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第3話 敵、弱すぎねぇ?


 一歩、ダンジョンに足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。

 外の生暖かい世界とは完全に隔絶された、洞窟特有の匂い。予想していた漆黒の闇とは違い、壁や天井に自生する苔が、ぼんやりと青白い光を放っているおかげで、視界は意外なほど良好だった。


「ほう……」


 俺は、右手にクワ、左手に鍋の蓋を構え、一歩ずつ慎重に足を進める。

 自分の置かれた状況が、なんだか滑稽に思えてくる。

 数週間前まで東京のオフィスでパソコンを叩いていた俺が、今やクワと鍋の蓋を手に、実家の裏庭に生えたダンジョンを探検しているのだ。人生とは、わからないものだ。

 不気味なほど静まり返った通路に、ぽたん、とどこかから滴る水滴の音だけが響く。


 角を曲がった、その時だった。

 通路の先から、何かプルプルとしたものが現れた。青く、光を透かす半透明のゲル状の身体。

 スライムだ。

 俺は咄嗟に身構える。攻略サイトで見た「最弱モンスター」の知識と、目の前の現実が、まだ頭の中でうまく結びつかない。


 スライムはこちらに気づくと、敵意があるのかないのか、ゆっくりとした速度で近づいてくる。

 やるしかない。

 俺は意を決し、「えい!」と、スイカ割りのときのようなぎこちないフォームでクワを振り下ろした。

 振り下ろされたクワの錆びた刃が、スライムの身体をいともたやすく引き裂く。スライムは「ぷるん」と一度だけ大きく震えたかと思うと、抵抗らしい抵抗も見せず、どろりとした液体になって消滅した。

 後には、ビー玉ほどの大きさの、綺麗な青い魔石が一つだけ残されていた。


「え、終わり……?」


 あまりのあっけなさに、俺は拍子抜けする。


「スライムが雑魚ってのは、本当だったんだな……。さすがスライム。ゲームでも最弱なだけあるぜ」


 ネットで得た情報が正しかったことに安堵すると同時に、少しのがっかりが胸をよぎる。

 やっぱり田舎のダンジョンなんて、こんなもんか。

 俺は魔石を拾い上げ、ズボンのポケットにねじ込んだ。


 階層の突き当りまで進むと、そこには古びた木製の宝箱がぽつんと置かれていた。


「おお! これが噂にきいた宝箱か! 本当にあるんだな……!」


 さっきまでのがっかりはどこへやら、俺の心は子供のように躍っていた。

 おそるおそる蓋を開ける。ギギギ、と軋んだ蝶番の音が響いた。

 宝箱の底で、鈍い輝きを放つ一振りの剣が眠っていた。


「こりゃあすごい……! さっそく使ってみるか!」


 俺は持っていたクワをその場に放り出し、ずっしりとした重みの「鋼のつるぎ」を手に取った。


 

 


 第二階層は、第一階層の湿った土の匂いとは違い、乾いた岩の匂いがした。

 天井が高く、少し開けた洞窟エリアになっている。


「やっぱり剣だとそれっぽさが段違いだな」


 鋼のつるぎを手に、俺の気分はすっかり高揚していた。

 重みも、握ったときの感触も、クワとは比べ物にならない。まるで本物の「探索者」にでもなったような気分だ。

 天井の闇から、甲高い羽音と共に数匹のコウモリ型モンスター――バットが襲いかかってくる。

 俺は一瞬驚いたが、不思議と恐怖はなかった。

 迫りくる一匹に対し、半ば無意識に剣を振り抜く。鋼の刃が鋭く風を切り、バットは悲鳴を上げる間もなく一刀両断された。


「すごい切れ味だ……!」


 あまりの楽勝ぶりに、俺は完全に調子に乗っていた。

 残りのバットも、まるで的当てゲームでもするかのように、次々と斬り伏せていく。

 全てのバットを倒すと、洞窟の奥に新たな宝箱が出現した。

 中には、緑色の葉を乾燥させた「薬草」が数本入っている。


「へえ、怪我をしてもこれで安心か。ずいぶん親切なダンジョンだな」


 このダンジョンの、あまりの「初心者向け」っぷりに、俺はすっかり感心していた。


 

 


 第三階層は、じめじめと湿った岩場が続き、あちこちに嫌な水たまりができていた。


「もう少しいけそうだし、行ってみるか」


 俺は薬草を手にした安心感から、さらに奥へと進むことを決める。

 そこで遭遇したのは、ぬらぬらとした鱗を光らせる蛇型モンスター、ポイズンスネークだった。

 ポイズンスネークが、紫色の毒液を素早く吐きかけてくる。

 俺はそれを冷静に横っ飛びでかわすと、滑るように懐へ踏み込み、剣の一閃でその首を切り落とした。


「動きが単調で読みやすい敵だな……」


 そう思った瞬間、俺の中に初めて、このダンジョンに対する明確な疑問が浮かんだ。


「それにしても……さすがに敵、弱すぎないか?」


 ずぶの素人である俺が、ここまで楽にクリアできる。これでは、他の探索者が金と時間をかけてわざわざこんな田舎まで来る価値はないだろう。

 観光資源にするという俺の目論見は、早くも崩れ去りそうだ。


 蛇の死体の奥にあった宝箱を開けると、中から出てきたのは「毒消し薬」だった。


「毒蛇の階層で、毒消し薬ね……」


 親切設計すぎて、逆に馬鹿にされている気分だ。

 このダンジョンは、完全なハズレだ。

 俺はそう結論付け、どっと押し寄せてきた疲労感に、地上に戻ることを決めた。


 

 


 ダンジョンから出ると、昼下がりの生暖かい日差しが俺を現実に引き戻した。

 縁側で心配そうに待っていた小町ちゃんが、俺の姿を認めて駆け寄ってくる。


「お帰り、俊お兄ちゃん! どうやった?」


 期待に満ちたその目に、俺はため息をつきながら首を横に振った。


「ぜんぜん、あかんわ。このダンジョンは外れやろうな。俺ですら楽勝やったわ……」

「そっか……残念……」


 俺の言葉に、小町ちゃんもぱっとしない顔で肩を落とす。


「まあええわ。もともとなんもない旅館やったんやし、この庭にぽつんとダンジョンがある景色も、ある意味では珍しいやろ。なんもないよりはましって、前向きに考えよう」


 そう、何もないよりは、いい。

 俺がそう言って自分を納得させようとした時、小町ちゃんが顔を上げた。


「ほな、せっかくやから、旅館のPVを撮って動画サイトにあげてみるのはどうかな?」

「PV……?」

「うん! ダンジョンがある田舎の旅館、ってちょっと面白くない?」


 その言葉に、俺の心に再び小さな火が灯った。

 そうだ。母さん一人でやっていたから、そんなこと考えもしなかった。だが、今の時代、ただ待っているだけでは客は来ない。

 「ダンジョンがある田舎の旅館」というニッチな魅力を、俺たちから発信していくんだ。


「それは……いいかもしれん!」

「でしょ? 私、チックトックとかで動画あげてるから、編集も撮影も一応できるよ!」

「おお! それは頼もしい……!」


 小町ちゃんは、得意げに胸を張った。

 俺たちの旅館再生計画は、思わぬ形で、新たな一歩を踏み出すことになった。

 

 

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