対談‐取引‐
「君は今回の件で私の逆鱗に触れた。しかし君に制裁を加えることはとても難しいのだぞ。例えばこの指でゴマ粒程度の国を潰したとして、私は称賛されるどころか、弱者に同情する連中に批判される恐れがある。君の国と正々堂々やるには、どれほど軍を減らせば良いだろうか。非常に困っている」
カイリュ王はグラスをテーブルの上に手放した。腕を組みながら何だか本気で悩ませているようだ。が、話は何故か国同士の決闘のように進められているように思い疑問を抱く。
「私への制裁では無いのですか」
ひたすらに腕を組みながら渋った声で答えた。
「ううむ。君に罰を与えてもだな、私としては利益が全く無いのだよ。たとえ君をこの手で殺ったとしても、私の恨みは晴れないだろう。君は国を捨てようとしているわけだからな」
だろうな。という確かな感想だ。一応表向きには俺も悩み込むよう俯くなりした。
カイリュ王が欲しいのは俺の心臓などでは無い。俺が死ぬことで国に打撃を与えて乗っ取りたいのである。
ただし俺は王位を継ぐ気が無いということを、カイリュ王はエセルかもしくは既に何処かから耳にしたようであった。「国を捨てようとしている」など酷い言い方をされたものだ。
それに、よほど勢いのある国だと見せつけたいのか知らんが、こちらの意見も聞かずにべらべらと言ったのは軍事力行使で行く姿勢である。
「私の国はもう戦争をしません」
俺からきっぱりと言うと、これは想定内であったようでカイリュ王は余裕の表情で頷いていた。
「そうか。君は王の命と引き換えに武器を手放したのであったな。だが、攻め入る戦いはしないにしても、守る戦いまで放棄は出来ないだろう。まさか本当に国ごと滅ぶ気でいるのかな?」
また俺を試してくる。今度は表情で催促してこない代わりに兵の数を口にした。
「百人か? いや、八十。まさか五十も集められないなんて無いだろう」
それはまるで空想を膨らませる少年のように軽快で、さらには攻め入り方についても夢を語るかのような独り言を溢していた。
「……戦争は出来ません」
それに対して俺の方は悩むまでもない。五十人も兵士を派遣したら国を守る者が居なくなる。
「やっぱり。つまらないな君は」
たぶん初対面の時の印象を引きずって言われたのだろう。それに関しては特に腹を立てたりはしない。
それより、しょんぼりとなったカイリュ王だ。彼は自身の懐に手を入れてもぞもぞとした。短剣でも出てきて殺られるかと一瞬思ったが、出てきたのはただの紙であった。
その紙はテーブルの上に置かれると、折り目を広げられて二枚に分かれた。二枚の紙は同じ文章が書かれてあって、俺はその紙や文章にははっきりと見覚えがあった。
「結婚の誓約書だ。偽物なんかじゃない」
サインの書かれたところを指でさして見せてきた。
「何故ここに、ふたつも」
急に手が冷たくなり始める。そのふたつを見比べれば、ひとつはカイリュ王のサインが、もうひとつは俺のサインが書かれている。間違いなく俺の字であり、俺の使うインクなのである。
「さあ。何故だろうな」
あるはずのないものが目の前にある訳は、動転していてか有耶無耶の中に掻き消えた。並べられた誓約書は俺に見せつけるためだけで、カイリュ王は二枚を再び手に持った。そして俺の目の前でビリビリと破りだしたのだ。
誓約書であっても素材はただの紙だ。あっけなく引き裂かれ、テーブルの上の小さな紙山となっていく。山を作り上げていきながらカイリュ王はぼんやりと昔の話を語りだした。
「……なかなか縁談が進まん王子がいると耳にしてな。その男はやけに皇族を毛嫌いしているらしく、婚約者をも突き放したばかりだそうだった。しかもその国は戦争で痛手を負い、すっかり勝機を無くしてしまったらしい。ついには国ごと隠居を決めたとかを言い出す始末でな、これでは死にそびれた王女が気の毒だと私は思ったのだ。このまま放っておいたら半年も経たずに無法地帯になる未来。世界にはなんと不幸な国もあるのかと憂いておった……」
葡萄酒を飲み干して喉を潤す。カイリュ王は続けた。
「こんな困った王子も言うてただの男だ。女でも娶れば嫌でも大人になるであろうと思ってな。私からはお粗末だが餞を送ることにした。……まさかこんなに気に入られるとは思いもしなかったがな」
カイリュ王は破られた誓約書をかき集め、空いたグラスの中に流すように入れている。そしてそれはゴミになっただけで終わらずに、カイリュ王の手によって火の灯ったマッチ棒がひとつ中に落とされたのである。
チリチリと燃える誓約書を共に見守っていると、カイリュ王が「女は皆、脳がない」と口にし微笑した。灰になっていくものを目にし、途端に俺はずっと抑え込まれていたこの男の威厳のようなものに勝てる気がした。
俺が不機嫌な顔をこの男に向けると、こいつは機嫌を良くする。
俺が歯を剥き出していると、このカイリュという男は白い歯で笑うのだ。
「さあ、それでどうする。この結婚は不成立になったわけだが。まさか”あれ”との偽夫婦生活の礼だけ告げて、このまま帰ろうなどと考えているのでは」
「”あれ”では無い。エセルという名前がある」
俺は苛立った声でカイリュを遮った。これにカイリュは頬をポリポリ掻いている。
「……そうか、エセルか。すまない、あまり覚えていないのだ」
俺は鼻でフンと笑ってやった。
「もう歳なんじゃないのか?」
言うと、カイリュはご機嫌にデカい笑い声を響かせた。この老人ジョークは大層ウケたようだ。しばらく笑われた後、カイリュは俺を打ち首にするどころか良いと褒めている。
「そう来ないと話がつまらん。最近は皆が私を持ち上げるばかりで退屈であったのだ。やはり持つべきものは家族でも友でもない。赤の他人同士の会話が一番楽しいわい」
カイリュの豪快な笑い声で部屋内の額縁が窓から落っこちそうだ。俺は本人の目の前で堂々と耳を塞いでやり過ごしている。そして急に静かになったと思ったら、葡萄酒のボトルを鷲掴みにして注ぎ口から直接胃の中へ流し込んでいるのを見た。
先方は好きなワインを飲みつつ楽しい時間だろうが、こっちは茶すらも出されていないのだ。早いところこの部屋を出なければ、喉が枯渇してしまうか耳が壊れてしまう。
「エセルは今どこにいる」
カイリュは飲むのを一時止めた。
「厳重に檻に閉じ込めてある。君も知っての通りあの娘は扱いにくいのでな」
「何故俺の国を欲しがる」
「君の国は自然の要塞だ。我が軍の基地にするのに丁度いい」
「その為の政略だったのか」
平然した態度で答えていたカイリュだが、またボトルに口を付けだして残りの葡萄酒を飲み干している。よほど美味かったのか、注ぎ口を吸い取るようにして最後の一滴まで残さず腹におさめた。そして空のボトルはその辺に放り投げられた。
「やけに質問ばかりしてくるではないか。私のことが分かったら戦わずに済む方法が思いつきそうかね?」
カイリュはひとりでケラケラと笑い、ソファーにふんぞり返ると共に壁掛けの時計を見ていた。この後の催し物の時刻が迫っているのだと俺にも示したいらしい。
「では来週の午後に、この城の北部にある台地にて合戦といこう。悪いが君の希望は聞けないんだ。やはり欲しいものは勝ってこそ手に入れるのが筋だと思うのでな」
「戦争は出来ないと言ってるだろう」
この往生際の悪い男になおも抵抗したが話は続いた。
「こちらが勝てば君の国の領地を貰う。国民は後で何とやらだ。そしてまさかの君が勝てたなら、その時は檻の中の娘を返してやるとしよう」
この城に来るまでに……いやむしろエセルが俺の国に来た時に、いつかその取引で来るとは予想していた。まったく考えが単調だと思い俺は微笑した。
「今更お前の隠し子など取り戻したいとは思わん」
「何だって? 隠し子? 君は何だか可笑しなものを植え付けられているようだな」
この時のカイリュは目を大きく見開いて驚きを表していた。そして推理するかのように天を仰ぎ、思考を巡らせながら言葉を紡ぎ出す。
「彼女がそう語ったのであれば、それは君をたらしこむ為の出来話ではないか? それかもしかすると、あの娘が少々勘違いを起こしているのかもしれない……」
「勘違いだと? お前は父親を暴露して、母親を殺したのだろ」
「そうだ。それは真実である。そうすれば暴動がおさまったのでな」
俺は違和感を覚える。カイリュはまるで手段であるかのような言い方をした。
「彼女のおかげで連中は解散し、こうして欲しい国とも話し合いが出来るわけだ。私は彼女に感謝しているのだよ。ええっと、名前は何と言ったかな。いかんまた忘れてしまった」
見計らったかのような鐘の音が聞こえてきた。カイリュはそれを合図にすくっと席を立ち、軽快なステップを踏んで扉の前に移動した。
「今宵は親睦会だ。しかし君にとっては生前最後のパーティーになると思うと寂しい気持ちも無くはない」
この言葉を最後に、カイリュは鼻歌まじりに部屋を出て行ってしまったのだ。




