大丈夫。ただのジュースだよ
オルバノ夫妻とは別れ、俺達とリュンヒンは場所を変えた。テラスに出て涼もうというリュンヒンの誘いからだ。夜の外気は少し肌寒かったが、酒を飲んでいるリュンヒンは丁度良いと言っている。
「君たちは踊らないの?」
「俺はあの雰囲気が苦手だ」
「だろうな。兄もだ。おかげで昔から僕ばっかり連れ回される」
リュンヒンは苦笑していた。
俺とリュンヒンは、柵に身をもたれさせ外の世界を眺めていた。煌々としていたホールから急に外に出たものだから、闇に慣れない目では空と森の境が分からないほど全てが真っ暗に見えた。
しかしだんだん闇に慣れてくると、頭上に輝く無数の星たちに気付ける。遠慮をしない虫の声も煩いくらいにこだましている。ホールの賑やかな明かりや音楽より、俺にはここの方が何倍も居心地が良いと思っていた。
新しいグラスを傾けながらリュンヒンは爽やかな横顔で話し出す。
「君たちが村の道を通っていくのを見ていたよ。今日は僕、収穫の手伝いに出ていたんだ」
「相変わらず人が良いなお前は」
「皆は物好きって言うけどね」
それを言ってエセルにウインクを投げかける。エセルは突然のそれを受け止められずに地べたに落としていた。
「それにしても君たちこんな日に来れてラッキーだったね」
「ラッキー?」
「ああ見えて実は今日の昼間まで、父と母はとっても険悪なムードだったんだ」
丁度ガラス戸越しにオルバノ王とイアリス妃が再び踊りだすのが見えている。どう見たってとても仲睦まじい二人でしか無いが。
「ちょっと今後のことで揉め合いがあったみたいだ。もう解決したけどね。って言ってもあの二人のことだから、またひょんな事で決まったことを何度だって言い争うんだよ。良く言えば喧嘩するほど仲が良いってやつ? どっちにしても息子としては見てられないよ」
やれやれという風に言っていた。
「あ、そうだ!」と、リュンヒンが続け様に言う。酔っているせいなのか、今日はえらく喋るなと思いながら聞いていた。
「君たちが遅れてきた理由だ。大変だったそうじゃないか。なになに命を狙われているんだって? それにしては君たち警戒心を怠り過ぎなんじゃないのかい?」
リュンヒンはひとりで高笑いしグラスの中を飲み干すと、ガラス戸越しにウェイターを呼び寄せ新しいグラスと交換していた。戻ってきたリュンヒンの手には二つ色違いのグラスを持っており、そのうちの色の濃い方をエセルに手渡した。
「彼女がその被害に遭ったんだろう? こんなに可愛らしいのに守ってあげなくちゃ」
エセルがグラスを受け取り小さくお礼を言っている。「大丈夫。ただのジュースだよ」とリュンヒンは笑顔を向けていた。酒を飲まないエセルへの気遣いと見えた。
元の定位置についたリュンヒンは、俺の横腹を肘で押してくる。
「いいかい? 男は女性を守る為にある生き物なんだ」
そしてエセルが傾けている先程のグラスを指して言う。
「あれに毒でも入っていたらどうする」
エセルは今まさに飲もうとしていたグラスをパッと放した。それを見てリュンヒンは腹を抱えて笑っている。カイセイが念のためエセルのグラスを取り上げた。
「おいお前。いったいどういうつもりだ」
「……どういうつもりかって? それは是非僕から君に問いたいね」
上機嫌で笑っているように見えていたリュンヒンが、今度は凄まじい怒りの念で俺のことを睨んでいた。
「僕は女性を蔑ろにする男が大嫌いなんだよ。とにかく君は危機感が無さ過ぎる。僕は警告しているんだ。こんな隙だらけではいけないって事をさ!」
唾も飛ぶ勢いで言われたことは全てその通りであった。
「……すまん」
肩を落とす俺に、リュンヒンは意外だと思ったらしい。
「素直に謝るか。妻を貰うと人は変わるね。前の君だったら突っかかってきただろうに」
何故か寂しげに言われた。
それ以来リュンヒンから怒らなくなったと思っていたら、ガラス戸のカーテンからこちらをのぞき見る淑女がいるのに気付いた。誰かに用でもあるのかと思った矢先、リュンヒンと快く手を振り会って通じているようだ。
「じゃあ僕はこの辺で」
「ああ。また後日話そう」
「そうだね。君達は仕事をしに来たんだった」
リュンヒンはまっすぐ淑女のところへ行くかと思うと、自然な成り行きのようにエセルの傍に寄った。そして顔を近づけて何かを囁いた。割と長めの言葉であった。話は聞こえなかったが、一部「しっかり守ってもらうんだよ」と、そのように俺からは聞こえた気がする。
そのまま片手を上げながら、リュンヒンは淑女と一緒にホールの中に消えていった。




