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「息が詰まる!」
毎日毎日、勉強にマナーの練習と、いい加減飽き飽きしてくる。
乗馬の訓練とかも、屋敷内にある広大な牧場を使ってやっているのだけど、楽しかったのは最初だけだった。
いつからだろうか、外の空気をうまいと感じなくなったのは。
訓練のハードルも上がり、うまくやれないのもストレスになる。
しかも、馬が俺の言うことを聞いてくれないのも、益々ストレスになる。
その馬に当たって、逆に振り落とされそうになったことすらある。
馬をそのように扱ってはいけませんと、ルスにたしなめられる始末だ。
悪いのは俺の言う事を聞かない馬なのに、俺がたしなめられたことが気に入らず、腹いせに馬から乱暴に降りて着地に失敗した。
思いっきり、肩を打った。
落馬した、その瞬間だった。
リズが悲鳴を上げ、俺の側まで駆け寄ってきた。
いくら自分は大丈夫だと言っても、痛いところはありませんか、我慢してはなりませんとしつこく聞かれる始末だ。
リズに心配される俺は、ただ恥ずかしかった。
泥だらけになった俺は、リズの手厚すぎる手当てを受ける羽目になった。
リズを振り切って強引に部屋に戻ろうとしても、リズが放してくれなかった。
リズはその時、俺の身体に付いたあざを見て、涙を流していた。
リズの泣き顔を、至近距離で見せられる羽目になった。
そんなリズの悲し気な表情を見ると、俺にはリズを振り払うことがどうしても出来なかった。
優柔不断な俺自身に、イライラしてくる。
しかも最近では、食事の時間ですらも色々と注意されるので、本当に切れそうになる。
教師の教わった通りにやっているのに、それでは違いますと怒られる。
こうやりますと言われても、同じやり方をしているはずなのに、何故か怒られる。
どこがどう違うのか質問しても、要領を得ない。
リズが横やりを入れてきて、俺が教わったマナーがどうも貴婦人のマナーらしく、紳士がするマナーでは無かった。
どうしてそうなったかと言うと、俺にマナーを教えている教師が、伯爵夫人だったからだ。
リズにこうやりますと言われ、その通りにやってみたら、やればお出来になるではありませんかと教師に言われ、切れそうになった。
リズに止められなかったら、少なくとも何かきつい一言を放っていたと思う。
どう考えても、理不尽だろう。
教わっていないマナーなんて、出来る訳ないだろう!
というか、間違ったマナーを教えておきながら、何で怒るんだ?
何で教師が開き直るんだ?
なんで、リズが謝るんだ?
悪いのは教師だろう?
これでは、ストレスが溜まる一方だ。
しかもストレス発散の方法も無く、だらだら出来る時間も無い。
そんな時、俺は最低な行動に出てしまった。
リズに当たってしまった。
座学の時の教師の言い方が癇に障り、教師に強く反発しそうになった時のことだ。
切れて大声を出そうとした、その瞬間だった。
リズが急に、大声を出した。
「いけません!おぼっちゃまっ!!!!!」
「え?」
振り返る間もなく、後ろから抱きすくめられた。
身動き出来なくなった。
いつも広間の後ろで静かに佇んでいる、リズのそんな大きな声に俺は驚いたけど、むしろ教師の方がびっくりしていた。
リズは教師に向かって、こう説明をした。
「殿下はご気分が優れないようですので、本日はここまででお願いいたします!」
リズのいつもの落ち着いた声と違って、意外なほど強い口調だった。
どこか、切迫感すら感じた。
「はあ、さようでございますか」
教師は特に反論せず、本日の座学もお開きになった。
リズに叱責されるとでも思ったのか、教師はホッとした表情を見せて逃げるように広間を後にした。
そんな教師を見ると、俺は益々イライラしてきた。
教師が去ってしばらくしてから、リズは俺を廊下に連れ出した。
それも、気分が悪い。
俺はリズを振り切り、早足で部屋に向かった。
「おぼっちゃま?」
俺はリズを無視した。
リズを無視する自分が、腹立たしかった。
リズに当たってどうする。
いつも俺を、庇ってくれているではないか。
親身に世話をしてくれるではないか。
俺を孤独にしないじゃないか。
でも、どうしようもない。
そんな時、たまたま廊下ですれ違うメイドが、立ち止まって俺に挨拶をする。
何か言いたかった。
俺は言いたいことを我慢して、その場を立ち去った。
メイドはきっと、俺が見えなくなるまで頭を下げて待っているだろう。
そんなことをするな。
いちいち、立ち止まるな。
いちいち、頭を下げるな。
いちいち、俺に気を遣うな。
俺に、怯えるな。
リズに強く当たってしまう俺が、心底嫌になる。
「もう、ほっといてよ!」
いつも俺に優しいリズには申し訳ないと思うけど、ストレスが溜まるのはどうしようもないからだ。
これは、甘えだ。
リズに、甘えてしまうのだ。
リズに対してだけ、どうしても強く出てしまう。
いつも優しいリズにだ。
最低だ。
でも、どうにかしたくても、どうしようも無かった。
ゲームも無い。
動画も見れない。
そもそもスマホが無いから、SNSもない。
極めつけが、食事がまずい。
ジャンクフードも無い。
アルコールも無い。
何も無い。
無い、無い、無い、無い、無い、無い、無い、無い、無い、無い、何も無い、何もかも無い。
俺も無い。
「おぼっちゃま。今だけでございますよ」
リズは俺の怒りやわがままを叱りつけるでもなく、ただ優しくなだめてくれる。
頭を優しくなでてくれる。
俺はそれすら、気に入らなかった。
でも、手を振り払う気力も、俺には無かった。
そんな俺自身も、気に入らなかった。
どうしていいのか、自分でもよく分からない。
とは言え、そんなリズだって怒る時もある。
それは家宝の花瓶を、叩き割ったことの時だ。
それはうっかりではなく、意図的にやったのだ。
何かを壊したくなる衝動があり、偶然目の前に叩き壊すのにおあつらえ向きの豪華な花瓶があった。
俺はそれを、蹴り飛ばしたのだ。
花瓶は大きな音を立てて、実に見事に割れた。
でも、気分はすっきりしなかった。
「おぼっちゃま。どうして、あのようなことをなさったのですか?」
俺はプイッと横を向き、だんまりを決め込んだ。
「おぼっちゃま!」
リズは俺の顔を両手で挟み、無理やりリズの正面に向かせてきた。
いつもなら、やれやれと思うだけだけど、今回は必死に抵抗した。
抵抗したけど、リズの力に未だに敵わない。
敵わないからこそ、気持ちはむしろ荒れてしまう。
俺は女に、力でねじ伏せられるのかと。
「おぼっちゃま。あの花瓶は、先王陛下より賜りし大公家の家宝でございます。大公家の功績を陛下がお認めになり、下賜して頂いた貴重な花瓶でございます」
「うん」
俺は力なく頷いた。
正直、あの花瓶にそんな由来があることを、俺は知らなかった。
この家のモノは、俺のモノとどこかで高を括っていたからだ。
「もし、何かお気に障るようなことがおありなら、リズに、このリズにだけはおっしゃってくださいませ」
何を言えって?
だいたい、言おうとして止めたのは、リズだろう?
そんな言葉を、俺は飲み込んだ。
飲み込んでしまうのだ。
俺が我慢すれば、すべてが丸く収まる。
そんな訳、あるか!
そもそも、俺は何がしたいんだ。
そんな俺を、心配そうな目で見ている。
どこか不安そうな、それでいて俺を包み込もうとする、優しい聖母のような女性が目の前に居る。
ふと、目の前に居るリズの顔を引っ叩きたい、そんな誘惑にかられた。
そんなことを考えてしまう、自分が怖くなった。
どこまでも優しく、いつも俺のことを思ってくれるリズを、遠ざけるのではなく暴力を振るいたいという、そんな衝動が産まれたことに俺は恐怖した。
いたたまれなくなった。
でも、俺はここから逃げられない。
もう、どこにも行けない。
ここは異世界であり、ここ以外に俺の居場所はない。
だから俺は、この感情に折り合いをつけないといけない。
現実って、優しくないんだと。
色々なモノと折り合いをつける事が出来て、初めて大人だと思う。
俺を大事に思う人を、大事に思いたい。
だって、俺はリズのことが好きだと思う。
好きな人を傷つけるのって、やってはいけないと思う。
もっとも、この好きは性愛の対象としてではなく、家族に向けるような感情かもしれない。
温かな、家族の感情。
前世の俺に縁の無かった、そんな気持ちだ。
だから、せめて気持ちだけは伝えよう。
今の望みを、正直に言おう。
俺は大きく息を吸い、大きく息を吐いた。
もう一度、大きく息を吸い、大きく息を吐いた。
リズは、黙って見ていた。
俺はリズを、まっすぐ見つめた。
「おぼっちゃま?」
「リズ」
「はい!おぼっちゃま!」
「お外に出たい」
「お外でございますか?」
「うん」
「牧場ではダメでしょうか?」
「街に出たい」
「街でございましょうか?」
「うん」
「・・・・・・・・・・・・・」
「ダメかな?」
「・・・・・・・・・分かりました」
「ホント?」
「はい、おぼっちゃま」
「リズ、ありがとう」
「では、警護の手配をいたしますわ」
「へ?」
「市長にもご連絡致しますので、少々お時間を下さいませ」
「え?」
「視察というと、ええっと」
「リズ?」
「やはり、商工会は外せませんわ」
「リズ?」
「教会にも赴きませんと」
「お~い」
「ええっと、教会に伺うついでに、孤児院の視察もいいかしら」
顎に指を当てながらの、小首を傾げるいつものポーズのリズ。
ダメ、ダメ。
視察なんかはダメ。
俺は、ストレスを発散したいんだ!
そんな衆人環視の中に置かれたら、俺は益々ストレスが溜まる。
いや、ストレスで死ぬ。
「リズ!」
「あ、はい?何でしょうか、おぼっちゃま」
「僕は一人で行きたい」
「一人でとは、どちらへでございましょうか?」
「街に」
「街にでございますか?」
「うん、街に」
「おひとりでございましょうか?」
「うん、一人で」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「いけませんわ!」
「なんで?」
「危ないと存じます」
「危ないの?」
「はい、大変危ないと存じます。だから、護衛は絶対に必要ですわ」
「すぐそこの街でしょう?大げさじゃない?」
「人さらいが表れ、すでに子供が何人か行方知れずになっています」
「ええ?」
「大公家公子である、おぼっちゃまを誘拐しようとするかもしれませんわ」
「僕って、街ではそんなに有名なの?」
「はい、もちろんでございますわ」
「でも、街に出た記憶が無いけど?」
嘘です。
前世の記憶に目覚めたはいいが、その結果、肝腎の昔の記憶が消えてしまったから。
まあ、ぽつぽつと、何かのきっかけで思い出すんだけど。
「5年前に街の教会でお披露目を致しましたので、この街でおぼっちゃまを知らない人はいませんわ」
え?
5年前?
顔とか容姿とか、随分と変わったと思うけど?
「じゃあ、僕の身長は5年前と変わらなかったの?」
「いいえ、随分とご成長なさいました。ああ、あの頃は本当にお小さくて・・・」
昔を思い出したのか、少し感極まったような表情になったけど、いいことを聞いた。
少なくとも、今よりはかなり小さいようだ。
ここは異世界だから、背丈も変わらない可能性も考えないといけなかったからだ。
思い出話しをしているリズを止めて、訊ねることにした。
「リズ?」
「はい、おぼっちゃま」
「そうだとしたらさ、街の人は僕を知らないよね」
「え?でも」
「5年前だったら、僕はまだ小さな子供でしょう?」
「はい、あの頃は本当にお小さくて、とっても愛らしいお子様でございまして」
「ああ、それはいいから」
「はい」
いちいち、俯かないでよ。
胸がズキッとするからさ。
結構、痛いんだよ。
「とにかくさ、少し変装すれば誰も僕のことを分からないと思うよ」
「変装でございますか?」
「うん。街の子供の格好をすれば、きっとばれないよ」
「そうでございましょうか?」
「大丈夫だよ。帽子も被れば、誰も僕のことなんか分からないって」
「少し、考えさせてくださいませ」
「うん!」
リズは顎に指を当て、しばらく考えていた。
小首を傾げていなかった。
恐らくは大丈夫だろう。
そんな気がした。
問題は、いつがいいかだ。
行くとしたら聖日がいいだろう。
聖日って休日だから、人出もあるはず。
きっと、屋台とかの出店があるに違いない。
買い食い出来るぞ!
買い物だって、してみたいし。
雑貨屋とかもあるかな?
お笑いとか演劇とかも、観れないかな?
そうだ、お金はどうすればいいんだろう?
でも、この世界の通貨って、どうなっているんだろう?
まさか、物々交換じゃないよな?
まあ、なるようになるさ。
俺の家は、きっとお金持ちだろうから。
それよりも、未知の世界に行けるって、何だかわくわくしてきた。
いや、この世界そのものが俺にとって未知の世界なんだけど、この目で見ないことには、違いが分からないと思う。
さっきまでのもやもやが、どこかに消えてしまったようだ。
こんなことで、気分がすっきりするなんて。
難しく、考え過ぎたのかな?
きっと、閉塞感というモノが原因かもしれない。
リズは、まだ考えていた。
でも分かる。
リズなら、許してくれる。
いつだってリズは、俺のことを考えてくれるから。




