第2章 岩園三國
ネオンライトに集る夜の虫達。
金のある男を誑かす女。
頭の弱い女をつかまえる男。
愚痴をこぼすサラリーマン。
全身傷だらけの家出少女。
そこら中に転がるホームレス。
フラフラ彷徨うクズニート。
上下灰色のスウェット。薄汚れた白のスニーカー。そんな格好でさえ、人々は驚きもせず通り過ぎていく。
季節は冬になっていた。十一月下旬の寒さが裕二を襲う。
冷えきった夜に見えるは鼻と頬を赤らめる老若男女の姿。手に息を吐き、手先を温めようとする女子高生。そんな寒さに鼻も鈍感になって、裕二の異臭さえもかき消してしまったようだ。
建てては取り壊しを繰り返す東京に、裕二の居場所はなかった。
くすねた母の財布の中身を、街灯の灯りで確認する。紙幣は六枚。万札一枚、五千円札二枚、千円札三枚。小銭は、十円玉四枚と一円玉一枚だった。
「二万……ハッ、しけた金」
ボロボロになった桃色の財布を右ポケットにねじ込む。少しはみ出るが気にしない。
街の外に出ると安げな居酒屋を見つけた。
「……呑んで忘れるか……。ほんとうに申し訳ない、ゆめたん……」
ちなみに父が折ったゆめたんのフィギュアはプレミアがついており、裕二は五十万で落札した。二万じゃとてもじゃないが買えやしない。
人と話すのが苦手な裕二。本来ならばコンビニで酒を買い、近くの公園で呑めばいいのだが、今日は特に冷え込むため居酒屋で温まろうと考えた。
ビニールカーテンに覆われた店内。焼き鳥の匂いが空腹を拗らせてくる。右手でかき分けて中へと入る。
「いらっしゃいませー!」
元気な女店員の声がした。ビールジョッキを左手に二本、右手には丸い茶色の盆を持って唐揚げを乗せていた。
と、店主の男がこちらに気付いて作業していた手を止めた。眉間に皺を寄せ、明らかに戸惑っている様子に取られた。
店の外に一番近い席のサラリーマンも、裕二の酷すぎる身なりに思わずうわっ、と声を出してしまった。
「あの……席はどこに、座れば」
内弁慶な裕二は小さな声でボソッと呟いた。
筋肉質な店主がこちらに近づいてきて、はあ、とため息をついた。
「あのねえお客さん。こう言っちゃあなんだが、……どうしたんだい、その格好」
「え……いや、どうもしてませんけど……」
裕二は周囲を見渡した。何がおかしいのか自分ではすぐに気付けなかったが、周りの客の目がこちらを蔑んでいること、忌み嫌っていることから理解した。
次に自身の格好を見た。明らかに外向きではない。
「最後に自分の顔見たの、いつ?」
店主に鏡を渡されて見た自分は、ボサボサで白髪混じりの、肩まで伸びた長髪に死んだ魚のような目、切れてそのまま渇いたカサカサの唇、荒れ放題の肌。極めつけは仙人のような長い顎髭。今年で三十路になった人間とは思えない風貌だった。
「悪いけど、帰って。」
鏡をパッと取られ、そのまま背中をぐいぐいと押された。最後にドンッと突き飛ばされ、また寒い外へ出る。
「そ……んな……、なんだ、なんだこれ、俺、なんで、こんな……」
あまりにも酷すぎた自身の容姿に、思わずその場にへたり込み、ぐすぐすと幼子のように泣いた。
そこから耳障りな男の声がした。
「ンでよー、俺が後押ししてやったわけ。『この価値に相応しく、且つ似合うのはお客様だけですよ! この服はまさにお客様のためだけにデザインされた品物なんです!』ってね。そしたらあのブタ、なんて言ったと思う?『そ、そうか?』だってよ、しかも照れてやんの、笑いこらえるの必死だったわ!(笑)」
「ちょ、ちょっと」
隣で腕を絡めていた若い女が男の肩をとんとん叩く。
「んん、ナニナニ……お、」
こちらに気付いたようだ。グングンと裕二に向かって近づいてくる。
「ちょっ、バカ! なんでそっちに行くの!?」
男はそのまま向かってくる。
「いやァなに、エラく久しぶりじゃないのォ? 疎明クンっ」
「『え 』」
腕絡み女と同時に男の顔を見る。
知ってた顔だった。裕二をコケにして遊んでいた、同学年の岩園三國だ。憎たらしい切れ長のつり目、裂けたように横に伸びた大きな口。ツンツン尖った髪は黒から茶へと変わっていたが、忘れるはずもなかった。
見栄っ張りを象徴させるゴールドの指輪と白のスーツが、彼だということを言わんばかりに語っていた。
「こんばんわァ。いやー、それにしてもすっごく汚いカッコしてんね! 疎明の中での、最先端のファッション?」
アッハハハハハハ!
岩園と腕絡み女の下品な笑い声が夜街に響く。
「んで? なんでこんなトコに疎明がいるワケ。その様子からして……家出とか?」
「……」
何も言えなかった。挑発しにきているのは目に見えて分かった。だが、この男に勝るものを裕二は何一つ持ち合わせていない。
「てかなんで店の前に……もしかして出禁? それともそのカッコだから、門前払いされたとか!?(笑)」
腕絡み女が煽りに煽ってくる。何も言えない。
「ちょ、声がデカいってェ(笑) ホントのこと言ったら可哀想やんか(笑)」
「だってぇー」
昔から変わらない、鼻につく岩園のエセ関西弁。目の前で裕二を肴にイチャつくクソカップル。裕二は怒りで気が狂いそうだった。
「リア充死ねリア充死ねリア充死ねリア充死ね……」
呪文を唱えるかのように、同じ言葉を繰り返す。腕絡み女はキモーッ、と言って岩園の体にひっついた。
「まーまー、そんな怖い顔せんといてー? そんな可哀想な疎明クンに、エエもんあげますから。
――ほれ。」
目の前でドサドサと落ちていく大金。その額、実に五百万。
「高校ン時に遊んでもろた時のお礼。老後の資金にでもあててくださいな、疎明クン♪」
瞬時に岩園の顔を見た。岩園の口角は左にギュンと上がっており、大嫌いなつり目は裕二を見下し嗤っていた。
「んじゃ、またどこかで会いましょーや」
それだけ残すと、岩園はそのまま腕絡み女とどこかへ行ってしまった。女が駄々をこねて「私にもお金チョーダイよー」なんて言っている声が聞こえた。
裕二はずっと、怒りに震えていた。
「うざい、死ね、死ねばいい、二人とも殺して、煮て、ドロドロにして、跡形もなくなったら、家畜に喰われて、俺に地獄の底で懺悔すればいい……」
ビュウ、と強く吹く風に札束から幾枚か万札が逃げ、月に舞う。裕二は逃すまい、と左手で万札を握り潰した。
「やらない、これは誰にもやらない、俺にはゆめたんがいればそれでいい、それで……」
――それで?
俺はどうするんだ。
どうしたらいいんだ――?
「ア……あぁ……あア゛ア゛あ゛ア゛ァア゛ア゛ア゛あ゙ぁ゛ァア゛ッッ」
涙がとめどなく溢れてくる。
どうやって生きていけばいい? 分からない。だって、
いちばん安全な場所に今までいたのだから。
「ごろじだいッ!! あの……ッぐぞやろうどもッッ!! ひっつもほれのこと……ばかにしやがっでェェェ……ッ!!」
ズズーッ!
鼻水を啜り、外にこぼれたそれを腕で拭う。と、ビルの上でライトに照らされている看板が潤んだ瞳に映った。
「あぇ……」
その看板にはこう書いてあった。
――生沼万象美容外科――
あなたのありとあらゆる箇所を美しく。
詳しくは下記のHPからご確認ください。↓
https://Inuma-bansyobiyo.com
「ばん……しょぉ……?」
涙を手で拭い、画面バキバキのiPhoneを開いた。万象美容外科、とワードを打ち込んで検索する。
「でた……」
ズッと鼻水を啜って一番上に出ていたウィキペディアをクリックした。万象美容外科についての内容がそこに大まかに書かれていた。
万象美容外科。万象とは、ありとあらゆるもの。数のことを指す。主に万象美容外科では、一般整形の他に記憶整形も行っている。記憶整形は「過去の記憶の抹消」と「記憶の形成」の二種で且つ対象は整形する本人だけとなっている。なお、記憶整形をすると以前の本人の記憶は他者の都合のいいように置き換えられる。例えば、整形をした人間をAとして両親をB、Cとする。整形した張本人Aは生きているものの、Bの脳内では過去で既に亡くなっていたり、Cの脳内ではAは元から存在すらしない人間になっていたりされるわけだ。
「へぇ……記憶も、か……」
裕二は改めて看板を見た。美しい三十代くらいの女性がこちらに向かって「私、美しいでしょう?」と訴えているかのような写真。絶対的自信が、そこにはあった。
視線を下に移す。先程岩園が置いていった五百万が束とビラで散乱していた。
「記憶を消したり作ったりっつーんだから、これじゃ足んねーよな……」
左手にあるしわくちゃになった万札を左ポケットに入れ、今度は万象整形・金額と打ち、検索する。
また一番上の項目を押し、記憶整形の欄を見る。
「……はあッ!? これ、ゼロ何個ついてんだよ……!」
一、十、百……とゼロを数えていく。その額、一千万〜。
「え、ちょ、待っ……こんなん誰もやれねーだろうが」
はは、と苦笑しては、ハァ……とため息をつく。
「五百万ありゃなんかできると思ったんだがなァ……そんな世の中上手く……!?」
だらしなかった姿勢からバッと飛び起き、裕二は天才的な発想を思いついた。
「いくじゃん……ッ、上手くいくじゃねェかよ、このクソ世の中よォ! そうと決まれば早速戻るか。
――家に。」