放送休止の憧憬
深夜、脳天に遅効性の毒ガスが溜まるようになると、いつも考えることがある。
それが馬鹿馬鹿しい事であるのは百も承知だし、わざわざ語る必要があるかと言われれば言葉にも詰まるような、そんな内容である。
その昔、夜は遠いものだった。
同じ空間だとは思えないほどの静寂。何故かよく耳に響く時計の音。そして、どこからともなく這い上がって来る実体のない冷気。少なくとも私が少年であったころ、それはとても遠いものであったはずだ。きっとそうだった。それが本当かと言われると、なるほどそれを確かめる手段は無い。胸のレンズを覗き込み、そこに窺えるのが果たして実像であるか、虚像であるか。触れようとしてみなければ分からない。
しかし何度思い返そうと、夜は、恐ろしいまでの沈黙は、私にとって遠いものだったと思う。
NHKの放送休止の文字が、私にとっての深夜だった。
頭は重く、それなのに目は頑なに開いたまま。鈍った神経が与える浮遊感を感じながら、あの素っ気ない文字を目にする事が少しだけ好きだった。勿論、その後に薄暗い階段を上って寝室へ行く事や、微かにいびきの聞こえる布団へ潜り込む動作はとても恐ろしかった気がする。でも、放送休止、あの四文字に対する不思議な心持ちはとどまることを知らなかった。私の貧弱な言葉では、それを言い表すことは到底できない。
不気味で心細く、それなのに身の引き締まるような。矛盾という概念を煮詰めて固めたような感情だった。あの気持ちは、果たして何という名前なのだろう。知りたい気がしてならないが、名前を付けたその瞬間、それが陳腐な言葉の羅列へ還元されてしまうような気がしてずっと踏みとどまっている。
一時十六分。
脳天に遅効性の毒ガスが溜まり始め、神経を蝕み始める。
気が付けば夜はずっと近く、優しい物へ変わってしまった。確かに、街灯に照らされる路地や電柱は、理由もなく恐ろしさを感じさせる。照明の消えた廊下は、自室と別の次元にあるかのようにさえ思われる。
しかし、これではない、というおかしな確信が胸の内へわだかまる。
確かに夜は恐ろしく、あまつさえ私を飲み込もうとさえしてくる。しかし、憧憬ともいうべき不思議な思いはこの胸の中にしかない。放送休止、あの四文字から放たれる不思議な魔力が私を縛り付けているのだ。今や夜は解き明かされ、どこかに蓄えられていた妄想はその影を潜めた。
それでも、ありもしないその影の根元を、私は思って止まないのだ。
一時二十四分。
毒ガスが、目を口を、鼻を覆い始め、どこかで聞いた音楽が勝手に鳴り響く。
放送休止、あの文字を再び目にしてみれば、その思いは輪郭を持つのであろうか。しかし、陳腐な言葉へ還元されたそれを見たいとは思えない。そして、心のどこかでは分かっているのだ。
あの感情は、何か、形の無いものの影に対する恐怖は、もう二度と戻ってこないというのだということを。
すべてを解き明かす事は、きっと想像より簡単だろう。
だがそれをする事は、何か私の奥深くにある脆弱な部分を引き出す行為に思われる。
この空虚と、夢に対する酩酊と、それらの上に私は成り立っているのだ。その空虚がどこから湧いてくるのか。その夢は本当に自分のものであるのか。それらの問いは、きっと、私を容易く殺してしまうだろう。
それはいわば砂上の楼閣。
虚偽も定かでない過去の上でのみ成り立つものだ。
一時三十四分。
毒が全身へ回り始め、ぎこちない気だるさが全身へ満ち始める。折り癖がついたように瞼が固くなる。脳がさらに重さを増し、前を見ることが億劫だ。
そうなると私はぐるりと周囲を見渡し、過去に脚色されたノスタルジックな恐怖を感じ取ろうとするのだ。
そうして私は、それを崩すことがないように今日も今日とてありもしない影に思いを馳せるのである。