18
道化師は胸を押さえ、膝をついている。
リズは刃物を構えている。
すべては一瞬の、出来事だった。
「その坊やをボクに渡しなよ。悪いようにはしないからさ」
「この子は、リオンは私の命です。あなたになんか、あなたなんかに絶対に渡しませんわ!」
「はあ~、どうして女って、こうも愚かなんだろうねえ。せっかく、見逃してあげるって言ってるのにさ」
道化師はすっかり呆れていた。
ため息も吐いた。
「お姉さんさぁ、このままだとそこの坊やが誰にさらわれたのか、分からないと思うよ。君のご主人さまにこのことを知らせるのも、忠誠心の表し方のひとつじゃないのかい?」
道化師はなんで、こうまでしてリズを逃がそうとするんだろうか?
何か理由でもあるのかな?
まさか、本当に女性を傷付けたくないとか、それが理由か?
それとも、目的は俺だけだから、関係ない人間を巻き込みたくないからか?
無用な殺生は、避けるのがプロということか?
「それが賢いって奴じゃないのかい?」
道化師はまだ、リズを説得しようとするけど、伸ばした腕を背中の後ろに回した。
「だ、だから、ひ、ひとちがいです!だれかと、だれかとまちがえてます!!!」
「誤魔化すのはもういい。ボクはね、面倒くさいのキライなんだよ」
道化師は背後から、細身の剣を取り出した。
「さっさと行けよ、今の内だ」
「ち、近づかないでください!それ以上近づいたら、承知しません!」
「メイド風情が、何を承知しないって?」
「お母さんは、決して逃げたり致しませんわ!」
黒い色をした剣は禍々しく、人の命を何人も吸った、そんな感じがする。
こんな時なのに、俺はその剣に見惚れてしまった。
道化師は、剣を振り上げた。
「リズ!」
「よく頑張りましたわ」
「え?」
リズが俺から身体を離した。
離したその瞬間、目の前で旋回した。
リズは、ウィンクをした。
微笑みながら。
道化師の顔が、一瞬で歪んだ。
「な!?」
「えええ?」
リズは回りながら、手に持っていた刃物で、道化師の胸を斬り割いた。
血しぶきが飛んだ。
その刹那、一瞬だけ動きを止めた道化師は、叫びながら剣を勢いよく振り下ろした。
「このおおおおお!!!メイドの分際でええぇぇぇぇぇぇ!!!!」
雄叫びを上げながら振り下ろす剣を、リズは旋回しながら華麗にいなした。
振り下ろされた剣は、勢いが付く。
攻撃を避けられてしまった道化師は、勢いが付いた剣を慌てて引き戻そうとするが、リズは道化師にその暇を与えなかった。
持っていた刃物で、上から剣を押さえ付けた。
勢いが付いた剣を、道化師は引き戻すことが出来ない。
「え?」
剣の先端が地面に刺さる。
禍々しく見えた黒い剣を、リズは上からあっさりと叩き折った。
「は!?はああああ?????」
驚く道化師。
止まらないリズ。
ポニーテールにした髪も、リズを追いかけるように回り続けた。
黒い剣を叩き折った勢いそのままに再度旋回を行い、勢いのまま刃物を突き出した。
道化師の首に、喉に向かって。
道化師の顔が歪んだ。
避けられない。
やったと思った。
道化師の喉笛に、刃物の先端が接触する、その刹那!
「トベ!」
「え?」
「飛べ!飛べ!!飛べ!!!飛べえええええ!!!!」
喉が貫かれるその一瞬、道化師は後ろに飛んで行った。
否、後ろに引っ張られていった。
道化師はリズの側から、勢いよく離れて行った。
リズはその場で、停止した。
金色に輝くポニーテールは、剣と共に舞う。
その煌めきは、残心のリズを追い越す。
金色に輝く光跡を残しながら、胸の前に舞い降りた。
その間、後ろに飛んでいった道化師は、無様に転がりながらも最後は何とか構えを取った。
態勢を整えた道化師は、持っていた剣先をリズに向けた。
しかし、リズに向けた剣は、もう存在しなかった。
「チッ!」
道化師は舌打ちすると、持っていた柄だけになり果てた剣を投げ捨てた。
「おい!」
道化師は片方の手で胸を押さえ、もう片方の手で首に触っていた。
「お前、何者だ!」
ああ、それは俺も気になる。
今のリズの立ち回りは、一体何?
リズって、何者?
カッコいいの一言以外に、表現しようが無かった。
「ただのメイドじゃないな?」
道化師のその問いに対してリズは、返事の代わりにため息をひとつ吐いた。
「ふ~、踏み込みが浅かったようでございますわ」
「あ?」
リズは道化師を見つめ、ため息を吐いた。
「・・・・・・やはり、そうでしたか。・・・・・あなたが・・・・・・・魔女でしたか」
え、魔女?って、何?
魔族とどう違うの?
「チッ!」
舌打ちした道化師の様子が、明らかに変わっていた。
胸と首あたりから出ていた煙は、やがて身体全体から出ていた。
顔が、あの派手な顔の化粧が、見事に消えていた。
その顔は、明らかに女性の顔だった。
しかも、赤かった髪の色は、白、否、銀色に変化していた。
深い闇の色をした瞳は赤みを増し、肌も真っ白になった。
白い肌というより、色素が無いように見える不思議な肌をしていた。
華奢な身体も益々華奢になり、胸のあたりが膨らみ始めた。
男のようだった胸板は、女性特有の二つの膨らみに変化した。
明らかに、女性だった。
「そうですか、魔女がお相手でしたか」
リズは構えを解き、腰に巻いてあるエプロンの紐を解いた。
解かれたエプロンはその場に落ちることはなく、ゆっくりと風に流されていった。
リズはスカートを持ち上げ、持っていた刃物でまっすぐと縦に切り割いた。
まるで、カッターナイフで紙を切るように。
解放された足を、勢いよく前に出す。
切り割かれたスカートから、リズの足があらわになった。
初めて見るリズの足は驚くほど真っ白で、こんな時なのに俺の心臓は跳ねた。
「でも、やけに白いな?」
よく見ると、どうやらストッキングを履いていたようだ。
この世界にも、ストッキングがあるんだと呑気に考えたけど、今はそれどころではない。
状況は変化したんだ。
変化した状況を整理すると、一対六ではなく、二対六になった。
少しだけど、状況が好転した。
これなら、いけそうだ。
次は俺の出番だ。
ルス直伝の剣術を、見せる時だ!
ルスから預かったナイフを鞘から抜こうとしたら、そこにあるのは空になった鞘だけだった。
「へ?」
俺が持っていたはずのナイフは、リズが持っていた。
俺は空になった鞘と、リズが持っているナイフを交互に見た。
いつの間に。
そうか、最初の旋回の時にリズは、この鞘からナイフを抜いたのか。
どんな反射神経だよ。
あの動きで、何であんな真似が出来るんだ?
すごい動体視力の持ち主じゃないか?
本当にリズって、何者なんだ?
「集え!」
「え?何?」
魔女が何かつぶやいていた。
「・・・・・・・・・・リオン」
「え?」
リオンって、俺のことか。一瞬、誰のことか分からなかった。
「決して、動いてはなりません。決してでございますわ」
「う、うん」
何だか分からないけど、何かが起きるようだ。
すると、魔女は手を伸ばした。
伸ばした腕をこちらに向けた魔女は、余裕を取り戻したせいかにやりと笑った。
「死ね、ババア。魔術解放!」
開かれた手から、光が放たれた。
魔女の手の平の先に現れた何かが、こっちに飛んできた。
光は煙に変化した。
それは黒い煙の塊としか言いようがなく、それがまっすぐこっちに向かってきている。
間違いない、攻撃魔法だ。多分。
しかし、リズは動かない。
違う、動けないんだ。
俺がすぐ後ろ居るから、リズは逃げられないのか。
また、リズは俺の盾になろうとしているのか。
俺が、リズの足を引っ張っているのか?
情けない。
でも、どうすればいいんだ。
今更、ここから逃げられないし、そもそも動けない。
肝腎のリズは、逃げる気はないようだけど。
持っていたナイフを、上段に構えたからだ。
リズは、いったい何をする気だ?
リズは大きく息を吸い、あらわになった足を一歩前に踏み出した。
煙はゆっくりと近づいているように見えたけど、あっという間にリズの目の前に来た。
ぶつかると思った。
煙がリズの目の前に来た、その瞬間だった。
リズは気合一閃、上段に構えたナイフを煙に向かって振り下ろした。
「エイッ!」
煙は二つに分かれ、リズや俺を避け、後方の壁にぶつかり、そのまま炎上した。
すごいとしか、言いようがなかった。
「・・・・・・・リオン」
「え?」
「ご無事でございましょうか?」
「う、うん、だ、大丈夫だよ。ぼ、僕のことは気にしないで」
ダメだ、すっかり動揺している。
というか、何なんだ、この二人は?
魔女が魔法を使うのは分かる。
魔法を使うから、魔女・・・・・で良かったんだっけ?
何か違うような気がするけど、詮索は後回しだ。
そういうのは、やることをやってからだけど、問題は俺に何が出来るかだ。
リズがやった魔法を切り割くなんて、ちょっとおかしくないか。
煙を切るなて、物理的に可能なのか?
実際、やっているんだから出来るのだろうけど、問題は俺にも出来るかどうかだ。
それとも、何かからくりでもあるのか?
実はリズも、魔女とか?
分からない。
リズは一体、何者なんだ?
「動いてはなりませんよ。・・・・・・リオンは、・・・・・・・・お母さんが・・・・リオンのお母さんが必ずお守りいたしますから」
おお!なんと心強い言葉だと言いたいけど、これでいいのだろうか?
リズはナイフを、まっすぐと魔女に向けた。
「おい!今何をやった!」
魔女の甲高い声が、俺の耳元にも届いた。
「おい!聞いているのか?術式を切るなんて、どうやったんだ?」
「あなた」
「あ?」
「お退きなさい」
「お前!」
「お退きなさい。今なら、見逃して差し上げますわ」
「おまえええええ!!!!!!」
魔女の肩が震えているのが、ここからでもよく分かる。
「跳べ!」
魔女が後ろに飛んだ。
今度は、ちゃんと飛んだようだ。
ただ、これでリズとの距離が開いてしまった。
いや、もしかしたら逃げる気かもしれない。
だが。
「このババアが!」
遠くからでも、怒っているのがよく分かる。
「メイドの分際で!たかがメイドの分際で、このボクに、このボクに退けだと?見逃してやるだって?バカにしやがって、バカにしやがって!!!」
魔女は両手を天に向かって、高々と掲げた。
「もういい、もういい。もうどうなっても知らないからな。全部、お前のせいだ!」
何かが、光った。
「発動!」
空気が震えた。
リズは左右を見てから、振り返って俺を見た。
その顔は、今までに見たことが無い顔だった。
焦っている、そんな表情だった。
「集え!集え、集え、集え、力よ!我が元に集え!術式展開!」
空が光り輝いた。
「おぼっちゃまあああああ!」
リズがナイフを捨て俺の側に駆け寄り、そのまま覆いかぶさってきた。
「お伏せ下さい!!!!!!」
「な、なにを?」
俺はリズに押し倒され、そのまま動けなくなった。
俺はどうにかして光り輝いた空を見ようとしたけど、リズは俺の頭を押さえつけ、そのまま自分の胸に押し付けた。
俺の口はリズの胸に押さえつけられてしまい、何もしゃべることができなかった。
若干、息苦しい。
これだと、状況が分からない。
いや、最初から何が起きているのか、俺にはまったく分からない。
ただ分かるのは、非常にまずい状況だということだけだ。
明るかった空が、今度は暗くなり始めたからだ。
まるで、ゲリラ雷雨に遭う直前の、そんな空のように。
「リ、リズ」
声は届かなかった。
その時だった。
「だいじょうぶ」
かすかに聞こえた。
それはとても、小さな声だった。
聞いたことのある、どこか懐かしさを感じさせる、とても小さな小さな声だった。
小さいけど、弱くはない。
とても、力を感じさせる声だった。
「集え、集え、集え、力よ、もっと集え!」
「散れ、散れ、散れ、集まりし力よ、あるべき場所にお戻りなさい」
詠唱が重なる。
もう一人は、一体どこに居るんだ?
近くに居るはずなのに、気配が感じない。
というか、リズに押さえつけられているので、何も分からない。
「リズ」
声は届かない。
リズは俺を押さえながら、何かつぶやいていた。
「聖なる神よ、月の女神よ、どうか、どうかおぼっちゃまを、おぼっちゃまだけはお守り下さいませ。聖なる神よ、月の女神よ・・・・・・・・・」
「リズ」
リズの言葉は段々、聴き取れなくなっていた。
詠唱も重なり合っている。
「我が力よ!矮小なこの愚か者どもに、正義の鉄槌をくださん!」
「理よ、愚かな行いをする者の力を奪いたまえ」
もう、訳が分からない。
リズが何を言っているのかも、俺には分からなかった。
でも、これだけは分かった。
これだけは、はっきりと聞こえた。
「あいしてます」
リズの声で、分かるのはもうこれだけだった。
これだけは、明瞭だった。
俺もそれに応えたいけど、状況は変わらずでリズに語り掛けることが出来なかった。
かろうじて、息が出来るぐらいだった。
何が起きているのか分からないし、暗くなった空のせいで殆ど何も見えないことが、こんなにも不安にさせるのか。
目の前に居るリズだけが、唯一分かる存在だった。
でも、不安しかない。
リズの温もりと微かな心音と、あいしてますが俺をかえって不安にさせた。
「粉砕せよ!魔術解放!!!」
「対抗、魔術消滅」
「あいしてます」
三つの言葉が、重なり合った。
俺は、何も出来なかった。




