*転*
大神貿易商社。
この国が文明開化し始めた頃、僕の曾祖父が立ち上げ、祖父、父と継いできた会社だ。
そして僕も、いずれ継ぐことになる。
だから、上に立つ者とはこうあるべきだと、出来うる限りの教育を受けてきた。
なんの疑問も抱くことはなかった。
僕はそうあるべき人間なんだと思っていた――中学に入る頃までは。
みんなが楽しく遊んでいる頃、僕は経営学を学んでいた――いや、学ばされていた。
別に勉強自体は嫌いじゃなかったし、将来的に会社を継げることも誇りだった。
だけど、ただ普通に僕もみんなと遊びたかった。遊んでみたかった。
毎日毎日、そんな風に思っていた。
そして、高校受験で僕は初めて両親に反抗した。
家庭教師の先生に勧められていた隣町の進学校でなく、津々浦第二高校を受験したいと言った。
今思えば、実に単純で幼稚な発想だ。
決められたレールから脱出してみたい。逆らうことで自分らしくありたい。
そんなことを考えていた。
だけど両親の反応は、僕の予想とはまるで違った。
『後学の為に是非そうすると良い』
僕が今も覚えているのは、その一言しかない。
でも、その一言で十分だった――ちっぽけな自我を諦めるには。
もちろん両親は僕の為を思い、そして僕の意思を尊重してくれた言葉だ。そこに悪意があったとは決して思えないし、有り得ないと思う。
なのに僕が欲しかった言葉は、そんなものではなかった。
反抗した僕を、真っ向から否定してほしかった。
本当に今思えば、実に単純で幼稚な発想だ。青臭い、の一言に尽きる。
だから、僕は諦めた。
両親の望むような人間になろうと思った。その為の努力もしたつもりだった。
そして一ヶ月程前の夜、それは起こった。
突然、僕は『人間』ではなくなった。
得体の知れない衝動に駆られ、小一時間程ベッドの上でのたうち回り、気付くと『狼』になっていた。
翌晩も、また翌晩も、そのまた翌晩も。
その日から毎晩、僕はこの姿になった。その度に本能のような衝動を抑え込んだ。
もちろん、医師に診せることも考えた。だけど素人考えでも、これはそんなことで解決出来ることとは思えなかったし、それに何より人に会いたくなかった。衝動が抑えきれなくなる気がした。
そして数日後、僕はやっと気付いた。
これは、諦めた――いや、諦めた振りをしたあの時の自我なんだと。この姿は、好きなように生きてみたい、という僕の本心なんだと。
ちょうどその頃、両親は長期で海外にいたし、変身も夜だけだったから独りで我慢しようと思った。
だけど日に日に変身する時間は早くなっていった。
二週間程前からは、帰宅途中に変身して人に目撃されることもあった。そしてその度、自分が危害を加えないように――狼の衝動が抑えきれなくならないように、全力で逃げた。
そして昨日、ついに僕は君に出会った。
「大丈夫ですか?」と、こんな姿の僕に声を掛けてくれた。
もしかすると君なら救ってくれるんじゃないか、そんな予感がした。
そして今日、予感は確信に変わった。
だから一人の男として、一匹の狼として、今一度お願いする。
僕を――助けてほしい。