*転・続*
「病は気から」
大神さんの話を聞き終えると、オレはヴィアンよろしく開口一番にそう言った。
「知り合いの専門家“もどき”が言うにはこういう症状は『そういうモノ』らしいんです。日頃そういう風に思ってるから『そういうモノ』に取り憑かれ――じゃなくて、宿るんですよ。オレたちみたいに」
「オレたち? もしかして薄原くんも……」
「えぇ、そうです。オレにも『そういうモノ』が宿っています」
「……宿っています、ということは完治していないのかい?」
「完治、っていうのが正しいのか分からないですけど、まぁそういう感じです。一応の妥協点で落ち着いてます」
すると大神さんの表情が曇り、
「もしかして、僕も元にはもう戻れないのだろうか?」
と、独り言のように不安を口にした。
「いや、大神さんは大丈夫です。オレの場合は自業自得っつーか、望んで妥協したんで。それに専門家“もどき”は『狼男』は簡単に解放できるって言ってたんで安心してください」
「そう……か。簡単、なのか。いや、そうだな、すまない。情けないことを言って、君に気を遣わせしまった。どうか忘れてほしい。む、薄原くん、カップが空じゃないか。ちょっと待っていてくれ、すぐに次の紅茶を淹れてこよう」
と、鋭い爪の生えた狼の大きな手で優しくティーポットを掴むと、大神さんは豪華なダイニングテーブルを離れ、素早く隣の部屋へと消えていった。
……とりあえず、下手に不安にさせないこと、は成功だな。
『不安は本人の意思を弱め、“僕ら”への依存度を高めるからね』
と、このあいだ長ったらしいウンチク(ダラダラな上に八割が余談・雑談だったので、脱線するたびに関節をキメてやった)の中でヴィアンが言っていた。
……………。
……つーか、そのヴィアン、遅ぇ。
このダイニングには窓はないから外の景色は見えないけど、時間的には完全に夜だ。しかもここは山の中で街灯もないから、周囲は真っ暗だろう。これだから、ここは田舎だ。間違っても『都市』伝説が流行る場所なんかじゃない。
問題の『田舎町』伝説の狼男はここでおとなしく待っていて、吸血鬼“もどき”がここに来れば全て解決するのに。
……まぁ、再発の可能性があるけど、それもヴィアンのヤツに何か案があるだろう。
大神さんの場合、オレと違って『狼男』を完全に取り除くことができるはず。
多分その辺が『本来の自分』を願った大神さんと、『もう一人の自分』を願ったオレの違いなんだろうな。
……………。
ま、なんにせよヴィアンが来ればとりあえずは一安心だ。
……つーか、オレ、ヴィアンに頼り過ぎじゃね?
ホントこんなんでイイのか、オレ?
――こんなことで、オレは『アイツ』を助けてやることができるのか?
「情けねぇ……」
と、思わず小さく呟いたときだった。
ガシャン、と陶器が割れる音が隣の部屋から響いた。
しかし続いて、人が動く気配がない。
一瞬、思案。
オレは慌てて席を立ち、音のした部屋へと――大神さんのいる部屋へと向かった。
そこは広々としたキッチンだった。
この洋館には少し不釣り合いな最新型の調理機器が並び、床にはティーポットの破片が散乱していた。
そしてその破片の中心に、大神さんは立っていた。
こっちに背を向け、窓の外をただ茫然と見ながら。
「……あの、大丈夫ですか?」
初めて今の姿の大神さんと出会ったときのように、オレは慎重に声を掛けた。
普通なら別に慎重になる場面でもないが、慎重になる理由が一つだけあった。
――大神さんの纏う雰囲気が違う。
別に何が、というわけではない。言葉で説明しろ、と言われても無理だ。
だけど何かが、明確にさっきまでと違う。多分、オレの本能的な何かがそう感じている。
そして初めて出会ったときと同じく、大神さんもゆっくりと頭だけ振り向いた。
その青い目で、オレを見た――いや、射抜いた。
見る者全てに恐怖を与えるような鋭い眼光。
それは――理性のない獣の目だった。
「……く、る……な……」
獰猛な牙の隙間から、辛うじてそんな大神さんの苦しそうな声が聞こえた次の瞬間、窓ガラスを突き破って『狼男』は外へ飛び出していった。
「――っ、大神さん!」
急いで風通しの良くなった窓から外を見る。
しかしそこに狼男の姿は、もうない。
見えるのは、屋敷の明かりで照らし出された大神家の山の木々。
そして、暗い空に輝く丸々と満ち満ちた月だけだった。