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一緒に帰ろう

 カイセイの待つ台地へ戻ると敵兵士はすでに解散していた。平地には戦いの痕跡も無く綺麗なままである。帰りの荷物をまとめる自国の兵士の中に、カイセイの顔が見えた。あちらも俺に気付いたようだ。

「カイセイ、無事だな」

「はい。あれからネザリアの兵士は早々に城へ戻りまして、私達は無事です。そちらは勝ちましたか?」

「ああ。今はリュンヒンと城の者が手当や消火に当たっている」

 それを聞いてカイセイはホッと笑みを溢していた。しかし俺が馬を降りる際に、様子がおかしいとカイセイは気付いたようである。

「もしやお怪我を」

「ちょっとな。まるで右腕が失くしたみたいだ」

 試しに動かしてみようとするが、もう既に感覚が無く一ミリ足りとも動かせない。苦笑して見せたがカイセイはもう笑ってはいない。

「すぐに国へ戻りましょう。手当てをしなければ」

 言うと、カイセイは帰還の準備を急ぐよう皆に言い回りに行った。そんな大した怪我でもない……とは言い切れないか。後のことは任せてくれとリュンヒンも言っていたし、今は自分の身を第一に考えようと思う。


 さて、 と、俺はその辺をうろうろとしエセルの姿を探した。彼女は荷馬車の奥ですぐに見つかった。どこか遠くを見ているようだ。だらりと下ろした髪が今日は風になびいていない。じっとカカシのように佇んでいるだけである。

 後ろ手に手縄を付けているのはネザリアの檻に居たからなのだろうか。カイセイがあれを外さなかったのは、判断を俺に委ねるという見解で良いと思う。

 とりあえず生きていたということに安心し、俺は息を付いた。この息の音でエセルは後ろに人が居るのに気付いたようだが、振り向くのを途中で止めている。

「よう」

 声をかけつつ、俺はエセルの隣で足を止めた。

「何を見ている」

「……鳥です」

 エセルはポツリと呟いた。目の前に居るのは、戦争前に朝食をついばんでいた小鳥の群れだ。今度は遅めの昼食でも食いに来たのか。積み途中の重荷が地面に落ちたとしても、奴らは飛んで行かずそこに留まっている。

「鳥は自由の象徴ですよね」

 前を向いたまま小さな声でエセルは言った。自由という言葉を口にして溜息を吐いている。アルバートと一体どういうやり取りがあってここに居るのか聞いていないが、何やら憂いているようだ。

 とりあえず俺はエセルの手縄を外そうとする。頑丈な結び目を解きながら言葉をかけた。

「カイリュは死んだ。モリストとかいう祭祀もおそらく一緒にだ。指導者が居なくなったこの国はもうネザリアでは無くなる。これでもお前はまだ自由じゃないと嘆く理由があるのか?」

 言うとエセルは振り返り、驚いた顔を俺に見せた。

「待て待て、なかなか解けんのだ」

 エセルにはもう一度後ろを向いてもらい、再び結び目との葛藤に戻る。なにせ片手で紐の結びを解くのは激難だ。それに集中しようとすると、先程一瞬見えたエセルの泣き腫れた目が浮かんで邪魔までしてきた。

 背を向けたままエセルは鼻をすすっていた。

「……それは本当なんですか?」

「ああ。本当だ。お前は今からネザリア・エセルじゃなくなった」

「本当に……」

 エセルは続きの言葉を詰まらせている。

 ようやく縛っていた紐が足元に落ちた。紐の跡で手首が赤く腫れ上がっているではないか。そっと指でなぞって早く治るよう密かに願いを込めた。

 エセルは俺の方を向くと、すぐに深く頭を下げていた。ぽたりぽたりと涙を地面に落としており、肩まで震わす時があった。

「本当に、ありがとうございました」

 何度も何度も感謝の言葉を告げている。それがあまりに痛々しく今すぐ抱きしめたくなるが、しかし俺は動く左手を握るだけでエセルに伸ばしはしなかった。

「礼などいらん。何も俺はお前の為に剣を握ったのでは無いからな。俺が守るべきものは国民と国だ」

 頭を下げ続けるエセルをそこに置いたまま、俺はなんと残酷なことを告げようとしているのだろう。感覚が無いはずの右腕がまた急に痛みだしてくるのは、そんな俺のことを叱ってのことなのか。

 俺の好きなエセルの髪がふわりと風に揺れた。俺は地面に目を落としながら告げる。

「この決戦の前に、俺とお前の政略結婚が白紙となった」

 エセルがようやく顔を上げた。

「つまりお前は既に俺の妻では無い。よって俺が助ける限りでは無いということだ」

 エセルはたいそう驚いた顔をし、俺とはしばらくこのまま見つめ合った。これ以上俺から言葉がないと分かると、エセルは「そうですか」とだけ言った。

「ああそうだ」

 途端に冷たい風が吹きだしてくる。エセルはなびく髪を耳にかけていた。

 二人黙ったままでいると、背後からカイセイが俺の名を呼んだ。出発の準備が出来たとのことだ。

 今すぐに発つというわけではないが、別れの挨拶は出来れば手短なものがいい。エセルにかける言葉を浮かべながら、頭ではまた彼女と会えることがあるのだろうかと考えてしまっていた。

「では、どうかお元気で。今までお世話になりました」

 先に言ったのはエセルだ。明るい声で言い、短めの礼をした。顔を上げると俺に笑顔を向けている。それは作った笑顔ではなく、彼女の本来の笑顔だと受け取った。初めて城を抜け出した日に見せた、希望に満ちた眼差しと同じであった。

 急に色々なものが浮かんできた。笑顔も涙もあった日々の中に、ずっと俺が抱いていた大切な思いがあったはずだ。それは何だったかと考えるのに夢中で俺はハッとなり、慌てて言葉を繕っている。

「な、なんだ。てっきり名残惜しいのかと思ったぞ」

 俺が苦笑いでいると、エセルはクスクスと笑う。

「やっぱり私は、王子のような高貴なところに居るべき人間では無いと思っていたので、実はちょっぴりせいせいしています」

 惜しげもなくすっかり元気になって言われた。「でも」と続きがあるようだ。

「でも、とても楽しかったです。本をたくさん読んだり、エーデンさんのお手伝いをしたり、町の人と話したり、普段なら会えないような方とお茶を飲んだり。何より皆さんや王子が優しく接して下さったから、私はあの時間が大切で、愛しくて……」

「笑ったと思ったらまた泣くな。お前は」

 涙を流した目でエセルは笑った。俺は愛おしくて仕方がないこのただの街娘を片手で抱き寄せた。エセルを抱いたまま俺は静かに伝える。

「俺は優しいからお前に接していたのでは無い。俺はお前が好きだから傍に居た。契約上よりも、俺の意思でそうしたいからお前を傍に置いていたのだ。分かっていなかったか?」

 エセルは俺の胸に顔を埋めたまま首を横に振った。

「ちゃんと分かっていました。でも王子は一度もそうだと言ってくれないので」

 抱擁を解き、俺はエセルの口にキスをする。離れかけては何度も口付けた。顔を離すとエセルは首まで真っ赤な顔になり、あからさまに俺から目を逸らしていた。

「せ、せいせいしていたのに逆効果です」

 内心俺はもどかしすぎてこの身が壊れそうなのである。しかしここでは回りの目もあることだ。平常心を保ちつつエセルに告げた。

「一緒に国に帰り、俺のそばに居てくれないか」

 するとエセルはフフフと微笑んだ。

「はい」

「……よかった」

 この言葉を待ってましたと言わんばかりに、荷馬車の裏から兵士たちが飛び出して来た。盗み聞きをしていたとしか思えんタイミングだ。

 俺達に拍手を送ったり歓声を上げたりし、ついにはエセルは祝福を受けながら連れて行かれた。負傷した俺とエセルはそれぞれ馬の後ろに乗り、我が城へと戻ったのである。


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