すべてが失敗
数日間のメルチ滞在期間を終え、帰りの支度ができた頃である。テダムの側近が慌ててやって来て俺達を呼んだ。やっと時間が取れるということで、俺とカイセイは喜ぶのを後にし即座に向かうことにした。
林を抜けた先の朝霧が白らむ原っぱにテダムの背中を見つけた。大きな翼を広げた鳥類がテダムのピンと伸ばしたその腕に止まった。可愛がるように首のあたりを指の背で撫でている。
「すまないね。最近部屋に帰る事も少なくて。ちょっとこの辺をどけようか」
「掃除は頼んでないのか?」
次期王にしては粗末な部屋であった。屋根裏部屋かと思うような散らかりように、失礼なことを口走ってしまったかと思う。テダムは大きな紙製の箱を持ち上げながら、変わらぬ静かな態度で答えた。
「あまり自室に人を入れたくなくて」
なるほどな。気持ちは分かる。俺も侍女にあれこれ触れられるのが嫌だからな。それにテダムの場合は常々警戒を怠れないのだろう。こんな早朝で城内であっても、彼が軍服姿で腰に護身用の剣を離さないのはそういうことだと思う。
「さあ、お二人座って下さい。すまないがお茶を出している暇は無いので、手短にお願いします」
テダムが場所を開けたソファーは、十年以上前にリュンヒンの部屋にあったものだった。今見れば、このビンテージ物のソファーを子供部屋に置いておくには大変に惜しい。しかし時が経てばテダムの部屋に馴染んでいた。
そんな昔話も胸にしまいつつ、俺とカイセイはこのソファーに座った。テダムは自身の書斎机にいて卓上でロウソクに火を灯している。霧の出ている朝だからか、この部屋は全体が結構暗い。
「で、話とは」
手を動かしながらテダムは口だけで言った。俺はさっそく船舶のことを聞く。
「メルチの商人を名乗る者が、ドデカい船舶に乗ってやって来たのだが何か知らないか?」
「はあ。うちの商人がですか……」
この薄い反応だと情報は無いのだと分かる。思ったとおりテダムは、心当たりは無いと言った。まあそれは仕方がない。しかしテダムが急に立ち上がると、何やら後ろの本棚から分厚いファイルを二つほど出してきた。
「これはうちの貿易書類ですが、良ければお貸ししましょうか」
何食わぬ顔で言われるが、それは国にとって機密書類だろう。俺は頬を掻きながら久しく苦笑いを返した。
「いや、必要ない。自国に帰って捕虜にしてある本人に聞き出そうと思う」
「そうですか。良い情報が聞けると良いですね」
せっかくの親切を残念がるでもなく、俺達を激励するでもなく言った。テダムは昔からこういう淡々とした男であったが、大人になると冷酷さに繋がったように感じる。
「これで話は終わりですか?」
立ち上がろうとするテダムに「あと一つ」と言い留める。
「ネザリアの条約の件なのだが」
「ああ……」
これに対してもテダムは薄い反応を見せた。ただしこの件に関しては、内容を聞いていないなどはありえない。何か苦しそうであった。辛そうな表情をありありと浮かべ、テダムはとんでもない事実を口にした。
「そのことなら私じゃなくてリュンヒンに話すべきですね。メルチ王国次の王はリュンヒンがなるので」
「え……」
まさかの事に身動きも出来なくなる。そんな俺をよそに、テダムは立ち上がり掛けてあった上着を手に取った。俺自身この動揺を隠すのは難しく切れ切れにしてテダムに問う。
「な、なぜ。長男の、お前ではなくて」
静かに上着に袖を通しながらフッと一瞬鼻で笑う。
「なぜって……この国には私を嫌う民がいるからです。リュンヒンは民に好かれていますし統治も上手い。ただそれだけのことです」
ボタンも閉め終わった。
「ここまでにしておきましょう。そろそろ私も出なくては」
「あ、ああ。時間を取らせてすまなかった」
俺たちは追い出される形でテダムの部屋を出た。これは大変にまずいことになった。まさかリュンヒンが国王になるとは考えも及ばなかったのだ。エセルのことをリュンヒンに話してしまったとカイセイが知ると、俺達は同時に頭を抱えることになった。
馬に乗り峠の道を超えている。テダム会談後、リュンヒンにはやっぱり会えずに終わった。行きより帰りの方が早く感じるものである。俺は馬にまたがりながらずっと考え事をしていたからか、余計にこの帰路はほんの一瞬だったように思う。
* * *
メルチとの交際は決裂。いいや、まだ決まったわけではない。なのに頭では悪いことばかり浮かんでくる。
ネザリアは炭鉱を持つメルチを手の内に入れたいだろうな。メルチの方はネザリアに思い入れなど特に無いだろうが、今は国自体波に乗りだしている時だ、どのように国を運ぶかはリュンヒンの手にかかっている。
西部の領土問題は思い通りに解決した。港に着いた船舶はメルチの知るところでないと判明した。しかし俺は、何かを失うことを恐れている。そんな気がしているのだ。
ネザリアと手を組むことで離れていくメルチをか? これまで通りに会えなくなるリュンヒンとテダムが惜しいのか? そんなことでは無いだろうと、頭や心がムズムズしている。
久しぶりの自室で、久しぶりに広いベッドに倒れ、天井ばかり見ていても答えが浮き出てくるわけでもあるまい。俺はこのメルチ訪問で、俺が何を手に入れたかったのかを必死に思い出そうとしていた。
「はあ……疲れた」
すると、俺の独り言が合図かのようにベッド付近の扉が自ら開いた。もちろんそんな仕掛けなんか無いただの片開き扉だ。この奥は物置で、まさか眠った書物や雑貨が意思を持ち、帰ってきた主に喜んで飛びついてくるわけも無いだろう。
俺はベッドから飛んで離れ、近くに掛けておいた護身用の剣を手に取った。扉がゆっくり開くと、そこから出てきたのはなんとエセルであった。
「エセル!?」
「王子!? どうして!?」
俺は慌てて剣を後ろに隠す。エセルは俺の部屋をキョロキョロと見回しながら、かなり動揺しているようだ。慌てふためきながら出たり入ったりする。
ちらっとその開いたところから向こうの部屋が見えた。その時俺は、過去の自分がカイセイか侍女かにあることを言ったのを思い出した。扉に近付きこの目でその光景を見て確認する。
「そうだ。そうだった……」
物置であった部屋に俺の物はひとつも無く、代わりに良質なカーテンと大きなクローゼットと、俺のものより素材の良いベッドがドーンと置いてあった。化粧台に花も活けてある。全体の色合い的にも女性の部屋という感じである。
エセルの世話係リトゥが居なくなるからいったん俺の部屋と続きにしよう。と、そんな話をしたのだ。
とりあえずエセルに落ち着くよう言う。しかし無理なようだ。
「ななな、なんで王子がここにいるんですか! 出て行って下さい!」
「出ていくも何もここは当初から俺の部屋だ!」
これがエセルをますます混乱させた。
「い、意味が分かりません! ドアひとつ向こうに男性が居るとか安心して寝られません!」
「いやお前メルチでは部屋続きで普通に寝てただろ! 大きなイビキがよーく聞こえていたわ! 今はお前に警備を付ける人材が居ないんだから少しは我慢しろ!」
エセルはまだやいやいと言うので、俺は両手で耳を塞いでいる。どうしても黙らんようなので、俺の部屋にあるチェストから鍵を掴んで取り、ベッドの上に投げ置いた。
「部屋を変えるまで一生閉めておけ!」
わーわー言いながらもエセルはそれを掴み取り、自分の部屋に身を収めた。ガチャンと激しい音を立てながら扉が閉められ鍵のかかる音が鳴る。その後は俺の部屋に俺だけで、再び静寂に戻った。
ぜいぜいはあはあと息をしながら若干舌打ちをする。そうだ、あいつさえ娶っていなければ、俺はメルチがネザリアとどうこうなろうが関係なかったのだ。領土問題だけ解決して一安心、で済む話だったのだ。
もう一度ベッドに横になり、俺は頭の中で”もしもエセルと出会っていなかったら”と沢山の想像を並べた。それは尽きることがなく気づけば夜更けだ。
眠気もとうに無くなったことであるし、俺は部屋を出て少し肌寒い廊下に立った。これから庭を散策するか何か食べようか考え、結局カイセイの部屋をノックしていた。




