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書斎‐言い合い‐

 書斎へ入るとすぐに、仕事中である側近のカイセイという男と目が合う。何か驚くことがあったのか間抜けな顔で固まっていた。予定外の時間に俺が戻ってきたのがそんなに変なのかと思っていたらそうではなかった。

「何なんですか一体。扉が壊れるかと思いましたよ」

 たぶん知らずに手荒に扉を閉めていたことを指摘されているのだと思う。いつでも規律正しいこの男は小言が実に多い。

 その後もぶちぶち言われるのを俺は素通りし、自分の席を目指してひたすら歩いた。言うても俺とカイセイの机ふたつあるだけの小さな書斎部屋だ。涼しい顔でカイセイの目の前を行き過ぎれば俺の席はすぐ傍にある。

 弾力のあるクッション性に尻や背を預けた。なんだかようやくリラックス出来そうであった。あの埃っぽい書物庫で何もしていなかった割に、不思議と結構疲れている。

「うまく行かなかったんですね」

 俺は何も言っていないのに、カイセイはそんなことを口にした。

「別に、うまくやろうとも思っていない」

 俺は親切に返事をしてやる。

「それでは困りますよ。お二人の良い関係があってようやく結果となるのですから、ちゃんと努力をして下さい。エセル様との親睦を深めることが、今は一番重要なお仕事なんです。ご自身のお立場をお考え下さい」

 まったく一丁前に上から物言う側近だ。成約する前からも同じ話をうんざりするほど聞かされている。まさかその後にも口酸っぱく言われるとは勘弁してほしいものだ。

 卓上には山積みされている書類があり、これが俺の受け持ちの仕事である。悠長に居眠りに徹していた分が、まるごと手つかずでここにあるのだ。カイセイが目くじら立ててヤイヤイ言っている間にも、とりあえずは片付けてしまおうと俺は姿勢を正し取り掛かった。

 さすがにカイセイは真面目に仕事をしている者の邪魔をしようなどとは思わない。そのため俺が机に向かうと急に静かになった。そしてそのうちに自身も仕事を再開したようだ。このままやり過ごそうと多寡をくくっていた俺だったが、仕事の手を動かしながらもカイセイは色々聞いてくる。

「今日は読書をされたのでしょう?」

「ああ、暇だった」

「何かお話は出来ましたか?」

「少しな」

「エセル様は楽しんでおられましたか?」

「ああ」

「エセル様の好みなど分かりましたか?」

「さあ分からん」

「エセル様のお国の話などは」

「してない」

 などなど一問一答。

 面倒になって次第に生返事を返していた。それでも止まない質問と、エセル様エセル様にだんだんむかっ腹が立ってくる。右手に持った国印もぷるぷる震えだしてくる。

「ではエセル様の」

「ええい、集中できん! 細かく話しかけてくるな!」

 カイセイを遮って、俺は判子を投げ紙を引きちぎる勢いで喚いた。その勢いのまま紙の山をべしべし叩きながら続ける。

「この紙にはなあ、ひとつひとつ極重要な報告が書いてある! 俺はこれらをすべて理解しないといけないし、把握もしなければならない。可否の判を押すのに考え込みたい時だってある! お前はそこに、やれデートは楽しかったかだの、やれ彼女の反応はだのと口を挟んでくれば、こっちの方がよっぽどイライラしてくるわ!」

 俺はゼイゼイ息を荒げていた。カイセイはようやく口を慎んだ。

 素直に謝って来るかと思いきや、

「それは承知ですが……」などと言い、面を食らっていた。

「承知とか、承知じゃないとかじゃない。うるさいと言っている。分からんのか」

「……はあ」

 よく分かっていない返事をされた。

 もういいと、潔く仕事を進めようと書類を一枚手に取る。

 すかさずカイセイが「そんなことよりも」と言った。何故かちょっとムッとした言い方でだ。

「ようやく結婚できたんですから、もうちょっと紳士的な振る舞いをなさって下さいよ」

 俺はその聞き捨てならない言葉に手を止めた。

「おいおい、”ようやく結婚できた”というのは語弊がある。それに俺はもとより紳士そのもので、いつでも結婚ぐらいしてやれた」

「いいえ。あなたの要らぬプライドか何かのせいで、数多くの女性があなたの元から去りました。紳士だったなら政略婚など取らずとも、速やかに事が運んだでしょうね」

 俺が歯を剥き出して睨んでいると、カイセイはプイとそっぽを向く。まるで子供の喧嘩のようだと思われそうだ。しかし相手がカイセイだと、これが驚くほど頭に血がのぼるのだ。

 何かあいつを黙らせる文句を言わなければ気がすまない。掴みどころの少ない男であるが、欠点ならそれなりにある。その涼しい美顔にひと泡吹かせたく文句を考えていた。


 扉がノックされた。この書斎は多くの機密情報を扱うため、扉の外には衛兵を常駐させている。面会があれば衛兵から訪問者や用件が告げられる。

「バル様、お話があるとのことでリトゥ様がお会いになりたいと仰っています」

 衛兵のこもった声が部屋に入った。

「えっ」

 リトゥと聞いて、さっそく背筋が寒くなっているのは俺だけだ。

 さらに声だけが聞こえてくる。それは衛兵と、女性の声はリトゥであり、何やらこじれた会話になっているようだった。とにかく不穏な空気だけはひしひしと感じ取れた。

 俺がリトゥを苦手としているのをカイセイは知っている。いつもであれば、どうします? と、俺に伺いを立てて来るのに、この時ばかりカイセイは何の気無しに、

「入れて下さい」と言った。

 これではもう、ひと泡吹かせるどころの話ではなくなった。

「もう、どいてちょうだいな!」

 扉越しにそのように聞こえたかと思うと、次には扉が外れんばかりに開いた。力任せに押された戸が裏の壁に打ち当てられ鈍い音が鳴る。これには俺もカイセイも同時に身を震わせた。

 そこへ体をねじ込ませて婦人が入ってくる。五十歳くらいの婦人である。エセルの世話係として一緒に国を渡ってきた。

 リトゥはカイセイには見向きもしないで、一直線に俺のもとへずかずかやってくと、鼻の先まで詰め寄って来る。そうとう怒っているのは見て取れる。特にギラついているその眼は、俺のことを今にも殺してしまいそうな勢いすらあった。

 荒い鼻息が顔にかかる位置である。

「……リトゥ殿。お話とは」

「ええ、バル王子! 大事な大事なお話がありましてよ!」

「そ、それは一体、どんな話だろうか」

 腕組したリトゥが足をガンガン鳴らしている間に、俺の方からゆるりと一歩下がっておく。このままで居たらビンタでも飛んできそうだったからだ。

 近くではカイセイが来客用の席を用意していた。それを肌で感じ取ったのか、

「長居は無用! バル王子がどういうおつもりか聞きに来ただけなので」と言う。

 なるほど。話し合うつもりも無いらしい。

 して、さっそく刃が向けられる。

「あなた、エセル様にひどい言い方をされたようですわね。エセル様に対する冒涜。侮辱と捉えてよろしくて? このようなことネザリア王が知れば、あなたの首などすぐに刎ねるわよ」

 姫の付き人であろう人間が怖いことを言う。だがよかった。リトゥの手では、俺は殺されないようだ。ここは例の”紳士らしく”受け答えをしておく。

「侮辱などありえません。エセル姫のことは大事と思い、先にかけてお伝えしておきたい私の気持ちを述べただけです」

 頭を垂れて冷静な口調で告げた。

 どうだ、上手であろう。やれば出来るのだ。やらんだけでな。

「そんな、信じられませんわ!」

 狂乱しているリトゥに何を言っても無駄なのだろう。

 リトゥとは、エセルに会うまでに何度か顔を会わせていた。何かに付けてエセルのことで俺に突っかかってくるし、結局俺のことが気に食わないのだと分かっている。そうなると俺の方もやがて万策尽きる。

 隙きを見てカイセイに助け舟を出した。

「リトゥ様、バル様は少し疲れがあったのやもしれません。どうか言葉の綾をお許しください。この件はまた後日にエセル様も交えてお話させて頂きたいのですが、許していただけますか?」

 こっちは根っからの紳士であるから、俺より口が達者だ。

 カイセイの整った顔立ちに、リトゥは頬を染める一面も見せたが、すぐに正気に戻った。

「許せませんわ。もうエセル様はバル王子にはお会いしたくないと」

「言っておられるのですか?」

 助け舟は強い。まくし立てていたリトゥを黙らせることが出来た。

 罰が悪くなったリトゥは、行き場のない不満で鼻を鳴らした。

「いつまでも独身気分でいられるのは迷惑ですわね」

 俺に捨て台詞を持たせて部屋を出ていく。去り際の扉は静かに閉められた。

 とりあえず俺は肩から力が抜けて、しぼんだ風船のごとくうなだれた。机に突っ伏した状態でいて、とはいえ安心もしてもいられないな、と思っている。



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