第3章 地獄の果てまで
時刻はあっという間に十時を過ぎていた。万象整形にすっかり興味が湧いた裕二は、近くのリサイクルショップでスーツケースを購入し、中に五百万と母の財布を入れた。活気なぞ無縁なリサイクルショップで裕二の格好を指摘する者は誰もおらず、思いの外スムーズに買うことができたのだ。
裕二は母に電話をかけた。
「も、もしもし……」
二三枝のか細い声が聞こえる。
「おい、クソジジイはもう寝たか」
「お、お父さん? お父さんは……ええ、酔い潰れて眠ってるわ……なんでそんなこと訊くの……?」
「テメェには関係ねェ話だ。俺のパスポート、あったよな? だいぶ昔のやつ。それと、銀行のカード。銀行印と登記済権利証、クソジジイの免許証も用意して待ってろ。いいか、ゼッテーにソイツ起こすんじゃねェぞ。もし起こしでもしたら……お前ら二人ともぶっ殺してやる」
「ヒッ……! ぜ、絶対起こさないわ! 起こさない、起こさないから、ヤメテ!! コロスなんテ言ワナいでッッ」
「明かりは全部消しとけ」
――ピッ。
通話を終了して、裕二は家へと向かった。
しばらくして、裕二は明かりが全て消えてある我が家へと戻った。ガンガンと玄関を左足で数回ノックすると、二三枝はすぐさまドアの鍵を開けておかえりなさい、と言った。
「ここに来るのは今日で最後だ。おかえりじゃねェんだよ」
二三枝を終始見下した態度で話す裕二。
「え……そんな、行く宛てはあるの? 今までずっと――」
「……ずっと?」
裕二がすごい形相で睨んでくるのに対し、失言したことに気付いた二三枝は何回も謝った。
「ごめんなさい、ごめんなさいッ、許してください、ごめんなさい……暴力だけは……ッ」
「……まァイイわ。それより言ってたやつ出せよ。……まさか、用意できてねェだなんて言わないよな?」
「ええ、ええ、もちろんできてるわ! すぐに渡せるように持っといたの」
二三枝は裕二が言っていたもの全てが入ったビニール袋を、彼が出した右手を包むかのようにギュッと両手で握りしめ、ハハハ……と空笑いした。
二三枝の目は、死んでいた。死にながら、笑っていた。
「気色悪ィから触んなクソババア。じゃあな」
二三枝の手を振り払ってスーツケースを掴み、母の顔など見もせずに裕二は疎明家から姿を消した。
二三枝は玄関の鍵を閉め、喜一の前に立ってぼそりと呟いた。
「先に地獄で待っているわね……二人共」
*
三点全てを手にした裕二はえらくご機嫌だった。
「これらを手にしたからには、俺ァもう……無敵だ!!」
外の明かりを拾ってビニール袋をスーツケースに詰め、バタンッと閉める。鍵をかけ、その体勢のまま近くの闇金業者を検索する。確認すると、大体の闇金は収入がないとダメだった。そのうえ、どこも初回の限度額が十万や三十万、最高でも五十万と低すぎたのだ。
次、つぎ。
裕二のページをめくる手は止まらない。だが暫くして、ピタッとそれが止まった。
「即日融資可能、……え、は!? 最高、二千万まで……!? 主婦、学生、生活保護の方もご利用できます……! む、無職も、OKって!!」
やっと希望通りの闇金が見つかった。会社名を確認する。
「闇金……タタラ……」
ドクドクと血が脈打っている。裕二は必死に自分を落ち着かせた。
ホームページの下部にあった無料申し込みをタップし、必要事項を記入する。
数少ない通行人に気味悪がられたが気にせず続ける。
画面が切り替わり、「審査中です。お待ちください」の文字が映し出された。北風が強く吹いても、裕二はずっと画面にかじりついていた。
十五分くらい経って、審査が終わった。大丈夫だったみたいだ。
「ははッ……ちょろいわ」
と、先程入力した裕二の電話番号に電話がかかってきた。ビクッと驚きつつも裕二は電話に出た。
「……は、はい、もしもし……」
「今晩は。こちら、闇金タタラでございます。疎明裕二様でお間違いないでしょうか?」
女性の声だった。思わずたじろく。
「え、は、はい、そうです」
「ありがとうございます。今お時間よろしいでしょうか?」
「だいじょぶ、です。大丈夫」
裕二の声は終始もにょもにょしていて聞き取りづらかったが、向こうはプロだった。裕二のペースに合わせて話を盛り込んでくる。
「では、初めてのご利用ということですので簡単にお利息についてお話ししたいと思います」
裕二は、母親以外の女性と話すのは小学生以来なのではないかと思った。と、同時に怒りが湧いてきた。中学生の頃から容姿や自信の無さ、コミュ障から女子、陽キャ共に悪口を叩かれていたのを思い出した。
「……どいつもこいつも、バカにしやがって……」
「……疎明様?」
ハッと我に返り、いかんいかん、と頬を叩いた。この人は周りの奴らと何も関係ないじゃないか。それに、これから見返してやるんだから……。
「い、いえ。なんでもありません」
女性は暫くした後、そうですか、と一言返すだけで何も言ってこなかった。
「それでは、お利息についてお話し致しますね」
そこから長い説明が始まった。正直、何を言っているのかさっぱりだ。聞こえたのは、二週間で五割負担、ということ。別に何割負担だってかまわない。記憶を抹消し、顔も別人になるのだから。
「今までの点でなにかご質問等ございますか?」
「え? い、いいやぁありません」
「かしこまりました。では最後に上限額についてですが」
「ああ! それは知ってます。に、二千万ですよね? あの、すごい、太っ腹ですよね……」
勢い余って裕二は早口で喋った。
だが、オペレーターは事務的な口調で「いいえ」と言った。
「初回で即日ご融資出来る上限としましては五十万円までとなっております。二千万、という数字はあくまでも繰り返しご融資と返済をきちんと行っている方のみでございます」
「え、は……ハイ……?」
「ですから、初回である疎明様は最高でも五十万円でのご融資となります」
裕二は愕然とした。
なんだよ……ンだよそれッ!!
「そ、そんなことホームページには書いてなかったぞ!! おたくは客のことッ、カモにしか見てないってことかよ!!」
「ええ、その通りでございます」
「ッ!?」
裕二が驚いたのはその言葉だけではない。
――声が男のものに変わったのだ。
「お客様……疎明様? でしたっけ。ご本人の裕二様は三十にもなって未だ無職。保証人のお父様も六十って……そんな人に二千万も融資出来ると思います? 返す宛も、意思もない方に貸す金は無いんですよ」
威圧的な言い方だった。全て正論だ。
――ただ一言を除いては。
「ある」
「は?」
「ある。……家を、担保にする」