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気付き

 ……さてさて。俺はこの度ネザリア王国の姫を娶ったのであったが、その相手がどう見ても姫に見えん。というところから何がどうしてこんがらがってきた。蓋を開けて見れば、俺の妻は単に慎ましやかな姫では無かったという話だ。

 エセルはネザリア国王カイリュの隠し子だそうだな。皇室に迎えられたのが今から一年前と経験が浅いのであれば、あのような素直さも納得できる。威厳を感じられなかったのも勘違いでは無かったのだ。

 それで、どうしてかそんな訳ありの姫を、こんな隠居を決める極小さな国の第二王子に嫁がせた。軍事的に稼働し始めたネザリア王国だ。カイリュが自身の覇権を維持するのに都合の悪いものを排除したのか、それとも別の狙いがあってこの国に意図的に送り込んだのかは謎だ。

 で、あとは何だった? ああ、そうだ。メルチの商人であったな。自国の港に船舶ごとやってきて身を潜めているとか。メルチとネザリアの関係は不明であるし、その商人が言ったとされるカイリュやエセルの話には食い違いが多かったしで信用できない。

 メルチ王国への訪問日程はつい先程カイセイから聞いて決まった。出発は最速を取って明日だ。とりあえず一旦出向いて話し合ってみるのが一番早いだろう。

「はあ……」

 風が出てきた。中庭のガーデンベンチに座っていたら、煮詰まってドロドロになった頭の中に吹き抜けてくる。久しぶりに外で見る夕焼けだ。時々渡り鳥が飛んでいき、どこまで行くのかと心の中で訊いたりした。

 俺は心底疲れている。空を眺めるのをやめると、背中を丸くして芝生を眺めた。そしてまた芝生を眺めるのをやめて空を見上げてを繰り返している。

 ため息を空気中に長く吐き溶かし、背もたれに体を預けて背中を伸ばした。そのまま脱力すると尻から滑り落ちそうになった。

「おっと」

「大丈夫ですか?」

 背後から久しぶりに聞く声がした。振り返って見るとエセルが立っている。

「あ……」

 下ろした髪が風になびいていた。清楚なワンピースから白く細い腕が覗き、数冊の本を抱えていた。美しく透き通った瞳はただ純粋な少女のようで、じっと俺のことを見つめていた。

 なんというか胸がドキリと鳴った。口を開けたままで固まっていた俺が、ふっと我に返ってエセルに答える。

「ああ、大丈夫だ。ちょっと危なかったが」

「気を付けてくださいね」

 それを告げると裾を翻しながら背を向けたエセルに、俺は呼びかけていた。

「エセル」

「はい」

 すぐにこちらを振り返る。

「今ちょっと話せるか」

 聞くとエセルは一瞬手元の本を気にしたようであったが、俺に頷いて隣りに座ってきた。二人掛けのガーデンベンチは二人で掛けるには割と狭くて、時々肩が触れるこの距離を、何故か今日は嫌に感じない。

「綺麗な夕焼け空ですね」

「そうだな。こういうのは久しぶりに見た」

 また渡り鳥が飛んでいくのを見送りながら言う。

「明日の朝に出発だ。さっそく留守番をさせて悪いな」

「そうですか。あっ、綺麗な夕焼けの翌日は晴れるそうですよ」

「なんだそれ?」

「エーデンさんが言っていました! なんだか夕日の沈む方に雲が無いから、次に太陽が昇るときに雲が無いとか……だったような気がします。たぶん」

 俺は少し笑った。エーデンなら得意げにそういうことを言いそうであるが、まさかエセルからもこんな話を聞けるとは思ってもいなかったからだ。だがエセルは、何も面白い話ではありません。と口を尖らせており、それが別口で面白くだんだん大笑いへ繋がっていった。

「エーデンと上手くやれてるみたいだな」

 エセルは「はい!」と笑顔を見せた。しかし不満そうな顔にもなる。

「あの部屋片付けても片付けても翌朝には元通りに散らかっているんですよ。エーデンさんは何もしていないって言うんですけど、何もしてないであんなに散らかるはず無いんです」

 ムスッとしている顔を横から見ながら、俺は「他には?」と聞いている。

 俺も知らないエーデンの私生活や、たぶんデタラメなエーデンの武勇伝まで、エセルは尽きること無く話してくれた。その時の、笑ったり怒ったり悲しんだり少し照れていたり、まるで花火のように繰り出される様々な表情を、俺は頬杖付きながら愉快に見ていたのだ。

「すみません、私ばかり喋ってしまいました」

「良い、良い。聞いていると楽しい」

 いつのまにか疲れも吹き飛ぶようであった。


「ああ。そういえばこの間、王妃様とお会いしましたよ」

 エセルの口から王妃が突如出てきて頬杖のバランスを崩してしまう。せっかく愉快な気分で居たのに、雨が振ってきたかのようである。

「な、何か言っていたか?」

 エセルが少し考えているのを、俺は固唾を飲んで待っていた。

「あなた子リスみたいね。と言われました。どういう意味なんでしょう?」

 それを聞いて瞬時に背筋が凍った。これは皇族の女性がよく使う隠語というやつだ。まだ目も見えなく毛も生えていない生まれたてのリスのことを指して、自分では何も出来ない者のことを示す言葉なのだ。

 俺はエセルに気づかれないよう「さあな」と言っておいた。それでエセルは何も疑わないで楽しそうに話を続けた。

「ちょっとだけお茶会にお呼ばれしたんです。王妃様ってとても可愛らしくお話されますよね。公での話し方とは違っていて、私はこちらも素敵だなと思いました」

「そうか。それは良い時間であったな」

 あえて水を差す必要もない。俺はそれ以上何も言わないで笑顔で済ました。初日彼女に嘘を付くなと言っておきながら自分も嘘付きである。

 でもそれで彼女が彼女のままで居てくれるのなら、その方が俺にとっては大事なことだったのだ……なんて。事情が分かっただけで、彼女に対する気持ちもこんなに変化するものなんだろうか。

 ぼんやり考え込んでいるうちに、エセルは途中だった用事を思い出したらしく立ち上がろうとしていた。オレンジの夕日もとうに森の奥へ隠れてしまい、だんだん夕刻になりつつある。そろそろ帰さなくてはならないのは分かっているが。何かもどかしい気持ちで胸が詰まる。

「すみません。エーデンさんのところに行く途中だったので。そろそろ行きます」

「そうか……そうだな」

 立ち上がったエセルが申し訳無さそうにしていた。ここで引き止めるわけにもいかないからな。素直に行かせてやるしかない。去り際エセルは振り返った。

「すごく楽しかったですね!」

 それと一番の笑顔を見せられた。これは侍女やリトゥに見せていたものとは違い、俺にとって特別なものとなる。またその笑顔は俺にも移るという不思議な力も持っていた。

 俺から「また明日」と言うと、エセルからも同じ「また明日」と返ってきた。それだけで心が満たされて暖かくなり、エセルが去った後の一人でいる時間は、驚くほど寂しくなるのだと初めて知った。


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