町‐隠居国の暮らし‐
午後の町は落ち着いていた。朝市は既に片づけられていて跡形もなく、広い通りには小さな屋台がぽつぽつ残っているだけで静かだ。人通りもほとんど無い。
せっかくなら活発な町の様子を見せたかったと残念がっている俺だが、エセルにとっては気にしていないだろう。まあ騒ぎになるよりこれぐらいが良いかと思うことにする。
「どうだ、お前の国とは違うか?」
俺の少し前を行くエセルが様々なところに目を向けていた。
「全然違います。何ていうか安心する感じです」
通りの民家を見上げながら言った。俺もエセルが向いているところを見上げている。
土壁の二階から出窓が突き出した作りだ。鮮やかな紫を咲かせた小ぶりな花かごがぶら下がっており、時々水滴を落としている。
「狭い国だからな。中心街でも田舎町くらいの規模にしかならない」
「でも皆さん豊かに生活されているように見えますね」
小川のほとりで洗濯物がひゅるり風に揺れていたり、俺達の横を子供が走り過ぎたりしている様子を眺めながらエセルは微笑んでいた。この頃は暖かな生活が送られているようであった。
だが俺は、その豊かな暮らしの端々に見える影の方に目が行ってしまう。
密集した建物は古いものと新しいものとがチグハグになっており、今も大工の大男が古い壁を塗り直していた。その後ろ姿を横目で見ている。
「……この国はつい最近まで割と大きな戦争をしていた。先代と先々代……つまり俺の祖父、曽祖父にあたる人物だな。その二代は何かに付けて勝ち負けを付けたがる性分だったようで、国民も血気盛んに剣を振り回していたらしい」
横を歩きながら耳だけ貸していたエセルだったが、心配になり「今は?」と聞いた。建物の隙間に、倒壊した家屋らしき残骸が残っている。手付かずのまま蔦に埋もれたようだ。パッと見では特に気にならないだろう。
「安心しろ。もう終戦した。父が亡くなったのを期に、戦争なんて辞めようと国全体で一致団結したのだ。それで今は全員で隠居暮らしというわけだな」
噴水のある広間に来た。ここが一応この国の中心部である。先程俺たちの合図となった時計台もこの傍にそびえ立っている。
人が俺のことに気付くと、呼びかけられたり手を振ったりされた。時に駆け寄ってきて気軽に話しかけられ、それに快く返している俺のことをエセルは不思議そうにしていた。
「みんな親戚みたいなものだ」
言うと納得したようであった。
飴屋の屋台に子どもたちが群がっている。
花束を誂えに来た男が、花売りの娘を真面目な顔で口説いている。
逃げた猫を探している一行が細道を覗いている。野良猫に写真をかざしたりもしている。
……皆それぞれの日常を眺めていると、今は平和で良い国であることを誇りに思った。
「なんだか嬉しそうですね」
知らずに、はにかんでいた顔を真横から見られ、俺は慌てていつもの真面目そのものの顔に戻した。何が可笑しいのかエセルはクスクスと笑っている。
外に出てみて正解だった。エセルとの距離もかなり近付けていると実感していた。きっとカイセイも喜ぶことだろう。
「あれは」とエセルが言う。声は後ろの方からだ。
いつのまにか足を止めていたエセルの元へ戻り、指で示している横道に目を向けた。何やら奥の方で人だかりが出来ていた。
「えらく人気な店だな」
俺は悠々としていたが、よくよく見ると人に紛れて馬の姿を見つけた。それも鉄製の鞍や鎧をつけた馬だ。あれに商人が乗るにはいくらなんでも武装させ過ぎである。
「隠れるぞ!」
「えっ」
急いで建物の影に隠れた。ここでも横道からは見えないだろうが、念の為側にあった手頃な店に入る。店の奥から店主の呑気な声が聞こえた。
飾り窓の下で身を潜めている。外の様子を覗き見ていると、思った通り調査隊がこっちの道にやって来た。それに先頭で指揮を取っているのはカイセイだ。危ないところであった。
「……今日そんな予定は聞いていないが」
「どうかされました?」
「ああいや。こっちの話だなんでも無い」
極弱音の独り言を拾われたのにはふたつ原因があった。ひとつは距離が近いことだ。これは店内で身を潜めているから多少仕方ない。だがもうひとつの、いつの間にか取っていた手の方が重大要因である。
何と言葉を添えれば良いのか分からず、とりあえず無言で手を開いておいた。そのうちに冷たい手がそっと離れた。
不意にとは言え、許可なく手を繋いでしまうのは、きちんと謝るべきなのだろうか。ありがとうはまず違うからな……とか。調査隊が去っていくのを見送っている風を装って、頭の中では考えているのである。
「見せつけてくれるねえ。早速連れ出して来たのかい?」
いつから居たのか、カウンターから店主がニヤニヤしながらこちらを見ていた。
店主には俺からムスッとした顔で返し、エセルには店の中を見ても良いと告げた。店内はガラスのランプや天然石のブレスレットなど、女性が喜びそうなものが沢山置いてあった。
男の俺にはどれも興味すらそそられん。店主と立ち話するに限る。
「さっきの兵隊はなんだ? 何を聞きまわっているんだ?」
「さあ、何でしょう。ずっと店の中にいましたから気になりませんで」
店主は石を磨きながら薄ら笑っていた。
カウンターの上には他にもピカピカになった石が数個並べられている。話の合間にひとつを手に取ろうとすると「触らんほうがええ」と店主が意味深に制した。やけに爺臭い言い方も気になり、俺は顔を引き攣らせている。
「……この石には”まじない”をかけてある」
「はあ」
何を言い出しているのかと思っていると、店主は手の石を磨き終えたらしく、次に石に向かって、ふう。と息を吹きかけた。そして他のまじない付きと同じ列にコトンと置いた。
何の気無しにまた別の石を取り出して磨き出す。
店に陳列された天然石のペンダント。その売り文句のようなものには、恋や金運の効果があるなどとされていた。俺はそれらに一切興味が無いが、首紐の先にぶら下がっている石はどう見ても宝石ではなく、川から拾ってきた変哲もない石のように見えた。
「なんてひどい商売だ。これで売れているのか」
店主はより軽快に笑っている。
「これが全く売れない売れない。店の雰囲気出し。ただの趣味だよ」
「それにしてはいい値段が付いているぞ」
「そりゃあ売れるからには高いほうが嬉しいからねぇ」
俺は呆れてもう店を出ようと思った。インチキ商売でも愉快にしているなら見過ごしてやろう。どうせ店主も俺にそのつもりが無いのを知って、洗いざらい見せ付けて来るのだろうしな。
エセルは商品をひとつひとつ手に取って十分に見ていた。
「欲しいものがあれば買ってやるぞ。少しなら金くらい持ってきている」
俺は近づいて言う。
「ただし、あそこペンダントはやめとけ」
「はい?」
エセルがよく分からず首を傾げる代わりに、店主が大笑いをしていた。
結局何も買わずにその店を出た。もう時間はあまりないが、正直このまま城に直帰するのも味気ない。調査隊とばったり出くわしてしまう可能性も考えると、あまり堂々と歩いてられないなと考える。
「もう少し歩けるか?」
「はい、ぜんぜん大丈夫ですよ」
やがて歩き出す。エセルも後からついて来た。