9#よくある夕食会
ガタゴトと上下に振動する馬車に揺られながら、私はずっと外を眺めている。別に目新しいものがあるというわけでもなく、他に視線を置いておく場所がないというのが理由の一つだ。
宿の近辺ならば、夜のミゼットも昼とは別の賑わいをみせているが、既に馬車は郊外に出ている。目の前を過ぎる景色は街路樹の緑と日の暮れた藍色の空、そしてわずかな民家以外に至って普通の道だけを映す。違和感がひとつあるとすれば、いつもならば歩いている道をこうして馬車にゆられている点だけだろう。
「それで、アディってば適当に選ぼうとするから、僕が見立てたんです」
「へぇ、おまえが?」
「ええ、アディに似合う服は僕が一番知ってますから。本人が選ぶより全然良いんですよ」
馬車に乗ってから、ずっとディに貸衣装屋での話を自慢げにしているオーサーは、かなり元気だ。対照的に、貸衣装屋でオーサーに遊ばれた私は、ぐったりとしている。オーサーは男なのになんであんなに服にこだわるのか、私にはさっぱりわからない。
「アディ」
私を呼ぶディのからかう声に答える代わりに睨みつけ、ついでに唸り声までつけてやると、大人しくディは手を引いた。私の機嫌が悪いとわかっていて、あえて声をかけてきているのも嫌だし、こうして馬車に揺られている事自体が気分が悪い。
私は馬車に限らず、乗り物が嫌いだ。魔法も嫌いだし、貴族や王族と言った権力者も嫌い。だから、こうして向かう先が貴族の屋敷だというのも気にくわない。
だったら最初から招待を断ればいいのだが、これからの長旅を考えてみればタダ飯は有り難いし、場合によっては路銀の足しになるようなものがあればいいという狙いがある。どうせ話をするのはディだが、夕食以外に一晩の宿を借りることができればそれだけで上々だ。何かあってもディは私を裏切らない気がするから、きっと私もオーサーも切り抜けられるはず――。
そこまで考えて、またディを頼ってしまっている自分に気がつき、私は眉を顰めた。
「アディはなんでマントとフード、とらねぇんだ?」
ディが言うように、私は貸衣装屋を出てからずっと服全体が隠れるマントを着ていて、フードも被ったままだ。そのせいでディにずっと見られているのは気にくわないし、苛々は募る一方だが、到着するまでとるつもりはない。
「汚れたら困るから」
簡単に返してから、それ以上の話はないと私はまた視線を馬車の外へと向けた。
実際、オーサーの見立ては正しいし、この服は私に似合っている自信はある。でも、好き好んで自慢するほどじゃない。
窓の外に小さな灯りが見えて、私はもうすぐ到着することに軽く安堵した。
「アディ」
こっそりと心配気に耳打ちするオーサーを、私は手で制する。
「平気よ」
その様子をディがじっと見ていることに気がついていた私は、また小さく息を吐いた。
ほどなく、馬車が止まり、ドアが開けられる。先にディが降り、続いてオーサーが降りた後、私の前に大きな右手が差し出された。
「何?」
「何って、その格好で飛び降りるわけにもいかねぇだろ」
ディは苦笑しているが、馬車に乗るときは何もしなかったのに、急に言い出す理由が読めない。訝しむ私の右手を、ディは強引に引っ張る。
「わ」
抵抗する間もなく、馬車から降りた私のフードが勢いに残されて、自然に外れ、私はそのままディの腕に抱き留められた。
「ご、ごめんなさいっ」
自分が悪いわけではないと知りながらもとっさに謝り、私は慌ててディから距離をとる。明るくなった視界に、緑の目を見開いて驚く様子のディが見える。その目に映っている自分の姿がディの瞳越しに見えた私は、また軽い落胆を覚えたのだった。私の正装した姿を見ると、ほとんどが同じ反応をするから、私は面白くない。
「アディ、そろそろマントも外していいんじゃない?」
私とディの間の空気を割って、オーサーが強引に入り込む。そりゃ、今日の格好はオーサーのコーディネイトだし、出来に自信もあるようだから無理もないけど、そんなに嬉しそうにしなくてもいいだろうに。
「ほら」
促された私は大人しくマントを止めているピンを外した。嬉しそうにオーサーが私からマントを受け取る。その後ろで、ディは平静を装いながらもいつもどおりの軽口を叩く。
「馬子にも衣装、」
「うるさい」
「てのは冗談だ。似合うじゃねぇか」
行こうかと少し先を歩く使いの者の後を、ディが歩き出す。その後を、私とオーサーはいつものペースでついて行く。いつものペースということは前を歩く彼らが、動きにくい私に合わせてくれているということだ。そんなことにさえもイラつきながら、私はできるだけ早足で歩く。隣を歩くオーサーは黒の子供用タキシードを着ているだけだから楽だろうが、私はそうはいかない。
ワインレッドの深い赤のイブニングドレスは、幅広の布を幾重にも重ねて構成されている。しかも、足下まで覆うような裾の長さだから、歩きながら私は両手で少し持ち上げなくてはならない。オーサー曰く、あまり胸を強調するデザインではないが、私のために誂えられたかのようによく似合っているそうだ。
普段は一括りにしている私の髪も降ろされ、表面だけを掬うように取り上げて、ドレスと同色の細めのリボンがつけられている。ディが気がついたかはわからないが、薄化粧も施されてしまった。
「よく最後まで耐えたわよね、私」
「アディにしてはめずらしいよね」
「オーサー、わかっててやったの?」
「あったりまえじゃん。何年アディにつきあってると思ってるのさ」
なぜか自慢げなオーサーから目をそらし、私は前を歩く大男の背中を見つめる。想像していたよりは淡泊な反応だったなと思いだし、何を考えてるんだと自分を嫌悪する。
私がやけに気になる大男は、最初にあったときと全く変わらない格好だ。肩当てなんかは擦り傷だらけで、帯剣の鞘もかすり傷が多い。それに、よく見れば。
「ん?」
「アディ、僕の話聞いてた?」
「聞いてないわよ」
よく見れば、ディの肩当てにも剣の鞘にもうっすらと古そうな文字の並びで何かが書かれている。村の神殿の壁にも時々同じものがあるから、おそらくは女神の時代の古代文字だろう。マリ母さんがそう言っていたから、間違いない。
(……神……従う者……?)
百メートル先でも楽に見える視力の私が目をこらしても、それがなんと書いてあるかはっきりとは読めない。それに不自然なのはそれが後ろから見えるということだ。よくは知らないけれど、鞘はともかく、肩当てなんかには普通は前にそういうものが書かれているのではないだろうか。
私がディに疑問を投げかけようとした声は、大扉の開かれる音で消された。
「お待ちしてました」
使者が開けた扉の向こうで、あの時の貴族が正装で私たちを迎えるのを見た私は、ディの後ろでまた小さなため息をつく。それをディは軽く笑っていて、オーサーは心配げに私を見ていた。
貴族にはそれを気取られないように表情を作り、私もディに並んで丁寧に頭を下げる。その際に私が自然と両手でドレスの裾をつまみあげていたのは、一応の礼儀だ。こういう服の時の作法ぐらい、マリ母さんやオーサーに叩き込まれている。
「お招きいただきまして光栄です、オーブドゥ卿」
それでも、私はマリ母さんらに教わる前から、自然とその作法を知っていた気がする。誰かに教わったような気もするし、そうではないような気もする。ただ知っていたとしか、私は答えを持たない。だが、問うものなどいないだろう。
私の隣に並んだオーサーが畏まって挨拶をした後、私たちはオーブドゥ卿に導かれて屋敷に足を踏み入れた。
入ってすぐの場所は広いホールになっていて、中央の高い位置にきらきらと虹を生むシャンデリアが飾られている。奥には二階へと繋がる階段があるようだが、オーブドゥ卿は私たちを玄関からすぐ左にある大きな両扉の奥へと案内する。
壁は明るい材質の樹を使っていて、上からニスを塗って、磨きぬかれている。床は壁と同材の樹を隙間なく並べてあって、塵ひとつ落ちていないことから、使用人の丁寧な仕事が伺える。
扉の向こうは部屋の中央に十人は座れる大きな丸テーブルがあって、白いテーブルクロスのかけられた上には中央にパンの入ったかごが置かれ、四人分のテーブルセットが並べられている。
一番手前の席に私が立つと、オーブドゥ卿は席を引いた。
「え?」
オーサーとディを見てから、オーブドゥ卿を見上げると、彼は深く頷く。座れと言うことらしいので、私は大人しく席についた。ここで駄々をこねても体裁が悪くなるだけだ。
オーブドゥ卿は私と丁度対面に座り、私の隣にオーサー、オーサーとひとつ開けた場所にディが座る。全員が座るのを待っていたように、全身白衣のコックの姿をした壮年の男が、台車に湯気の立つスープを乗せて運んできた。そして、私たちの前にスープと生ハムの乗ったサラダを順に並べてゆく。
「それでは食事の前に祈りを、」
オーブドゥ卿の言葉に思わず、私は呻きを漏らした。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ、なんでもありません。どうぞ、続けてください」
私が呻いた理由をわかっているオーサーが小さく笑っているのを、私は隣を幸いに足でけりつける。痛みで軽く俯いて震えているオーサーを今度は私が小さく笑った。
「では、食事の前の祈りを、お嬢さんにお願いできますか?」
やっぱりか、と今度は心のなかで私は舌打ちする。だが、不快は表にせず、私は作り笑顔で了承した。
「はい」
私は両手を組み合わせ、全員が目を閉じて、頭を下げているのを確認する。女神信仰が浸透しているだけに、食事前の祈りは常識と言っていいほどかかせないものだ。だけど、私はこの儀式があまり好きじゃない。美味しいものは暖かいうちに食べてしまいたいのに、そうさせてくれないというのもあるが、何よりも私が祈ると余計なことをする妖精がいる。
「今日もこうして食事が出来ること、食物が与えられることを天にまします女神に感謝します。この食卓に並ぶ者たちに女神の加護をお与えください」
ふわりと食卓に風が過ぎり、かすかにディが目を開けて少し顔を上げたのを私は見逃してはいなかった。あまり見られたくはないのだが、これはおそらく私に協力してくれる風の妖精、ファラがやる悪戯だろう。問い詰めてもいつも違うと言い張るが、ファラ以外にどうしてこんなことをできるだろうか。
祈りが終り、全員が顔を上げたところで、私はスプーンを手にする。オーサーとディはすぐにスープを口に運び始めていたが、オーブドゥ卿は真っ直ぐに私を見ている。
「挨拶が遅れました。私はイェフダ=オーブドと申します」
「存じ上げております」
そっけなく返す私だが、私の張り付いたような笑顔を見ないように、オーサーは食に専念しているようだ。ディは意外にもちらちらと私とオーブドゥ卿を見ている。
「私は、アデュラリア=バルベーリと言います。オーブドゥ卿は有名な女神研究家でいらっしゃいますね」
イェフダ=オーブドゥという名前は、国内で知らないものがいないほどの有名人だ。それを私もオーサーも貸衣装屋で嫌というほど聞かされたので、さすがに覚えている。
「イェフダで結構ですよ。研究家と言っても、私は何も知りません。何しろ、女神について、文献にはほとんど残されていませんからね。口伝にしても一般にはまず広まりませんし」
「ですが、オーブドゥ卿は女神の系譜をご存じなのでしょう? 素晴らしいことですわ」
私がまったくそう思っていないことを知っているオーサーは、努めて私から視線を避けている。
「アデュラリア嬢はここではとても有名ですね。噂では聞いていたんです。時々、ミゼットに来ては騒動を起こして消えてゆくお二人に、私はとても興味がありまして」
ふたり、と言われ、初めてオーサーが顔をあげた。その機を待っていたように、私たちの前に分厚いステーキがおかれる。良い香りに誘われてナイフを入れると、肉汁が溢れ出てくるステーキだ。
「僕らをご存じなのですか?」
聞き返しているオーサーをよそに、私はサラダを食し、ステーキを口に入れた。口の中で溶ける肉の食感に、思わず目を細める。
「ええ、最近ではパン屋の騒動が有名でしたね」
食べることに専念しかけていた私は、もう一切れにフォークをさしかけた動きをピタリと止めた。そのままオーサーを見ると、彼も硬直している。そんな私たちを見て、ディもにやりと笑う。
「ああ、それは俺も聞いた。パン屋の嫁の作った特製クッキーが盗まれてって奴だよな」
確かに、確かに一年程前にオーサー買出しに来た際、開店まで待ちきれなかった私たちは、ちょっと忍び込んでつまみ食いをした。だが、ちゃんと食べた分も持っていった分も代金を置いておいたのだから、盗んだわけでもない。ちょっと騒動にはなったが誤解も解けたし、表沙汰にはされていないはずの事件だ。何故完全部外者の二人が知っているのだろう。
「あ、ああ、あれは……オーサーの発案だったのよっ。ね、オーサー?」
「押しつけはよくないよ、アディ」
「くっ! 裏切り者っ」
「あれはあんたらだったのか。くくく、ますますおもしれぇ」
「うううっさいわよ、ディっ」
狼狽する私を助けるように、オーサーが話題転換を図ってくれなければ、私は羞恥でテーブルをひっくり返していたかもしれない。
「オーブドゥ卿は旅の話を聞きたいということで僕らを呼ばれたと思いますが」
「ああ、あれは口実ですよ」
さらりととんでもないことを言うオーブドゥ卿を、オーサーは笑顔で制する。
「いいえ、僕らも丁度ディから旅の話を聞いているところだったのです。ディは各地の女神の遺跡を巡ってきたということですから、きっとオーブドゥ卿もご興味がおありでしょう」
かすかにオーブドゥ卿の目が細められたが、そのかすかな視線をディはごく軽く受け流すのが私にもわかる。私たちには嬉々として話すくせに、何故だろうと私は軽く首を傾げた。
「別にいいけど、俺は別に女神について詳しくはねぇよ。遺跡巡りは単なる趣味だ」
面倒そうなディにオーブドゥ卿は穏やかに食らいつく。
「どの辺りを巡ってこられたのですか?」
「多くはねぇ。柱だけのもあったし、水に沈んで入れない場所もあった。連れに魔法使いもいたが、そいつの魔法でも水に入れなかった。あれは女神か女神の眷属が使う術でないと無理かもな」
話が逸れたことでほっと私は息をつき、オーサーは食事に戻ったのだった。
「柱だけということは現存する最古の神殿、フィアネルに行ったんですか?」
「まあな。でも、何もなかったぜ?」
かすかに苦い顔をしているディを見て、私はまた首を傾げた。疑問は小声でオーサーに投げかける。
「オーサー、フィアネルって?」
「聖典にも書いてあっただろ。最後の女神が残された神殿の話」
「ああ、あれか」
こそこそと私とオーサーが話している間に、置かれていたグラスに赤い液体が注がれた。豊潤な赤葡萄の香りに気がつき、私はそれに手を伸ばす。
「飲みすぎないでよ、アディ」
「わかってるって」
香りを楽しんで、口をつけた私は、すぐにそれを飲み干した。
「うわ、美味い。なに、これ。ちょ、オーサー、これ、飲まなきゃ損だよ」
「いらない」
「そんなこと言わずに飲みなさいってっ」
無理矢理にオーサーに進めると、訝しみながらも彼は口にした。渋みはあるが、今日の夕食とぴったり合う酒だ。食べながらであればいくらでも入ってしまう。
だが、オーサーは下戸で、私ほどには飲めないことを知っていた。
「ちょっと、大丈夫、オーサー?」
あっという間に潰れてしまったオーサーが、目で何かを訴えてくるのを無視して、私はオーブドゥ卿に泊まりの交渉を持ちかける。話しながら、どうやら害のない人だと私も判断もできたし、今夜はゆっくり休むことができるだろう。
オーサーやディとは別にあてがわれた広い寝室に入った私は、着替えもせずに直ぐにベッドに横になった。
ここからならば、オーサーもすぐに村に帰ることだってできる。刻龍に自分が狙われているとわかった今、私は自分がどう行動するべきか、わかっているつもりだ。
「ごめん、オーサー」
別の部屋で酔いつぶれているオーサーを想いながら、私は闇の中でゆっくりと目を閉じた。