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第16話 悪いスライムじゃないよ!


 久しぶりに訪れた、穏やかな朝だった。

 障子窓から差し込む柔らかな朝日が、畳の上に落ちる埃をきらきらと照らしている。遠くからは、チュンチュンと鳥のさえずりが聞こえてくる。昨日までの喧騒が嘘のような、静かで、平和な時間。

 その、はずだった。


「……ん……なんだ……?」


 俺は、頬に触れる、ひんやりとして、どこか心地よい、ぷにぷにした感触で目を覚ました。

 これは……おっぱい……!?

 いやでも、小町ちゃんはこんなに大きくないはずだ……。

 まさか郁美さん……!?

 いやさすがにいくらなんでもそんなことはしないよな……。

 どうなってるんだ……!?

 

 寝ぼけ眼をこすり、ゆっくりと目を開ける。

 そして、目の前の光景に、完全に覚醒した。

 理解した。

 枕元に、一匹のスライムがいた。

 いや、脳が理解を拒む。


「はぁ……!?」

 

 しかし、ダンジョンで見た、ただの青いスライムとは明らかに違う。その身体は、まるで磨き上げられた真珠か、夜空に揺らめくオーロラのように、淡い虹色の光を内側から放っていた。神々しく、そして、どこか儚げな、美しい生き物。


「なんだこいつぅううううう!?」


 俺は驚いて飛び起きる。

 だが、その光るスライムに敵意は感じられない。それどころか、俺が起きたことに気づくと、嬉しそうにぷるぷると震え、枕元から俺の足元に移動して、その頬をすり寄せてきた。


(ダンジョンから、抜け出してきたのか……?)


 だが、おかしい。モンスターは、魔力で満たされたダンジョンの外では、その身を維持できず、一秒たりとも生きてはいられない。それが、この世界の常識のはずだ。

 目の前の現象は、その常識をいとも簡単に覆している。

 俺は、そのスライムの身体の表面に、黒く淀んだ、小さな亀裂が入っていることに気づいた。それは明らかに、傷だった。

 スライムは、その傷を見せるかのように、俺の顔を覗き込み、悲しげに「きゅい……」と、か細い声で鳴いた。


「おいおい、怪我してるじゃないか……。もしかして、助けを求めて、ここまで来たのか?」


 放っておけない。これも、何かの縁というやつだろう。

 俺は、数日前に覚醒したばかりの、癒しの力を試すことを決意した。


「じっとしてろよ」


 俺がおそるおそるスライムに手のひらをかざすと、指先から温かい金色の光が溢れ出した。あの時、母を癒した光だ。今度は、もっと穏やかで、コントロールされているのが自分でも分かる。

 光が、スライムの傷を優しく包み込む。すると、黒い亀裂は見る見るうちに塞がっていき、元の美しい、真珠のような輝きを取り戻した。

 元気になったスライムは、感謝を示すように、これまで以上に激しく俺の身体にすり寄ってきた。ぷるぷると震えるその身体からは、明らかに喜びの感情が伝わってくる。


「はは……こう見ると、やっぱりかわいいな。ダンジョンの外だと、不思議と敵って感じもしないし……」


 俺は、その無邪気な様子にすっかり心を許し、その頭(らしき場所)を撫でてやった。

 もしかしたらケツかもしれんけど……。

 


 ◇

 


 俺が、すっかり懐いた光るスライムを腕に抱いて居間に行くと、先に起きていた小町ちゃんが、目を輝かせて駆け寄ってきた。


「わー! なにその子、めっちゃ可愛いー! スライム?」

「ああ、ダンジョンから出て来ちゃったみたいでな」

「へぇー!」


 小町ちゃんが、そのぷにぷにした身体をつついていると、寝間着姿の郁美さんが、コーヒーでも淹れようかと階段を下りてきた。

 そして、俺の腕の中にいるスライムを視界に捉えた瞬間――彼女は、凍り付いた。

 その顔から急速に血の気が引き、手にしていたマグカップが、カラン、と手から滑り落ち、甲高い音を立てて床で砕け散った。


「な……な、なんだ、その、化け物は……!」

「え? おはよう、郁美さん。見てくれよ、このスライム。俺に懐いちゃってさ。可愛いだろ?」

「可愛いだと!?」


 郁美さんは、震える指でスライムを指さした。


「ただのスライムなわけがあるか! その魔力量……その存在密度……あり得ない! 観測史上、どの文献にも載っていない、災害級のエンシェント種だぞ! なぜダンジョンの外に……なぜ平然と存在している……なぜ人間に懐いているんだ!?」

「えー? でも、こんなに可愛いのに?」


 小町ちゃんは、魔力を感じる才能がないのか、その脅威に全く気づいていない。

 彼女が無邪気にスライムを撫でると、スライムは嬉しそうに「きゅいきゅい」と鳴いた。

 その光景を見て、郁美さんは「近寄るな、小町!」と叫ぶと、まるで猛獣から逃げるように、さっと柱の陰に隠れてしまった。


 柱の陰で怯える専門家をよそに、俺と小町ちゃんは、すっかりスライムに夢中になっていた。


「ねえお兄ちゃん、この子、うちで飼うことにしようよ!」

「そうだな。こいつから敵意は感じられないし、これも何かの縁だ」

「嘘だろ……! 歩く戦略兵器を、ペットに……!?」


 郁美さんの悲鳴が、柱の陰から聞こえる。


「名前、どうしよっか? なんか虹みたいにキラキラしとるし、『ニジ』ってどう?」

「ニジか。うん、いいな。今日からお前の名前は、ニジだ」


 俺がそう言うと、ニジは嬉しそうに、ひときわ強く輝いた。

 小町ちゃんは、ニジをぎゅっと抱きしめながら、目を輝かせて宣言した。


「よし! これからはニジを、うちの旅館の看板キャラクターにしよう! 動画にもどんどん出して、人気が出たら、ニジちゃんグッズも作れるかも!」


 無邪気にニジを抱きしめる俺と小町。

 その光景を、柱の陰から、世界の終わりのような顔で見つめる郁美。


「この旅館は、もう私の常識では、測れない……」

「きゅいー!」


 彼女の絶望的な呟きは、ニジの嬉しそうな鳴き声に、かき消された。



 

 

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