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第11話 宴


 絶叫の後には、ただ、虫の音がやけに大きく響く、重苦しい沈黙だけが残った。

 俺、小町ちゃん、そして郁美さんの三人は、テーブルの上のスマホを囲み、その画面に表示された「2,145,890」という、もはや天文学的な数字を呆然と見つめていた。自分の人生に、これほどの数字が関わってくる日が来るとは、昨日まで夢にも思っていなかった。


「……はぁ」


 最初に沈黙を破ったのは、誰よりも早く我に返った郁美さんだった。彼女は専門家としての好奇心が恐怖と混乱を上回ったのか、呆れと感心が入り混じった奇妙な表情で、凄まじい勢いで増え続けるコメント欄をスクロールし始める。


「おい、俊。お前が今、この世界からどう見られているか、リアルタイムで教えてやる」


 そして、どこか芝居がかった、それでいて心の底から呆れかえったような声色で、コメントを読み上げ始めた。


「『1:12の、ブリザードの護衛の突進を止める動き。これ、達人級の体捌きじゃねえか……達人どころか仙人の域だろ』……仙人、か。言い得て妙だな」

「『このオッサン、ブリザードの精鋭をワンパンとか……人間じゃないだろ』……ほぼ同意する」

「『待って、この人、もしかして本気で自分のこと弱いと思ってる? だとしたら、あまりにもピュアすぎる。天然記念物レベルの怪物だぞ』……的確な分析だな、感心する」

「『入場料500円のダンジョンで、S級スライムと戦えて、ブリザードの精鋭をワンパンするオーナーに会える。……控えめに言って、神か?』……神ではない、ただの常識知らずだ」


 淡々と読み上げられる、世界の評価。それは、俺が知っている「俺」とは、あまりにもかけ離れた人物像だった。

 

「いや、だから俺は、本当にちょっと押しただけで……」

 

 力なく呟いた俺の弁解は、誰の耳にも届かない。小町ちゃんは「お、お兄ちゃん、なんかすごい神様みたいに言われとるよ……」と、恐怖と尊敬がぐちゃぐちゃになった目で、俺を見つめていた。


 俺たちが三人揃って頭を抱え、この非現実的な状況をどうしたものかと思案していると、その重苦しい空気を切り裂くように、玄関の方から底抜けに明るい声が響いた。


「おう、俊、来たで!」


 ひょっこりと居間に顔を出したのは、日に焼けた精悍な顔つきの、同級生の敦だった。


「おう、敦か。ちょっと今いろいろ取り込んでて、忙しいわ」

「ほうやなぁ、知っとるで。俺もテレビのニュースでお前見てびっくりしたわ。俊とこの実家が映っとるってな、うちの母ちゃんも親戚中に電話してわめいとったで」

「大変やわ、ほんま……」

「まあまあ、元気出せや。せっかく俊が帰ってきたってんで、仲間集めといたで。忙しいろうけど、今日はみんなで飲もうや」

「マジか……。まあ、たまにはいいか。俺も少し、ダンジョンのこと忘れて休憩したい……」


 ちょうど、ギルドの連中も帰り、心身ともに疲れ切っていたところだ。旧友との馬鹿話は、何よりの薬になるかもしれない。

 敦は、居間に座る郁美さんの姿を認めると、途端に目を肉食獣のように輝かせた。


「こちら、生天目さんや。いろいろ手伝ってくれとる」

「ども、敦です。ひゃー、なんちゅうか、とんでもなくきれいな人やなぁ……」


 敦が、あからさまに下心のある視線を送る。

 しかし、郁美さんは軽く会釈をしながらも、まるで顕微鏡で微生物でも見るかのような、絶対零度の視線を敦に送り返した。その無言の圧力に、敦の顔から笑みが消え、「ひぃ……!」と小さな悲鳴を上げて、俺の後ろに隠れた。


「あかん、その人はお前のようなアホに手に負える人じゃない」


 

 


 敦の呼びかけは、狼煙だったらしい。

 肉屋を継いだ同級生は、店で一番だという最高級の若狭牛の塊を、農家の同級生は、土の匂いがする採れたての瑞々しい野菜を籠いっぱいに、酒屋の同級生は、自慢の地酒である「黒龍」の一升瓶を何本も抱えて。それぞれが戦利品のような差し入れを手に、次々と旅館になだれ込んできた。

 さらに、どこからか噂を聞きつけた親戚一同までやってきて、静まり返っていた旅館は、あっという間に熱気と喧騒に満ちた大宴会場と化した。


「俊坊が有名人になっとるとはなぁ! 福井の英雄や!」

「こっから旅館有名にして、がっぽり大儲けしてやれ!」


 親戚のオヤジたちが、能天気に、そして無責任に俺の肩を酒臭い手で叩く。

 郁美さんはといえば、その喧騒の輪から少し離れた場所で、「……こういうにぎやかなのは好きではないのだがな」と眉をひそめつつも、親戚のおばちゃんに「まあまあ、姉ちゃんも飲みね!」と勧められた地酒を、満更でもない顔で受け取っていた。

 旧友たちとの気兼ねない会話と、故郷の温かい空気に、ここ数日の異常な緊張が、少しずつ、本当に少しずつだが、ほぐれていくのを感じていた。


 宴が少し落ち着いた頃、俺は火照った顔を冷ましに、一人で縁側に出ていた。

 夜風が、酔った身体に心地いい。

 そこに、親戚の一人であるおじさんが、酒の入ったコップを片手に、静かに隣に座った。


「俊」


 さっきまでの冗談めかした態度とは違う、真剣な声だった。


「これから大変なるとは思うけど、この旅館だけは、つぶさんとってな」

「え……?」

「お前の爺さんはな、この旅館を愛して、命よりも大事にしとった。昔はこの辺もまだそれなりに栄えとってな、客もおったし、いつも嬉しそうにこの柱を磨いとったもんや。その魂を、お前のお母さんは受け継いで、客が来んでも、パートしながら必死でこの場所を守ろうとしとったんや」


 おじさんは、旅館の黒光りする大黒柱を、慈しむように撫でた。

 脳裏に、今は亡き祖父の笑顔が浮かんだ。いつもこの縁側で、嬉しそうに客を出迎えていた、あの優しい笑顔が。そして、俺が帰ってきた時、心から安堵したような顔を見せた、母さんの顔が。


「せやからな、お前があとを継いでくれるゆうたときは、そりゃあよろこんどったで。くれぐれも、お母ちゃんをがっかりさせやんとったれな」


 そうだ。俺がやるべきことは、ダンジョンで一攫千金を狙うことでも、世界最強の探索者になることでもない。

 この、祖父と母の想いが詰まった場所を、俺が、守り抜くことなんだ。

 そのために、この規格外の力があるのなら。


「……おじさん。うん、わかった」


 俺の目に、新たな覚悟の光が灯るのを、縁側から見える月だけが、静かに見守っていた。


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