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たすけて
たすけて
たすけて
だれだよ?
たすけて
だから、だれをたすけろって?
たすけて
ああ、うるさい!
助けてほしいのは、俺の方だ!
「あら、おぼっちゃま。おはようございます」
え?
ここは、どこだ?
知らない天井だった。
いや、嘘ですけど、でも見慣れない風景だ。
見慣れないのに、見慣れている感覚に、俺は少し戸惑った。
「少しお早いですけど、もう起きられますか?」
美女がいる。
年は、20代中ごろぐらいかな?
もっと若く見えなくもないけど、そこまでは若くはないというのが分かる。
落ち着いた仕草に、余裕がある態度は、ある程度の年齢がないと出ないと思う。
しかし、ありえないぐらいの美人だ。
金色の長い髪を後ろで編んで束ね、清楚な感じがする女性だ。
しかも、胸が大きい。いや、とても大きい。
とても魅力的な美女だけど、俺はなんとなくこの女性が苦手だ。
普通はこんな美女が側に居てくれたら、それだけでハッピーなはずなんだけど、なんとなくひとりになりたくなるのが不思議だ。
リズと名乗ったこの女性は、メイドのようでメイドではないようだ。
それにいったいいつ休んでいるのか分からないぐらい、いつも俺の側に居る。
寝る時も、起きる時もだ。
俺が休む時も必ず、リズは俺の枕元に居て、子守唄を奏でる。
リズの子守歌は、俺を深い眠りに誘う。
子守歌なんか恥ずかしいと言っても、はいはいと言って、歌うのをやめたりしないのだ。
そんな彼女に、なぜか俺は逆らえない。
そして翌朝、必ず俺を起こしてくれる。
まるで、一晩中俺の枕元に居たようにだ。
いくらなんでも、そんなことは・・・・・ないよな?
そうはいっても、俺はリズが休んでいるところを見たことがないし、俺の居るところには必ずリズが居て、視線を送るとリズはいつもニコッと微笑んでくれる。
いつ着替えたのか分からないけど、いつも身ぎれいで、しかも目にクマはなく、とても徹夜明けには見えないから休んではいると思うけど、いつ休んでいるんだろうかと疑問に感じるぐらい、いつもちゃんとしている。
そして、いつも優しい。
もし聖母がいるとしたら、それはきっとリズのことだろう。
こんな女性は、初めてだ。
「はい、おぼっちゃま」
顔を洗った後、柔らかいタオルを渡された。
以前は、リズが俺の顔を拭いてくれたけど、今は自分でやっている。
いい加減、自分でやらないといけないからと言ったら、少し悲しげな顔をして、残念そうにタオルを渡された。
リズのそんな表情を見た時、胸がズキッと痛んだ。
本当に、痛かった。
そのあまりの痛さに、俺は驚いた。
本当に、俺がリズに悪いことでもしたようにだ。
リズにそんな顔をさせるのは、とても嫌だと思ったし、自分を責めそうになる。
そうは思うけど、時々いじわるをしてしまうのだ。
したくなるのだ。
「おぼっちゃまもいずれは、聖都に赴かないといけなくなりますから・・・」
うつむき加減でぼそぼそと語るリズを見ると、つい後悔してしまう。
友達をうっかり傷つけた時の、あのばつの悪さというか、素直に謝れない感覚に俺は戸惑った。
いや、ここに来てから、俺は戸惑いっぱなしだった。
「でも、おぼっちゃまがこちらにいらっしゃる間は、すべてこのリズにお任せくださいませ!」
リズは小さく、ガッツポーズをしてみせた。
こういう時のリズが、とても幼く見える。
そんなリズを見ると、俺はリズに甘いと思う。
やっぱり、今度はもっときつく言おう。
そう思いつつも、いつもリズにされるがままの俺だった。
「さあ、お着替えいたしましょう」
鼻歌交じりで俺の着替えを手伝うというより、着せ替え人形のごとくリズにされるがままの俺は、優柔不断なのだろうか。
いや、美女に逆らえる男なんて、どこにもいないはずだ!
そう思うことにしよう。
でも、いずれ聖都に赴くってことは、ここは聖都ではないということか。
聖都って、なんだ?
そもそも、ここはどこだ?
俺は何者だ?
まあ、おいおい分かるだろう。
まだ、ここがどこで、何なのか分からない内は、下手な詮索はしない方がいい。
俺の正体を知られないように、慎重にだ。
「さあ、朝食のご用意が出来てございますよ♪」
俺はリズに促されるように、部屋を出て廊下というか、回廊みたいな場所を歩いた。
この屋敷は想像以上に広く、最初の頃は迷った。
いや、俺の後ろには常にリズが付いているから、迷うことはないんだけど。
どちらへと聞かれても、ちょっととしか答えない俺も悪いと思うけど。
だって俺はいまだに、この屋敷の全貌が分からない。
そもそもが、分からないことだらけだ。
食事は食堂でするのだが、そこにはお貴族にありがちな大きな長方形のテーブルはなく、意外にも丸いテーブルだった。
そこには両親はおらず、メイドがどこからかワゴンで料理を運ぶだけで、後はリズが全部やってくれる。
だいたい、両親がどこに居るのかも俺は知らないし、名前すら分からない。
知りたいけど、当然という顔をしないといけないと思うからだ。
出された食事は冷えていて正直あまり美味しくないけど、あらかじめリズが毒見をしているそうだ。
そんなことが必要なのかどうか分からないけど、出来立てを食べることはどうも無さそうだ。
でも、毒見って本当に必要なのか?
俺は冷めたスープをお上品にすすりながら、そう感じた。
俺は貴族に相応しく、何事も上品にこなせる、らしい。
というか、俺にはこんなスキルがあったのが驚きで、上流階級の作法にはそれほど苦労はしなかった。
いちいち考えずに、無意識に貴族らしく振舞えるのだから、つくづく不思議な身体だと思う。
しかも、初級の社交ダンスまで踊れるのだから、自分でも驚きだった。
初めて社交ダンスの練習をした時は正直緊張したけど、自然に踊れてしかも相手の足を踏まずに身体を密着させながら、優雅に踊れてしまった。
もう、中級の練習も出来ますねとリズは喜んでいたけど、そもそも社交ダンスの初級を練習した覚えはないんだけど。
そんな社交ダンスの練習相手はいつもリズだけど、お上手です、おぼっちゃまを連呼しながら俺を抱きしめたり頭をなでるので、ちょっと恥ずかしかった。
いちいちリズのスキンシップが過剰過ぎると思うけど、もしかしてこの世界ではこれが普通なのか?
前世における外国では、握手やハグはもちろん何ならキスまでするのだから、これをおかしいと思ってはいけないのだろう。
いや、他のメイドや使用人はそんなことはしないし、むしろ俺から距離を取っている。
以前、使用人の少女が物を落としたので拾ってやると、使用人の少女は俺が驚くほど謝ってきた。
俺は気にするなと言ったけど、リズは逆に俺をたしなめた。
こういう時は、気が付かないふりをするのが作法でございますわと。
そしてリズは、その少女を叱っていた。
おぼっちゃまに、お手間を取らせてはいけませんと。
うなだれた少女を見るのは、正直いたたまれなかった。
でも、これが普通なんだ。
普通なんだけど、俺にはどうもその感覚が理解出来ない。
朝食の後は、身体を鍛える。
主に走り込みと素振り。
もちろん、素振りはバットではなく剣だ。
剣と言っても木剣だけど、本物みたいに重かった。
いや、本物を持ったことはなかったけど。
とにかく、それをひたすら振るのだ。
その後は、打ち合いの稽古をする。
稽古の相手はこの屋敷に常駐している騎士で、リズの旦那さんだった。
これを知るのは意外に簡単で、旦那さんから妻は問題ありませんかと聞いてきたので、リズは良くしてくれますと応えた。
俺の世話をしているのは、リズ以外に居ないからこれだけで分かった。
そんなリズの旦那さんはいつも言葉数少なく、もっととか、強くとか、早くと曖昧で困った。
そんな無口な旦那さんは、リズからルスと呼ばれていたから、きっとルスという名前なんだろう。
リズ自体は、エーオス様とかエーオス夫人と呼ばれていたので、姓はエーオスなんだろう。
リズのことを奥さまと呼ぶ人も居るけど、それは一人だけだから気にしないでおこう。
二人の名前はリズ・エーオスにルス・エーオスと、取り合えず覚えておこう。
とは言うものの、もしかしたら聞き違いとか役職名の可能性もあるので、今はリズとルスと呼ぶことにした。
それで困ることは、何も無いし。
ちなみに俺のことは、リズ以外の皆は殿下と呼んでいる。
ルスも俺のことを殿下と呼ぶので、おぼっちゃま呼びはリズだけのようだ。
というか、この期に及んでも身近な人の正確な名前どころか、自分の名前すら知らない俺って、どうよ?
メイドを始めとする使用人達はもちろん、肝腎の親の名前すら知らない。
自分のコミュ力の無さを、実感する。
コミュ力って、本当に大事なんだとこの世界に転生してから、実感するようになった。
どうにかして、自分のことはもちろん、親やこのお屋敷の人たちについての情報も知らないといけない。
とは言うものの、今更自己紹介は無いだろうし、使用人に親の名前を聞くのもどうかと思う。
それこそ、お前誰だよになるからだ。
それは、秘密にしないといけないだろう。
そもそも、ここが異世界なのかどうかも、実はよく分からないからだ。
俺が前世の記憶を持っているのか、それとも別世界から来たのか、それすらも分からないからだ。
いろいろと不便な毎日だけど、前の生活よりも快適なので、なんとなく居心地がいい。
ひとりになれないのが、玉に瑕だけど。




