記事にさせてはいただけないでしょうか」
俺たちがその申し出を快諾すると、彼女による、穏やかで、しかし本質を突く取材が始まった。
縁側で、二人きり。彼女は、俺の生い立ち、旅館への想い、そして、俺が目指す「おもてなし」の形について、じっくりと、丁寧に、話を聞いてくれた。不思議と、彼女の前では、俺は、自分の心を、素直に言葉にすることができた。
彼女は、小町ちゃんや新人スタッフたちの、楽しそうで、生き生きとした仕事ぶりや、厨房で腕を振るう母の姿を、ただ、静かに、そして温かい目で見つめ、時折、ペンを走らせる。
庭でぷるぷるしているニジや、ダンジョンから帰還し、疲労と充実感が入り混じった顔で仲間と語り合う探索者たちの姿も、彼女は、驚きながらも、その全てを、ありのままに受け入れていくようだった。
◇
そして、一ヶ月後。
全国の書店やコンビニに並んだ月刊誌『旅の扉』には、こんな特集記事が、巻頭カラーで組まれていた。
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【巻頭特集】聖域にて、日常は息づく。――福井『奥谷旅館』滞在記
写真・文/倉田 詩織
今、日本で最も予約の取れない宿がある。
世界中の探索者が巡礼地と呼び、政府と最強ギルドが庇護する『聖域』。その中心で、私が見たものは、神か、怪物か。
――いいえ、そこにあったのは、ただ、どこまでも温かい、日本の『日常』だった。
福井県の山あい、時の流れから取り残されたかのような、小さな集落。その奥に、噂の『奥谷旅館』は、まるで太古の昔からそこにあったかのように、静かに佇んでいた。
リフォームされたばかりの館内は、清潔で、どこか懐かしい木の香りに満ちている。磨き上げられた廊下、い草の香りが心地よい畳、そして、心のこもった手作りの料理。看板娘である小町さんを始めとする、若いスタッフたちの笑顔は、何よりもこの宿の宝だろう。
もちろん、この旅館は「普通」ではない。
庭には、ダンジョンへと通じるという、禍々しくも美しい、黒の『ゲート』が、静かに口を開けている。そこから帰還する探索者たちの顔には、我々の知らない世界の、過酷さと充実感が刻まれている。
そして、縁側では、旅館の主人である奥谷 俊氏の足元で、虹色に輝く、不思議な生き物『ニジ』が、気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。
聖域、怪物、神獣、世界のパワーバランス……。外の世界では、この場所を形容するために、様々な大げさな言葉が飛び交っている。
だが、ここに流れているのは、ただ、穏やかで、優しくて、そして、かけがえのない時間だ。
主である奥谷氏は、こう語ってくれた。
「俺は、ただ、じいちゃんの旅館を守って、お客さんに、ゆっくり過ごしてもらいたいだけなんです」
この宿の本当の魅力は、規格外のダンジョンや、噂の主の力ではない。
訪れる者全てを、ただ温かく迎え入れてくれる、その『心』そのものだ。
ここは、現代に残された、最後の桃源郷なのかもしれない。
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この記事によって、奥谷旅館は、これまでの「ヤバい」「恐ろしい」というイメージから一転、「日本で最も魅力的で、温かい、唯一無二の宿」として、新たな伝説をスタートさせることになったのだった。




