謎の船舶
その日の夜にカイセイが俺の部屋を訪ねて来た。就寝時刻では無いが久々の運動で疲れていて、ベッドに横になった途端に眠ってしまっていた。寝ぼけ眼をこすりながらゆっくりと身を起こしている。
「すみません、お休み中でしたか。明日にしましょうか」
「いいや。急ぎの用があるんだろう?」
カイセイのハッキリとした声を聞くと頭が冴えてきた。
すっかり暗くなった部屋の中でカイセイは動き回り、ランプに火を灯してカーテンを閉めてくれていた。水差しを傾けグラスに注ぐと寝起きの主にそっと手渡してきて、実に良く出来た側近である。
俺はそのぬるい水を一気に飲み干した。側ではカイセイがソファーに浅く座っている。
「昼頃に港の関所のものから連絡が入ったので、兵と共に状況を確認しに行ったのですが」
「ああ、あれな」
町で見かけた調査隊のことを思い出し、つい口から出てしまった。話を止めたカイセイには「夢の話だ。気にするな」とさり気なく言い繕う。可笑しな様子を悟りながらもカイセイは話を進めた。
「この頃謎の船舶が停泊する事があるようでして、港の商人らが怖がっているのだそうです。それで実際見たところ容態はただの貨物船かと思われますが、荷下ろしや下船人も無いのが妙に思うのです」
「ほう。まあこの頃はあまり見ないが、海賊が押し寄せることもあるだろう。貨物の運搬を装って偵察しに来ているのではないか?」
「ええ、私もそれは視野に入れています。とりあえず関係者と接触しないことには情報が得られないと思い潜入してみたのですが」
落ち着いて聞いていた俺であったが、これには顎杖を滑らせてしまう。
「せ、潜入?!」
「……はい。ちゃんと変装もしたのでバレなかったと思いますよ?」
何をこの男は穏やかに言っているのだ。
「上等なお酒を持って行くと何やら歓迎されてしまいました」などと照れくさそうに言っているのである。俺は頭を抱えてため息を吐いた。利口な男であるが稀にこのように”まとも”から外れる時がある。
「それで? 美味い酒をみんなで仲良く飲んで帰ってきたのか?」
いえいえ、と否定された。
「船内には木箱がいくつも積んであり乗組員は五人いました。それに気さくな方々で素性を快く話してくれたのですが、全員自分はメルチの商人であると言っていたんですよ」
「はあ、メルチの?」
それは混乱を呼ぶ。メルチというのはこの国の西部に隣接する王国である。西部の国境問題はまさにメルチとの揉め合いの最中だ。
「入港停止中のはずだが」
「ですよね。関所は引き続き様子見をするようです。変にこちらから刺激して問題が起きると大変ですからね」
「なるほど」
あの国は比較的治安の安定した国だ。わざわざ海伝いでやってくる理由など見つからん。
「それとエセル様についての話題も少し上がったのですが……」
「なんだか悪そうな話だな。遠慮なく話せよ」
「……はい」
俯いていたカイセイが少しだけ顔を上げる。俺は足を組み替えて聞いた。
「その乗組員いわく、エセル様を取り返すために、ネザリア王は血眼になってバル王子を探し回っているとか言っておられて。バル王子はネザリアの光を盗んだ悪党だと熱弁されました。私は彼らに口を合わせて聞いていただけですが」
「はああ??」
エセルを取り返す? ネザリアの光を盗んだ? 俺が悪党であると? 部外者が何を好き勝手言いたい放題か。俺は契約書を交わしてエセルと婚姻を結んだのであるし、その場にネザリアの王も出席していた。
「間違いだらけであるし、なんでメルチの商人たる人物がネザリアの味方に付いているのだ!」
俺は膝をバンバン叩きながら言う。ここでカイセイに怒っていても仕方がないのだが。
「どうも彼らが口を合わせて言うのが、エセル姫が非常に華があってお美しく惚れ惚れしてしまう……などと言う理由でして」
「華だと? あのエセルにか?!」
思わず出た大声を手で抑えた。カイセイも静かにしろと人差し指で表していた。今更遅いがこの話題はここでするべきでは無かった。
耳を澄ませ、廊下に人気が無いことを確認する。よかった、物音ひとつ聞こえない。
「……人違いじゃないのか?」
俺は小さな声を出して言った。これにカイセイは賛成も否定もしないで唸っていた。
やがてカイセイは鼻で息をつく。
「やっぱりバル様がおっしゃるように、エセル様には何かあるのかもしれません」
ぽつりと呟いた。
そういえば自分からそんな話をしていたことを忘れるほどに、今現在のエセルに対する好感度合いが変わってきている。あの時は彼女への疑いの方が大きかったが、今は俺の知るエセルのままであって欲しいと密かに願っていた。
「この結婚に何かあるとするなら、バル様のお命が狙われている可能性もあるやもしれません。刺客が入り込んでいることも……いや逆に」
言いながら考えをまとめているカイセイが突然ハッとなる。
「エセル様が危ないということも考えられるかも……」
「なんでそうなる。王が血眼で探しているのは俺のことなんだろう?」
俺が鼻で笑っていても、カイセイの真剣な表情はどんどん曇っていった。
「バル様には兄上様がいらっしゃいます。もし第二王子であるバル様の命を奪っても、ネザリアは何も手に入れるものがありません。しかし嫁ぎ先の国で姫に何かあったとするならば、事態は深刻な状況に置かれることでしょう。弱みにつけ込まれれば、こちらは有無を言わず飲み込むしかありません。契約無しにネザリアの傘下に落とし込まれることになるでしょう」
集中して聞き入れていたが、ふうと肩の力を抜いた。
カイセイの言っていることは最もだ。ひとつも狂いのない推測が、まるで近い未来に起こる予言のようであった。だがそんなことになられたら困る。
俺はそのまま後ろに重心を預け、冷たいシーツの上に倒れ込んだ。仰向けに天井を眺めながら一人でへらへら笑っている。
「考えすぎだ。一度悪い方に考えるとずっと悪くなる一方だぞ。また明日にでも考えよう」
それを聞くとカイセイは席を立ち、部屋を出ていこうとする。
「まあでも一応、母上には会っておく。エセルのこともそれから何とかしよう」
俺はベッドに横になったままで声だけ送った。
カイセイが去った後も俺はしばらく眠らず、ただ横になってぼんやりとしていた。