7分の6の確率で当てる占い聖女は捨て子だった娘と幸せに暮らしたい
「リィナ・フォスター! よくもこの私を騙してくれたな! お前との婚約を破棄する! 金輪際、顔も見たくない! 一刻も早くこの王宮から立ち去れ!!」
ナサニエル王子はものすごい剣幕だ。わざわざ人の大勢いる宮廷の広間で、高らかに婚約破棄を宣告された。
「だいたい、お前のような平民がだ。王位継承権2位であるこの私の妻になろうというのが、はなから越権じみた悪行であったのだ」
誤解のないよう言っておくが。私を婚約者として召し抱えると、強制的に王宮へ連れてきたのは、このご立腹の王子様だ。そして騙すどころか、私は嘘ひとつ吐いちゃいない。
「17の女が4つの子持ちだと! ふざけるな!」
いや、王子が妻を娶ろうというならそれくらい事前調査するだろう、常識的に。
「私は清らかな乙女が好きなんだ! なにが悲しくて下男の使い古しを囲わねばならないのか! 早く出ていけ!!」
国の第ニ王子ともあろうお方が、まったく下品極まりない。とっとと出ていくわ。これ以上、頭の足りない王子様に義理立てして、性に合わない宮廷生活を続けるのはうんざりだ。
***
私は追いたてられるように王宮を出て、実家に帰ってきた。
「ふぅ……」
やっぱり自分の育った下町がいちばん。母様と姉様は仕事に出ているのだろうか。
「かあしゃま!」
「ルゥ!」
ひょっこり戸口から顔を出した我が娘ルゥが、ぱあっと明るい顔をして駆けてきた。それを私は受け止め、よいしょと抱き上げる。
「半年間も離ればなれになってしまってごめんね」
「ん―ん。ルゥ、いいこにしてたよ」
「じゃあたくさんお土産をあげるわ」
ここで追放されなければもっとずっと離ればなれになっていたのだから、本当に良かった。
「あれま、リィナ。今日帰ってくるんだったかい」
母様が続けて顔を出した。
「なんだか残念だったねぇ。でも気にすることないよ。リィナの人生はこれからなんだから」
「何にも気にしてないわ。母様、長い間、家のことほったらかしてごめんなさい。ルゥのこともありがとう」
母と私と娘。姉を入れて4人、これからまたほのぼの三世代、女だけの家庭でいつまでも穏やかに暮らしていく。
しかしこの三世代。母と姉以外、実は、これっぽっちも血の繋がりがなかったりする。私はいわゆるみなしごだった。物心ついた頃、この下町をひとりでうろうろしていて保護された。最初のうちはたらい回しにされたが、その後母様が引き取って育ててくれて。姉様もとても優しくしてくれた。ふたりとも大恩人である。
私を引き取った直後、母様は気付いたようだ。私の片目にある“聖痕”に。鏡をよく見ると、私の赤い瞳に楔形文字のようなそれが浮かび上がる。
私は親の顔も覚えてない、自分が何者かなんて知らない。ただこの聖痕は、各地に伝承で伝わる、聖なる力を持つ女性の証であるらしい。未知の力を宿す女性は、その成長過程で身体のどこかに聖痕が浮かび上がる、そんな噂がまことしやかに囁かれている。
それを知った私は12の頃から、家事や農作業のかたわら、聖女だという事実を利用し個人的な商売を始めた。それは占い師稼業である。それで小銭を稼げば生活費の足しになり、母や姉に恩返しできる。私は張り切って水晶玉に初期投資した。
はてさて、この聖女の占い小屋にはそれなりに、物珍しさで人が集まった。はじめは。
そこはやはり、ほんとうに予言の力を持つ魔法使いではなかったわけで。当たるような、外れるような……を繰り返し、一年たつ頃には閑古鳥が鳴き始める。
「この聖痕は何のための聖痕なんだ――! 聖女って何なんだ――!?」
こう叫んでしまった私を誰が慰めてくれるだろう。店を畳むかどうかの瀬戸際だった。
そんな頃、私は町の片隅で、赤子がバスケットに入れられ、捨てられているのを見つけたのだった。
「あわわわ! 大変! 保護しなくちゃ!」
でも、待て。保護したところでどこに連れていけばいいのか。私は拾われたことで、愛情にあふれた環境の中、育つことができた。しかしそれは、孤児の期待値を上振れした幸運な結果であったのだ。孤児院に行くことは、それと比べるとやはり……。
私は誰か、心優しい、経済的にも余裕のある人が見つけ、その子を連れて帰ってはくれないかと、角に隠れて見張っていた。
しかし誰も拾わない。いや、見えてないのではないか、といったくらいに、誰も見向きもしなかった。
私は痺れを切らし赤子の前に立った。私が連れて帰っても、母様姉様に迷惑をかけてしまうだろう。それでも私の身に余る幸運を、この子にも分けてあげたくて。私は赤子をバスケットからすくって抱き上げた。
するとなぜだかぶわっと涙が出てきた。生後半年ほどだろうか、この子がどうしようもなく、綿毛のように柔らかくて。
それからだ。商売道具の水晶玉を見つめると、何か“みえてくる”ようになった。客がどこに財布を落としたのだろうと相談に来ると、現場であろう小池がみえる。結婚したばかりのふたりがケンカばかりしてしまうと来ると、北枕が悪い、南にするべし、と本当にみえてくる。
これがたちまち評判となった。評判が評判を呼び、客が大行列を作った。
ある時、統計学者が調べさせて欲しいと言ってきた。どうぞどうぞと許可したら、1年後、私の占いは7分の6の確率で当たる、という結果が導き出されたようだ。
これで更なる人気が沸いた。いや待て待て、70人客が来たら10人の結果は外れるんじゃないか、と言いたくなるだろう。客はそれでも構わないようだ。なぜなら、私の占い結果はものすごく鮮明だから。7分の6の確率の、その確実かつ鮮明な答えを求め、人々は列を成す。
「ああ疲れた……。お客が途切れないのは嬉しいことだけど、だいぶ精神力を使うのよね、占いって」
私は自室に戻りベッドに倒れ込む。
「かあしゃま、だいじょうぶ?」
心配そうにルゥは、小さな手で私の額を撫でる。
「うん。ありがとう、ルゥ。ルゥがこの家に来てくれて、私は一人前の占い師になれたの。もしかしてルゥが聖女なの?」
「ルゥいいこ?」
「うん。ルゥのおかげで母様と姉様に恩返しできるようになった。私、とても嬉しい」
「ルゥすごいいいこ!」
「うんうん。だから欲しいもの買ってあげる。何が欲しい?」
「たんぽぽのわっか」
「じゃあ、休みの日に、原っぱへ行こう…………」
「かあしゃま、ねちゃった?」
毎日は忙しなく過ぎるけれど、私はこれ以上何も望まない。
そう、私はずっと、この満ち足りた暮らしが続いていくものだと思っていた。
「はぁ? 王子様が、ですか?」
半年前のある日、王宮から通達が来た。聖女の占いに興味を示した第二王子が、王宮にやって参れ、そして専属占い師となれ、と命を下した、とのことで。
私は遣わされた家来にはっきりと申し上げた。
「私の占いを求める人々は列を作って待ってくださっています。たとえ王子であっても横入りは認められません。それは教育上よくない行いです」
「王子は何十人分もの褒賞を出すとおっしゃっています」
それ下々から税とかいって取りあげた銭でしょうが! と言ってやりたいが、ここはまず落ち着いて。
「申し訳ありませんが、私はお客様から身分の区別なく、一律の報酬をいただいております。それは、庶民にとっては少々贅沢な額でして、私の中の大事な決めごとです。上流階級の方々にしてみればはした金でしょうが、私はその少々贅沢な楽しみをも、提供したいと思っておりますので。どうぞ王子様も列にお並びください」
そのように追い返したのだが、次はなんと「妻となれ」との通達だ。しかもこのたび、言うこと聞かなければ分かっているな? と脅迫ありきだ。
あちらは国でトップレヴェルの権力者。最初からこちらに反抗する権利などなかったのだ。私だけならともかく、家族に迷惑はかけられない。私は大人しく荷造りを始めた。
望んじゃいないが目通り叶った王子は、確かにいわゆる王族特有の、見目は美しいお方であった。が、傲慢なお心が見て取れる、底の浅い殿方だ。生意気で反抗的な聖女を自分の女にしたい、むしろ籠の中で飼い殺したい、というあからさまな雰囲気を漂わせ。最初から最後までふんぞり返り、私を見下す目で見ていた。
挙句、「こんな女、庶民臭さが抜けるまで抱けない」とおっしゃり、私は王宮の片隅で淑女教育を受ける日々が始まった。貴族の子女が集うパーティーに招かれることもあったが、私はどうにも浮いてしまうし、毎月実家への仕送りだけは欠かさずに、その小遣いがもらえることだけを拠りどころにしていた。
だから解放されて心の底から嬉しい!! 最初から子持ちだと伝えておけば良かった。そんなこと意識もしちゃいなかった。
この半年間、占い業務をキャンセルしてしまったから、それを取り戻すべく私は奮闘する――。
「ああ~~今日も疲れたわ……。1日の顧客数、倍はやっぱりきついわね……」
独り言をつぶやきながら自室の扉を開けた。早くルゥのほっぺをぷにぷにしたい。
「うわぁぃ。つみきでおうきゅうできた~~!」
「いやこれは要塞だ! 迷宮要塞なんだ!」
「めえきゅう? おうきゅうとちがう?」
ん。扉を開けたらそこに座っているのは、我が娘ルゥと、えっと。
「それでな、この要塞めがけて空からどかーんどかーんて隕石がさ」
「どかーん?」
男が……。見知らぬ男が……?
「こわれちゃう?」
「いや、要塞だから壊れないんだなこれが」
男?
「おっ、男――!!?」
私の部屋に見知らぬ男が侵入して、ルゥにっ……。私は大慌てでルゥを抱え上げ、部屋を飛び出した。
「かっ、母様!? みっ見知らぬ男がっ! へっ、変質者!? 泥棒!?」
「あれ、リィナ。帰ってきてたの?」
私はルゥを小脇に抱えたまま、早口で母様に訴えた。
「ホっ、ホウキ貸してっ。武装してっ追い払わなきゃっ」
「おや? リィナのお友達でしょ?」
「へ?」
「宮廷で知り合ったとかの」
「は?」
「とっても素敵なお友達ができてたんだねぇ。あんなきらっきらと美しい人、私は見たことないよ。ほら、お土産もいただいたんだよ。クリームブリュレの詰め合わせ」
見知らぬ男に買収されてる――!? 友達ってどういうこと? その時、扉が開いて、姉様がここに入ってきた。
「あっ、姉様、今不審人物が……」
「あら、リィナ。あんなかっこいい人と知り合っていたなんて、隅に置けないわね。はっ。王子との婚約破棄って、もしかして三角関係の末の……」
「いや、何言ってるの姉様!? もしかして姉様も」
「私もいただいたのよ、マンゴープディングですって。今テーブルに用意するわね」
えええ――っ!?
「かあしゃまぁ……」
「なに、まさかルゥも……」
「ルゥ、つみきであそんでたのに……」
「おーい、ルゥ。要塞もっと大きくしたぞ」
廊下に出てきた見知らぬ男に、ルゥは私の腕から逃げ出して飛びついていった。
「……あなた、誰……?」
その男はルゥを高く持ち上げ、私に不敵な笑みを投げかけたのだった。
**
「へぇ~~、ふたりは宮廷のティーパーティーで知り合ったの~」
「ああ。リィナはいつも部屋の隅で縮こまっていたけれど」
なんだか和気あいあいとテーブルを囲み、みんなでプディングをむさぼっているが。
「知り合ってないです……」
私は小声で呟いた。そんな私の声、みんなには聞こえちゃいない。
ただ確かに、この男性、覚えがある。一度見たら忘れられないほどの綺麗な髪艶。やや童顔の、爽やかなお顔立ちに、はきはきした声。夜空のような深いブルーの瞳。綺麗な人だらけの王宮でも目立っていたようなこの方は、あの不機嫌王子のいとこで、王位継承権6位のミハエル・ホワード様。
さっきは大慌てしていたから首から下をよく見ていなかったけれど、その王族衣裳で泥棒はないわね。というかこの庶民の家にこんな恰好の人がいたら、私の頭の理解処理班がエラーを起こすわ。
しかし、どうしてそんな大層なお方が、この庶民の家にやって来て、家の者を買収し、食卓でのんきにプディングを食しているのであろうか。
「あの、なにか御用でございますか。今となっては私など、ただのしがない占い師でございますが……」
「お前は、俺と結婚する」
「…………」
うん。空耳?
「あらあら」
「まぁまぁ」
母様と姉様はにこにこと退席した。ルゥも連れていかれた。
「――のを前提に、まず友達になろう」
私はこの人の目を見た。群青色の、深いところまで見渡せないような、底なし沼だ。
「何をおっしゃっているのか、聞き取れませんでした」
「友達になろう」
「端折りましたね?」
「聞こえていたんじゃないか」
彼は少しムっとしたようだ。
「王宮を追放された、枯草のような庶民をからかうのはおやめください」
「冗談言うためだけにこんなところまで来るかよ」
「まさか、あなたほどのお方でも、聖女に興味がおありなのですか?」
まぁ、聖女は希少価値だけはあるからな。王族はそういったものをコレクションするのが趣味なんだろう。
「お前は友達を作るのに聖女だ一般民だと考えるのか?」
「えっ……。考えませんよ」
「じゃあ、なれるよな、俺と友達に」
あなた王族でしょ、と言いかけて、私は口を押さえた。それでは私が友達を作るのに身分にこだわる、偏見の持ち主みたいじゃないか!
「つみきしたい~~」
連れていかれてたルゥが寄ってきた。
「よし、続きをやろう」
ミハエル様はルゥの頭をぽんとして笑った。そしてふたりで私の自室へ。私はぽか――んとそれを見ていた。
「えっ。女性の部屋に普通に入っていきます!?」
慌ててプディングを頬張り、彼らを追った。
**
「次は何を作るんだ?」
「おうきゅう!」
「俺、王宮住みだからな、あまりロマンを感じねえなぁ」
この光景、信じられない。短時間でルゥはミハエル様に馴染み過ぎだし、ミハエル様は私の質素な部屋に馴染まなさ過ぎだ。
「積み木、ありがとうございました。こんな質のいい物をいただけるなんて」
「これ、俺が小さいころ遊んでいたやつなんだ。新品じゃねえよ」
「全然かまいません。ルゥとても喜んでいますし。それにしても、本当にどうして私なんかと友達に?」
「結婚したいから」
「…………。ご存じのとおり、私は17にして4つの子持ちですが」
「何か問題が?」
何か問題が?じゃない!! そりゃ王子のように、人前でああいうこと言えてしまうのは、人の上に立つ者として浅慮だと思うが、普通は気にすることだろう。この方はお相手選び放題の王族様だ。
「私は平民です。どうして私??」
この掴みどころのない王族様になんだか苛立ってしまうのは、どうせ“聖女が物珍しい”、たったそれだけなんだと卑屈になっているからだろうか。
「だって、可愛い!って思ったんだ! 平民だって仕方ないだろう!?」
「え??」
「でもお前はあいつの婚約者で、どうにも手ぇ出せずにいたら急に破棄ってことになったから、俺にチャンス来た!って思ったっておかしくないだろ……」
彼は少し照れたのか、目を反らした。ルゥが隣で積み木をかちかちする中、私たちふたりは少しのあいだ、沈黙の渦に飲み込まれていた。
「あ、あなたの周りには、可愛い女性なんて、いくらでもいるじゃありませんか……」
私もなんだか無性に恥ずかしくなってきた。そんなふうに男性に言われたの、初めてだから。
「主観の問題だろそんなの」
そんなきっぱりと……。もう何も言えない。ただ口をつぐんでしまう。
「だからさ」
そんな私の床へ置く手に、彼は手を重ねてきた。友達とか言っておいて。これ、猛烈に口説いてくる体勢というやつでは?と、私は瞬間、身構えた。
「占ってくれ、俺たちの行く末を」
口説いてくる……。口説……。
「は、はぁ……?」
猛烈に……というのではなかった。
「俺たちが無事、結ばれるかどうか、占ってくれ」
「ええっと、私は仕事人として、順番厳守でやっておりますので、予約していただけないと。半年間、王宮で召し上げられている間こなせなかった分を、今急いでやっておりますので、まだだいぶ時間かかりますが」
「ああ、整理券持ってるぞ」
「はぁ!?」
彼が懐からさっと出したそれをよく見たら、待ち順・明日の整理券!
「なぜぇ?」
「俺の姉が聖女の占いに興味あって、半年以上前に入手していたんだと。しかし無期限キャンセルされて、今もう姉は留学してしまったから、俺が譲り受けた」
「は、はぁ……。それは申し訳ないことです」
私が悪いんじゃありませんが……。あの不遜な王子のせいですが……。
「だから、これで占ってくれ」
「まぁ、そういうことでしたら……。半日前倒しですけど」
私は水晶玉を取り出して占ってみた。
「……だめですね」
「ん?」
「私たち、結ばれません。ご縁がないです」
彼は真顔になった。たぶん私も、真顔になっている。
「嘘ついてるんだろ」
「へ?」
「お前が俺のところに来たくないから」
今度はいじけた顔で言う。
「私は仕事でやってるんです! 私情で嘘なんてつくわけありません!」
すると彼はルゥを膝に抱き上げた。
「なぁ、お前の母様、嘘ついてないか?」
ルゥがじっと私を見てくる。
「かあしゃま、うそつかない」
「そうか」
そして彼は口角を上げたまま立ち上がり、またルゥの頭をぽんぽんし、
「また来るよ」
と言うのだ。
「どうしてっ……」
“結ばれない”って、私、言ったのに。
「友達の家に遊びに来るのに、理由がいるか?」
またそれだ。丸めこまれていると思う。
彼の帰った後、私は王宮で紹介された人々の肩書などをメモした記帳を開いてみた。もう意味のない物だったが捨てずにおいてよかった。ほとんどの人は顔とメモ書きが一致せず、彼のことも分からなかったが、確かにメモには書かれている。
「話したこともきっとほとんどないのに、結婚って、何を言ってるんだろう」
でも私は確かに視えた。水晶には背中合わせの私たちが映った。彼と私の未来は交わらない。
***
「えっ! ミハエル様、またいらしてるんですかっ!?」
私は豪快に自室の扉を開けた。
「わぁい! かみひこーき、とんでくよ~~」
「次は外でやろうな」
仕事から帰ると、またこの景色だ。何らかの持ち込み玩具で、ルゥはいつもめろめろにされている。
「かあしゃまおかえり! かみ! もらったの~~」
「あ、これ、何度も再利用してるから、王族のムダ遣いってわけじゃないぞ」
「むだぁ―?」
「お前の母様うるさいからな、ムダ遣いとか贅沢に」
彼がここまでずかずかと入り込めるのは、毎度の差し入れで母様も姉様もすっかり篭絡されているからだ。彼女らは甘味に弱い。あと男手があったら便利な家内の仕事を手伝ってもらってもいるらしい。わざわざ彼は質素な服に着替えて。
それにしてもこのルゥの懐きようときたら、彼女らの比ではない。確かにミハエル様の面倒見のよさは、本当に王族なのって思うくらいだし、正直私や母様たちも助かっていたりする。
しかし、こうも頻繁にやってくるとは、王族は暇なのか。まぁ暇なのだろう。暇を持て余したお偉方の遊び、なのだろう。
いや、もしかしたら、ミハエル様は小児性愛者なのでは!? まさかうちのルゥに目を付けて!?
とんでもないわ。もしルゥに指一本でも触れたら、窓から背負いぶん投げて追い出してやる。いや、すでに指一本どころか肩車もしてもらっているけれど。
今のところ大丈夫だと思うけど、“手ぇ出すなよっ”という視線をジト目で送っておこう。
「うん、なんか威圧的な視線を感じる……」
「ねね、ミハエルしゃま」
「ん、なんだ?」
「ルゥ、おっきくなったら、ミハエルしゃまのおよめになる」
えっ、ルゥもそんなこと言うお年頃になっちゃったの!?
「ああ、それはダメだ。俺はお前の母様と結婚するから、お前を嫁にはできない。悪いな!」
「え――」
「ちょっとちょっと! そんな笑いながら女を振るなんて、性悪オトコにもほどがあります! うちの娘の純情返してください!!」
私はぎゅっとルゥを抱きしめ頭よしよしした。ああ、なんてかわいそうなルゥ。こんなオトコに引っ掛かったばっかりに。
「俺はなんて答えるのが正解なんだ……」
それから庶民の晩御飯で彼をもてなした後、私はいつものように家の前まで彼を見送りに出た。
「まだ馬車が来てないから、ちょっと近くの川沿いまで散歩しないか」
「構いませんが……」
小川に掛かる橋の欄干にもたれ、雰囲気的に、私たちは少し会話を交わすことになった。
「いつもありがとうございます」
「ん?」
「娘の面倒を見てくださって。母や姉の手伝いまでも……。あなたは王族の方ですのに」
「王族なんて、人付き合いばっかで1日が終わるんだ。社交場なんて、何が必要で出てるんだか分からない」
「揺るぎない立場の方は、そういう乾きがあるのですね」
「ああ、そうだ。乾きだな。だからさ、お前が潤してくれ」
彼はそう言って、私の下ろした髪を一束掴んだ。
「私はあなたがよく分かりません」
言いながら彼の軽く手にした髪をさっと取り上げた。
「どうして私ですか? いえ、分かります。“聖女だから”ですよね。一応、珍しい生きものだし、私」
「違うって。可愛いからって言っただろ」
「可愛い女性なんて宮廷にはいっくらでもいるじゃありませんか! 私なんて、彼女たちに比べたら、ごく平凡な……。まぁ、あの頃は綺麗なドレスを着て、お洒落させてもらっていましたが」
「見た目だけのことじゃない」
「だってあの頃、ろくに話したこともなくてっ……」
私は少し、ムキになっていると思う。
「あ――、じゃあ話すよ。それで納得してくれるかは分からないけどな」
「ん?」
彼の思い出話は、宮廷で、王族貴族のご令息ご令嬢が食事会をしている中でのことだった。私はいつも馴染めないので、ただ隅で静かにうなずいているような立場であったが。
食事も終わって、彼らが閑談していた頃、ひとりのご令嬢が叫び声を上げた。隣のご令嬢がなになにと寄ったところ。
「きゃぁ! 蜘蛛よー!」
「だ、誰か、助けてぇ!」
とパニックになったのだった。なので周りを囲むご令息方が、その小さな蜘蛛を潰そうとしたが見つからず。
「なんで見つからなかったんだっけ?」
「それは、私が逃がしたから……」
私は彼らの目の盗んで、テーブルの蜘蛛をすくって、窓際に持っていった。そして窓の脇に茂る葉に乗せてやったのだ。
「俺、そのとき窓際にもたれて傍観しててさ。すぐ隣にお前が来て、逃げてく蜘蛛に向かって、しーって指先を唇に持ってくその横顔が、可愛いと思ったんだよ……」
「たったそんなことで!?」
今ここは、月明りだけで暗がりだが、ミハエル様の頬が少し染まったように見える。それは、私の顔に熱がこもっているから、そのように見えてしまうのだろうか。
「たったそんなことでだって仕方ないだろ。じゃあどんな理由ならお前は満足なんだ? 何て言えば、お前は喜んでくれる?」
「…………」
真剣な彼の瞳に私はもう、口から言葉が出てこず。ちょうどそこで、彼を迎えに来た御者が探しにやってきた。
「じゃあな」
「はい。……おやすみなさい」
走ってゆく馬車を見えなくなるまで見つめて、私は、水晶玉に映る、背中合わせの彼と自分を姿を思い出していた。
「……私の占いは7分の6の確率で当たるの。70人占えば、60人は当たるのよ」
でも、どうしてだろう。外れてたらいいな、なんて。残りの10人であれば……なんて、思わなくもない、ような……。
私は走って帰った。今夜も早くルゥと一緒に寝るのだ。
***
ある日、私は農場でもらった果実をすぐルゥに食べさせたくて、いったん昼間に帰宅した。そこにちょうどミハエル様の馬車が停まった。
「今日はずいぶんお早いお越しですね」
「軽食持ってきたんだ。一緒に食べよう」
そして私は家の中に入り、部屋にいるはずのルゥを呼んでみたが。
「あれ、返事がない……」
ふたりで部屋の扉を開けたらそこはもぬけの殻。それから母様姉様に聞いても、部屋で遊んでいるはずだったと。
「いつもちゃんと言いつけ守る子なのに、外に出てしまったのかしら」
「とりあえず探しに行こう」
彼はすぐ庶民の服に着替え、外に駆けていった。私も反対方向へ走り、周りの人々に尋ねたが見つからず。
「そっちもいないか?」
家の前でいったん顔を合わせた。ミハエル様の見た方面にもいなかった様子。私はかなり焦ってきた。
「もうすぐ暗くなってしまう」
「焦るな。周りにも声掛けした、今みんなで探してもらってるから、絶対すぐ見つかる」
「は、はい……」
それでもやっぱり、焦燥感に駆られてしまう。
「私、今度はあっちをっ……きゃぁ!」
また向こうの方を探そうと駆け出した時、焦りすぎたか、ばたっとすっ転んでしまった。
「大丈夫か!」
ミハエル様が私の手前にまわって手を差し伸べてくれた。
「ん? 何か落ちてる?」
そこで彼は、伏せる私の手元に、きらっと光る小さな何かを見つける。それを手に取り、よく見てみると。
「それは……カフスですか?」
「そうだな。……ん?」
彼はそれを、よりじっと見た。
「このカフスの模様、ナサニエルの隠密部隊の紋章だ」
「え? 王子の、おんみつ? なんですかそれは」
「裏の“何でも屋”ってやつかな。情報収集など陰での仕事を請け負う者たちだ」
「そんなのがいたのですか。でもなぜその者の持ち物がこんなところに……ええっ?」
「行くぞ、リィナ」
「え、えっ!?」
「王宮へ!」
近所の人らには礼を言って、私たちは馬車に乗った。
「まさか、王子が嫌がらせで誘拐を……」
私は馬車内で震えていた。
「大丈夫だ」
一言告げた彼を見上げると、彼は彼で、憤りを隠せない様子だった。私はルゥが心配で仕方ない心の片隅で、どうしてこの人はこんなに、私たちに真剣になってくれるのだろうと、ふと考えていた。
王宮に着いた。私たちは早速王子の部屋へ向かおうと、階段を昇る。
その時、ウワァァァン――……と、つんざくような音が頭の中で鳴り響いた。
「!?」
「うわっ何だこれ」
「ミハエル様も!?」
「頭痛え……」
他の部屋からも人々が、「なんだなんだ」「頭が割れるように痛い」と言いながら出てきて、よろめいている。
ただ私にとっては、そこまでの不快音ではなかった。だから更にもう数歩、階段を上ると、その超音波の隙間にかん高い、子どもの声が混ざってきたのだ。
「ルゥ!?」
「どうした!?」
「ルゥの声が!」
「えっ!?」
「こっちです! ルゥが私を呼んでる!」
私は懸命に走った。頭痛をおしながらミハエル様も共に駆ける。そんな私たちを、同じく頭を抱える人たちが、可能な範囲で付いてきていた。
「うわぁぁん!」
ここまで来ると超音波ではなく、彼女の肉声が。
「ここ! ルゥがいる!」
私とミハエル様は豪快にドアを開けた。するとそこには、上半身裸にされたルゥと、その周りの侍女2名……をふんぞり返って見物しているナサニエル王子……。
「な、なんだ! 無礼者らが!」
「かあしゃまぁぁあ!」
泣きながらルゥが飛びついてきたので、私はまず一度ぎゅっと抱きしめ、隣のミハエル様に渡した。
そして部屋の壁に歩み寄り、そこに飾られた大剣のレプリカを手にした。当然、ここにいるみんながざわめく。
「最っ低……。今度という今度は本っ気で見損ないました! 国を統べる王の後継者ともあろうお方が……まさかド変態だなんて!!」
「お、おい、レプリカとは言え、そこそこの殺傷力があるものだぞ!」
そこにいた侍女らは隅に逃げてしまったし、観念しろこのド変態。
「この私にかすり傷のひとつでも付けたら、お前は斬首刑だ!」
相手は丸腰だ。斬首になろうが構わない。斬り刻んでやる――!!
――という一触即発のところだったが、大剣振りかぶった私を、ミハエル様が後ろから抑えて止めた。
「あ――、リィナ」
「なんですかっ。もうっ、止めないでくださいっ!」
バタバタしてもさすがに男の人の力は振り切れず。
「気持ちは分かるが、お前の首も大事だから。他者に任せよう」
「ヒト……?」
私が後ろを振り返ると、扉口に大柄な、威厳と迫力に満ちた男性が、わなわなと震えて立っていた。頭を片手で抱えている。彼も超音波の被害者だろう。
「この人は……あ、王だ!」
「これはどういうことだナサニエル……。我が国において小児への性暴力行為が重罪であることは、よもや知らぬわけはあるまい……」
「ち、父王、これは違うのですっ」
王子は真っ青になった。
「た、ただ、聖女の娘はやはり聖痕があるのかな――と見てみたくて、本当にそれだけだったのですっ……」
頭に不快音が鳴り響き、不審がって集まった人々も、その扉付近から事の成り行きを興味深く見ていた。これだけ証人がいるのだ。いくら王子とは言え、それなりの沙汰は下りるだろう。私としては、「私はド変態です」と書かれた石板持たせて市中引き回しの刑に処してやりたいところだが。
ともかく、さすがに国王の前で大暴れするわけにもいかない。ルゥも震えているので、ちゃんとゆっくり抱きしめるために、ミハエル様とそこを後にした。
***
家に帰ってルゥを寝かせた。
さて、正面から彼と向き合って、ちゃんと礼を言わなくては。
「あなたのおかげで助かりました。私は……ルゥの母になって4年、最近ではけっこう母親としてうまくやれてるんじゃないかって思ってたけど、まだまだでした。こういう時、頭がぐらぐらして、訳分からなくなっちゃって……」
「じゃあそういう時は俺がなんとかするから、結婚しよう!」
「…………」
「あ? 今そういう流れじゃなかったか?」
「今、一応もっとまじめな流れでした。本当に感謝しているので、それを伝えたくて」
「俺、大まじめだって!」
それは、まぁ、よく分かるのだ。だからきっと、私にそれを拒む理由なんてひとつもなくて。
「あなたと私はずっと背中合わせで、結ばれない運命だと占いには出ましたけど」
「そんなのはだなぁ……」
「そんなの、当たらなきゃいいなって思ったのは初めてです。一応、7分の1外すの、気にしていたんですけどね。プロ占い師としては」
「へ?」
「当たらなきゃいいなじゃなくて、すごく当たって欲しくなくて……、ううん、そうじゃなくて、当たらないように努力します。だからっ……」
言い終わる前に彼が飛びついて来た。
「結婚しよう!」
「……はい!」
そしてこれは、その後ちょっと一息ついて、お茶など飲みながら、そしてルゥの寝顔を見ながら話したのだが。
「ミハエル様」
「ん?」
「私はあなたを信じていますけど」
「うん?」
「ルゥは私の宝物です。ちゃんとこの子が私の……私たちの元を巣立つ時まで、我が子のように大事にしてもらえますか?」
「もちろんだ」
「本当に、何よりも? いちばん大事にしてくれますか!」
「ああ、いちばん大事にする!」
「……いちばんは私じゃなきゃ嫌」
「お前なかなかめんどくさい子だな」
口先を突き出した私に、彼は苦笑い。ああ、そう言えば話していないことがあった。
「この子、本当は私と血の繋がりがないのです」
「……へ??」
「この子は、私が13の時に拾った子で……」
「お前が産んだ子じゃないのか?」
「え、ええ……。それでもちゃんと大事にしてくれますよね?」
「ってことは、お前が他の男の、子を生んだわけじゃないってことなのか?」
「え、そりゃぁ私、結婚したことないですし。というか男性と、そういう仲になったこともなくて……。あ、あの王子とは婚約していましたが、別に何もなかったし……」
あれ、ミハエル様の目が、心なしかきらきらと輝いている……。
「ってことはお前、乙女!?」
「えっ……」
「乙女!??」
「そう、です、が……」
「やったぁぁああ!」
……はぁ!??
「なんですかそれ! デリカシーのない! やっぱりあなたもそういうことばっかり考えてるんですか!!」
「仕方ないだろ男のサガだ! とにかく、やった! 俺がお前の初めての男になる!」
私は開いた口が塞がらなくなった。なんてキリっとした顔でそういうこと言うんですか。
「あ――、あの頃、ナサニエルのとこに刺客送ってた甲斐があったわ」
「ん? 刺客?」
「あ」
おや、口が滑ったって顔。白状しなさいって目で威圧してやる。
「あ――それは――……。お前が王宮にいた頃さ、あいつ、ともすればお前のところへ夜這いに行こうとしてたから――。愛人の座狙いの娘をあいつの部屋に差し向けたり……そういう娘が捕まらない時は、奴の部屋の前にまきびし蒔いておいたり……」
「まきびし?? というかなにそれ、王子は私のところに来ようとしてたんですか!? 全然知らなかった!」
「まぁ、俺のせめてもの反抗ってやつだ。いや―、やってみるもんだなっ」
そんなあずかり知らぬところで私の貞操は守られていたのですね……。それにしても本当にこの人の、嬉しそうな顔ってば。
「私は……女のサガでですね」
「ん?」
「私はあなたの最後の女になりたいのですけど」
「ははっ。それは、俺の人生最後まで見届けて納得してくれ」
「分かりました。ほんとに、長いお付き合いになりますね」
私はこの初恋のわくわくに、とっても顔がにやけてしまうのだけど。そこで彼は真顔になった。すっごく見つめてくる。ああ。
これは、つまり、いわゆる、キスをしようとしている雰囲気! どういう顔で待てばいいの!
「目ぇつぶれ」
「は、はいっ……」
心の声が漏れてた? 目をつぶれば顔はそのままでいいの??
「…………」
「かあしゃま!」
「「!!??」」
ただいま激しく打ち鳴らす私の胸にその可愛い声が突き刺さった――!
「ぷでぃん、おかわり」
「「…………」」
むくっと起き上がって寝ぼけたルゥは、それだけ言ってまた、ばたっと寝てしまった。
ミハエル様と私は目を合わせて。
「ま、また後日ということで……」
「ああ……そうだな」
ふぅ。
私は一度立ち上がって、食卓へお茶のおかわりを取りに行こうとした。汗をかきすぎたから。
「いや、やっぱり――」
「!!?」
「……後日って言ったのに」
「待ちきれなかった」
彼は無邪気な顔で、にっこり笑ったのだった。
こうして、私とルゥはその後、王宮に呼ばれ、その片隅で慎ましく暮らすことに。
私は今も、7分の6の確率で当てる占い師として名を馳せている。そんな私が王宮で耳にした、遠い東の国から伝わることわざを紹介しよう。
『当たるも八卦、当たらぬも八卦』、意味は……占いの結果なんて気にしなくていいのだ!
「かあしゃま、そんなことゆったら、しょ―ばいあがったりだよ」
「ルゥ、誰に習ったのそんな言葉」
「ああ、俺だ」
「とおしゃま!」
~ FIN ~
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