表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

荔枝(レイシ)物語

世の人々が唐の玄宗皇帝による楊貴妃への寵愛を通じて知った「荔枝」という名の果物。


しかし、私の心の中では、荔枝は本来の名「離支」に戻すべきだと思う。


文人や武将、そして天下の民の心の中では、楊貴妃は国を乱す妖妃であった。


彼女の死のみが、禍を鎮めるに足るものとされた。


自己中心的で懦弱な玄宗皇帝は、当然のように天下の声に「順応」し、楊貴妃の命を皇位の犠牲に捧げた。


歴史に名を残したこの愛し合う二人は、初めから皇権による一方的な略奪に過ぎなかった。


楊貴妃は、強制された受容と享楽に溺れる以外、選択の余地がなかった。


後に、楊貴妃は唐の華やかな盛世を体現し、同時に灰燼に帰す衰退へと歩み入った。


しかし、天下を憂いながらも他者を犠牲にする文人や武将たちは、彼女を決して許さなかった。


皇帝を諫める勇気のない彼らは、女性を口実に権謀術数を巡らせ、圧力を加えたのだ。


豪放な杜牧でさえ、「一騎の塵に妃子笑う、誰か知らん荔枝の来たるを」という皮肉を詠まずにはいられなかった。


だからこそ、八百里を駆けて届けられたのは、新鮮な荔枝ではなく、命との別れを告げる「離別の支」であったと言える。


私はこのような女性を深く憐れむ。彼女の一生は、他人の薄い唇に翻弄され続けた。


楊貴妃の美貌は、詩仙・李白が傑作を書く際、最も情熱的な告白の対象となった。


この放浪の詩人、李白だけが持つ「花を慈しみ玉を惜しむ」ような優しさ。


「雲は衣装を想い、花は容姿を想う。春風が欄干を撫でれば露の華は濃し。玉の山の頂に見えぬならば、瑶台の月下に逢うであろう」。


彼は彼女を瑶台の清らかな仙女に喩え、求めても得られぬ天上の月のような存在とした。


私の夢想の中の貴妃は、豊満でしなやかな体躯、玉のような肌、胡人の血を引く艶やかさと純真さを併せ持つ。


彼女は舞の名手で活発、紅の霓裳をまとえば、剥きたての荔枝のよう——白く水々しく、芳しい香りが立ち込める。


彼女は、この世で最も美しい象徴であった。


彼女の「璧を抱く罪」や「国を乱す悪」とは、男性優位の社会による責任転嫁に過ぎない。


まるでこの女性を滅ぼせば、強大な王朝の衰退を覆い隠せるかのように。


こうして、荔枝を愛したこの女性は、人々の語り得ぬ期待に押されるまま、馬嵬坡で命を絶った。


この世から一際の絶世の美が消え、音楽と舞の大家を失った。そして「霓裳羽衣曲」も彼女と共に天へ昇り、二度と地上で再現されることはなかった。


しかし今も、私は彼女が荔枝を見た時の艶やかな笑い声が聞こえるような気がする。いつものように荔枝を口に含み、羽衣曲を舞いながら、盛唐の象徴として...歩み来る姿が目に浮かぶ。


世間は憎悪に満ち、また憐憫に溢れる。


楊貴妃への憎しみが扇動された結果なら、蘇東坡への憐れみは、人々がその才能を慕い、不遇な境遇を痛惜する故であろう。


北宋の名高い文学家・書家・画家——それらの肩書より「美食家」と呼ぶに相応しい。


彼が創った東坡肉の味は天下に響き渡った。


そのような人物でさえ荔枝を偏愛し、「一日に荔枝三百顆を啖らう」だけでなく、常に嶺南の民でありたいと願った。


このような狂気じみた愛好も、好事家にとっては至って普通のことだ。


晩年の左遷の鬱屈さえ、荔枝の柔らかくジューシーな甘みが幾らか和らげたに違いない。


あの頃の蘇東坡は、宋に捧げた歳月と執着と情熱を後悔しただろうか——朝廷に仕えたことを。


おそらく彼は、宋の神宗が名門貴族や皇族の反対を押し切り熙寧の新法を断行した決意を、より懐かしく思っていただろう。王安石らを登用し、均輸法・青苗法・農田水利法を同年に施行し、天下万民に福祉をもたらしたあの頃を。


あるいは、十六歳で父の遺志を継ぎ強敵・西夏を臣従させ、年7万両の銀と15万匹の絹を献上する歳賜の恥を断ち切り、弱冠で世を去った哲宗皇帝の早世を、より深く嘆いていたかもしれない。


もしくは、皇帝としての業績は乏しいながらも、芸術の集大成である絵画技法を推進し、後世に『万里江山図』のような文化遺産を残した徽宗の事績に、かすかな安堵を覚えていたか。


それに徽宗は彼に再び北帰する機会さえ与えていたのだから。


常州で病に倒れ、ついに汴京の地を踏むことなく北上の途上で逝った東坡居士は、己の人生を悔やんでいたに違いない——


旅立つ頃、嶺南の荔枝は果実を膨らませ、通り過ぎる者を誘惑するように揺れていた。馬車の中の彼は、従者に枝を折って一粒味わうよう命じただろうか。その答えは、歴史の霧に消えている。


荔枝は甘く酸っぱく、性質は温。心・脾・肝の経絡に入る。


荔枝は知らず知らず、人々の過去や語られることのない心の傷を背負ってきた。


その性は熱く、食べ過ぎれば「上火のぼせ」を招く。


だが私はこの灼熱をこそ愛する。


母は「養生」という苦しい言い訳で、十年以上も私の荔枝への憧れを拒んだ。だから解き放たれた野馬のように、私は暴れ狂った。


こっそり蘇東坡に倣い、「一日三百顆」を貪った。


ああ、なんと痛快だったことか!


透き通った果汁が口に飛び込んだ瞬間、唯一無二の清涼な甘みに、私は荔枝に酔い痴れ、抜け出せなくなった。


荔枝への賛美は唐宋の文人たちが歴史の大半を占めるが、私が愛するのは明代・丘濬の『詠荔枝』だ。

「世に珍果これより優れるなし 玉雪の肌に絳紗を罩す

一種天然の好滋味 憐れむべし生くる処は天涯」


荔枝の清らかさが飾り気なく綴られ、これこそが本質だと悟る——自然の中に身を置き、世事を淡々と見つめる姿勢。


初めての無謀は痛い目を見た。歯の痛みは理屈を通さない。

母に隠れ、幸運にも叱責を免れた。


二度目は慎重になった。


数十粒だけ味わい、外で口をすすぎ、ようやく家に入った。


だがこの小心さが次第に「荔枝を断つ」自制心を育てた。


母は喜んだが、私は楽しくない。

その後、禁止されたこと全てに反抗したが、荔枝だけは買わなかった。


しかし、この極端さが病的だと気付いた時、逆にほっとした。


病めば、荔枝を食べる理由になるのだと。


内心は狂喜しながらも平静を装い、常連ふうに荔枝を選んだ。赤く膨らんだ外皮に触れると、不思議と心が落ち着いた。


家に持ち帰っても急いで食べず、一粒ずつ剥いて冷水に浸した。


翌日、荔枝と水が融け合い、爽やかな冷茶になった。


自分を解放しつつも縛り続ける——妥協の産物だ。


荔枝冷茶は、私の幼少期と現在が絡み合う、荔枝との密やかな情事。


楊貴妃が荔枝に刻んだ心の傷、蘇東坡が荔枝に託した過去、私が荔枝に込めた執着と反抗——全ては胃に収まる刹那、霧散する。


それでも千百年を経た今も、荔枝は人々の喉を灼くように誘い続ける!


注釈:

「離支」:古代中国での荔枝の別称。「離別」を連想させる言葉として、楊貴妃の運命と重ねられている。

「霓裳羽衣曲」:唐の宮廷舞楽。楊貴妃が得意としたとされる。

「薄い唇」:原文の「上下两瓣薄唇」を、他人の言葉や噂に翻弄される様子を比喩的に表現。

「花を慈しみ玉を惜しむ」:「怜香惜玉」の直訳的表現。女性への深い愛惜を示す。

李白の詩句:原詩の韻律を尊重しつつ、日本語の詩的な表現に調整。

「瑶台」:中国神話における仙境の楼閣。清らかで神秘的なイメージを強調。

「霓裳」:虹のように華やかな衣装。唐の宮廷舞楽「霓裳羽衣曲」で用いられた衣装を指す。

「胡人の血」:中央アジアの民族(胡人)の血統。楊貴妃の異国的な美しさの比喩として用いられる。

「璧を抱く罪(懐璧其罪)」:本来は「宝玉を持つことが罪となる」という意味の故事成語。ここでは「美しさや才能が逆に災いとなる」という比喩。

「男性優位の社会」:原文の「男権社会」を、現代日本語の表現に調整。

「滅ぼせば...覆い隠せる」:比喩的表現を保持しつつ、因果関係を明確に訳出。王朝の衰退と女性スケープゴートの関連性を強調。

「日啖荔枝三百顆」:蘇軾『惠州一絶』の詩句。原文「日啖荔枝三百顆 不辞長作嶺南人」。

「嶺南」:広東省一帯の古称。当時は辺境とされた地。

「東坡肉」:豚の角煮料理。蘇軾の美食家としての側面を象徴。

「馬嵬坡」:楊貴妃が処刑された地。唐代の転換点を象徴する悲劇の舞台。

「熙寧の新法」:王安石が主導した財政・軍制改革(1069-1085年)。社会矛盾の緩和を図った。

「歳賜の恥」」:西夏への年貢(銀7万両・絹15万匹)を指す。宋の対外弱体化を象徴。

「万里江山図:徽宗時代に発展した山水画の傑作。北宋文化の頂点を示す。

「汴京」:現在の開封。北宋の首都。蘇軾が憧れ続けた政治の中心地。

「上火」:中国医学の概念。体内の熱バランスの乱れを指す。

「一日三百顆」:蘇軾の詩句「日啖荔枝三百顆」への引用。

「丘濬」:明代の政治家・文人。『大学衍義補』の編纂で知られる。

「絳紗」:深紅色の薄絹。荔枝の外皮の赤と果肉の白を対比させる比喩。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ