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第10話 福井の怪物


 夕陽が、旅館の庭を茜色に染め上げていた。

 長く伸びた影が、これから始まる異様な光景の幕開けを告げているかのようだ。

 向かい合う、あまりにも対照的な二人。

 一人は、ギルド『ブリザード』が誇るB級探索者。歴戦のオーラを全身にまとい、重心を低く落とした無駄のない戦闘態勢は、それ自体が洗練された獣性を感じさせる。

 対する俺は、伝説のらしいものを、ただの棒のように気負いなく持っただけ。戦闘経験など皆無の、どこにでもいる元社畜だ。

 その歪な決闘を、三人の女性が固唾をのんで見守っていた。心配そうにスカートの裾を握りしめる小町ちゃん。獲物を前にした研究者のように、鋭い視線を送る郁美さん。そして、全てを見定めるように、冷徹な笑みを浮かべる氷室さん。


 彼女が「はじめ」と、静かに告げた。

 その瞬間、護衛の男の姿が、俺の視界から掻き消えた。


「――っ!?」


 目で追うことすらできない。達人の領域とされる高速移動スキル【瞬歩】。

 気づいた時には、その男は俺の懐に潜り込み、急所を的確に狙った鋭い掌底を放っていた。


「きゃっ!」


 小町ちゃんの短い悲鳴が聞こえる。

 ドンッ! という鈍い衝撃が、俺の脇腹を揺らした。


「うおっ……」


 俺はたたらを踏んで、二、三歩よろめく。

 だが、それだけだった。痛みらしい痛みはない。まるで、分厚いクッション越しに殴られたような、奇妙な感触だけが残る。

 むしろ、攻撃を放った護衛の男の方が、鋼鉄でも殴ったかのように顔を歪め、打撃を加えた自身の腕をぶらりと振っていた。


(いって……いや、思ったより痛くないな。もしかして、手加減してくれてるのか……?)


 俺がそんな見当違いの心配をしていると、護衛の男は物理攻撃が通用しないと即座に判断したらしい。素早く距離をとり、両手の間に魔力を集中させ始めた。


「喰らえ!【ファイアボルト】!【ウィンドカッター】!」


 詠唱と共に、炎の矢と風の刃が、唸りを上げて俺に殺到する。

 派手なエフェクトと共に、いくつもの魔法が俺の身体に次々と着弾した。熱風と衝撃が周囲の土を巻き上げ、俺の姿は一瞬、土煙の中に完全に隠れる。

 だが、その煙がゆっくりと晴れていくと――。


「うわ、熱っ……。今の、魔法か。すごいな、本物は……」


 そこに立っていたのは、服に少し土がついただけの、全くの無傷の俺だった。

 俺の異常なまでの防御力の前に、ベテラン探索者が放つ必殺のスキルは、何一つ意味をなさなかった。



 


 護衛の男の呼吸が、荒くなっているのが遠目にも分かった。

 自分の持ちうるスキルが、全く通用しない。その信じがたい現実に、彼の顔には焦りの色が浮かんでいた。

 プライドをかなぐり捨て、彼は最後の切り札に賭けることを決めたらしい。自身の全魔力を脚部に集中させ、一撃必殺の突進技を繰り出す。


(まずい、さっきより本気だ。でも、こっちも派手にやり返すわけにはいかないし……)


 猛然と突っ込んでくる護衛を見て、俺はそう考えた。

 止めるだけでいい。そう、止めるだけで。

 俺は剣を構えるでもなく、ただ、その突進してくる屈強な身体の胸元に、そっと、本当に優しく、手のひらを押し当てた。


 ゴシャァッ!


 爆発的な衝撃音が、庭中に響き渡った。

 それは、俺が力を加えた音ではない。護衛の凄まじい突進エネルギーが、俺というあまりにも硬すぎる壁にぶつかり、行き場をなくして、そのまま本人に全て跳ね返った音だった。

 護衛の男は、まるで巨大なハンマーで真正面から殴り飛ばされたかのように、くの字に折れ曲がって宙を舞う。そして、旅館の古い外壁に激突し、メリメリと木を派手に砕く音を立てて崩れ落ち、そのままぴくりとも動かなくなった。


 しん、と。

 夕暮れの庭に、完全な沈黙が落ちた。

 俺は、自分の手のひらを見つめる。


「え……? 俺、ちょっと、押しただけなのに……」


 小町ちゃんは、両手で口を覆ったまま、言葉を失っている。

 郁美さんは、その知的な顔から一切の表情を消し、ただ目の前の非現実を呆然と見つめていた。

 そして、氷室さんの、あの完璧なビジネススマイルは、跡形もなく消え去っていた。その顔に浮かんでいるのは、純度100パーセントの驚愕と、ほんのわずかな――恐怖の色だった。



 


 その時、旅館の生垣の陰で、一人の人物がそっとスマホの録画停止ボタンを押したことなど、誰一人として知る由もなかった。

 フードを目深にかぶったその人物は、手慣れた様子で今撮ったばかりの動画に【衝撃映像】などといったテロップを付け加えると、無言で動画共有サイトにアップロードする。

 そして、誰にも気づかれることなく、夕闇に溶けるようにその場を静かに立ち去っていった。



 


 ブリザードの一行は、気絶した護衛を抱え、一言の挨拶もなく、まるで逃げるようにして黒塗りの高級車で去っていった。

 残された俺たち三人は、重い沈黙の中、破壊された外壁の後片付けをしていた。


「おい」


 と、郁美さんが呟いた。

 彼女は、情報収集のために常にチェックしている探索者関連のサイトを見ていたが、その動きがぴたりと止まっている。その顔は、血の気が引いたように真っ青だった。


「これを見ろ! また……! また、大変なことになってるぞ!」


 郁美さんは、震える手でスマホの画面を俺たちに向けた。

 そこに映っていたのは、【衝撃映像!福井の怪物、ブリザードの精鋭をワンパンKO!】という、いかにも扇情的なタイトルの動画。

 そして、そのサムネイルには、俺が護衛の男を吹き飛ばす、まさにその瞬間が、くっきりと切り取られていた。

 再生回数は、アップロードされてからわずか数分で、既に【2,145,890】という、昨日をさらに上回る異常な数字を叩き出していた。

 俺たちの本当の地獄は、まだ始まったばかりだった。

 




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