6#よくある道具
緑深い森に、上方から差し込む薄明かりが夜明けを報せる。さながら命を吹き込まれ、命の輝きを求めだす自然の様相を尻目に、私たちはまだ狼と対峙していた。戦闘が始まったのが月が傾きかけた頃と考えると、相当な時間が経過しているのがわかる。
だが、敵の数は減るどころか未だに増えるばかりだ。飛び掛ってくる狼はオーサーが吹き飛ばしてくれて、その他のほとんどをディが薙ぎ払ってくれるおかげで、私は戦う必要もない。だが、大人しく守られるだけなら、私だって最初から村を出ようとなんてしない。
私の手元の小さな武器が大きな音を立て、その先から白煙を立ち上らせる。
「頼むから、ちゃんと狙って撃ってよね、アディ」
自分の目の前に黒く穿った痕が残ると、オーサーが呆れ声を返してきた。
「うるさいわねっ! ちゃんと狙ってるわよっ」
私が手にしているのは、掌に収まるサイズの小さな黒い拳銃だ。入っているのは実弾ではなく、ただの石。爪先の半分にも満たない一ミリに満たない砂利を詰めて、弾の代わりとしている。理由は簡単で、それ以外に詰めるものがないからだ。
一応神殿でも保管されている女神の遺品の一つではあるが、一般に普及しているさして珍しくもない品物だ。ただし、絶対的数量は限られているので高価と言えなくも無い。だが、世界中に数千個はあるといわれるほどに溢れている品に、珍しいも何もないだろう。
「なんでよりによって、そんなもんを。――……うぉっ! こっちに向けるんじゃねぇっ」
私が使うのは一応石ではあるが、神官魔法が扱えるマリベルに頼んで硬化と潤滑コーティングを施してある。神官魔法は魔法使いが使うものとは別種で、魔法使いが世界に流れる力を使うとすれば、神官のそれは女神に頼んで行うものらしい。説明は受けているが私にはよくわからないし、だいたい七面倒な説明を全部聞き終わる前にいつも寝てしまう。
要は使えればいいんだと割り切っていたが、どうやら戦闘の終わらない一端を担っていたのはその拳銃らしい。もちろん私だって、使わずにすむのならそうしている。だが、使わなければいけない理由がちゃんとあるのだ。
「げっ」
森の奥を見たディが歯がみし、オーサーが呻き声をあげる。奥からは倒しても倒しても狼の群れが現れてくるのだ。これが一晩中続けば嫌気も差す。
「ここにこんなに獣が出るなんて知らなかったなぁ、僕」
「あの馬鹿が呼び寄せてるに決まってるでしょ、オーサー。さっさとあいつを吹き飛ばしてよ」
「できるならとっくにやってるよっ」
私が拳銃という飛び道具を使っている理由は二百メートル程度離れた場所に、木立で笛を吹き続けている黒衣の男――敵がいるからに他ならない。本当ならディにそこまで行って倒してもらいたいところだが、頼みの剣術士はかねてより私たちをつけ狙っていた別の男の相手で忙しいようだ。
「ちっ、二人とも使えないわね」
「おまえが言うなよ」
切り結びながらもつっこみ返してくるあたり余裕があるのかと思いきや、どうにもディの手は空かなそうだ。徹夜で戦闘していて眠いし、いい加減布団で眠りたい私としてもは、我慢の限界を超えた不機嫌を隠す気力も無い。普段なら止め役のオーサーも自分のことで手一杯ということは、だ。
「こうなったら、ファラの力を頼るしかないようね」
「最初からそうしてよ」
オーサーが背中越しに安堵の息を吐くのに、私は小さく笑いを零した。こちらを見る余裕もないディをちら見し、私は願いの言葉を口にする。
「テキニココ、ファラ」
呼ぶ言葉に決まった形はなく、重要なのは願いの強さだ。願いの相手を思い浮かべ、私は彼を思い出して、堪えきれずにまた笑った。
私が呼ぶ声に合わせ、一枚の木の葉が手の上に落ちてくる。その上には全長十センチにも満たない少年が乗っている。
「どうしていっつも、ぴんち、になるまで呼んでくれないですかーっ」
透き通る肌には緑の葉っぱを雲の糸で縫い合わせて朝露で洗う、ワンピースみたいな服を着て喚く小さな少年――人は彼らを妖精と呼ぶ。
「あんたみたいなちんまいのに頼ってばかりいられないからでしょ。頼むわよ、ファラ」
頼りにしているのだと言うと、不満げな態度を見せながらもファラは私の手にする拳銃の隣に葉っぱごとふわりと浮かび、小さな両腕を高く差し上げる。
「こんなに苦労しなくても、僕が本気になればこんなやつら」
ただそれだけでファラの周囲から風が生まれ、次には私の背後から吹く追い風に変わり、私の黒髪を背中から前へと流した。
「狙いはあの木の上の笛よ」
「話を聞いてください、アディっ」
「聞いてる聞いてる」
私のその様子に、ディが目をむく。
「てっめぇっ、こっちに向けんじゃねぇっつってんだろーがっ!」
それもそのはず、私の狙いの中間点ではディが戦闘中だ。
「ぎゃあぎゃあうるさいわね。一流の剣術士ってんなら避けて見せなさいよっ」
「無茶いうなっ」
文句を言いながらもディが相手の一撃を強引にはね除け、急いで木陰に身を隠したのを私は確認する。視線をファラに向けると、小さな妖精は狙いの先から視線を外さずに告げた。
「いくよ、アディ」
「当てなきゃ二度と呼ばないからね、ファラ」
躊躇いなく、私は引き金を引く。爆音を立てて吹っ飛んでいった鉛の弾丸は、狙い過たずに黒衣の男の笛だけを砕いた。さきほどまで狙いを外しまくっていた私が、である。
遠当てが苦手な私でも当てることができるのは、ファラのおかげだ。風から生まれたというファラには、小さいながらもそうできる力がある。
「有難う、ファラ」
目の前で消える姿を見ながら、私は感謝の言葉をファラに向けた。ファラはまだ生まれて間もない幼い妖精だから、長く人間界にはいられないのだ。
笛がなくなるやいなや、襲撃者らはすぐに姿を消してくれた。
「で……できるなら、次からはそうしてくれ……っ」
獣たちが散り、襲撃者がすべていなくなった後でがくりとディは膝をつく。それに私は大きく口を開けて、欠伸をしながら答えた。
「いやよ。私は誰かを頼るような弱い女になんかなりたくなんかないわ」
「アディはもう十分強いよ」
「てか、何で拳で戦わねぇんだ?」
バァカと私が笑った見せると、男二人は不思議そうに、不満げに私を見た。
「勝てない勝負に拳で挑むわけないでしょ」
どこか妙に渇いた笑いを溢す二人をおいて、私は町の方へと足を向けて歩き出す。白み始めた空が夜の終わりを告げ、昼の女神の加護を伝える。そうなれば、闇に生きる者たちは容易に悪事を働けなくなる。つまり、町中に入ってしまえばある程度の安全は確保される。
安全云々は建前として、すでに眠気で限界を超える私の足は速い。しかし、所詮は女の足だ。男二人にとっては普通に歩くのとあまり変わらないのか、すぐに追い付いたオーサーが隣に並び、ディが逆隣の半歩後ろを歩く。
構わずにミゼットの町へと風を切って入る私たちを追い越し、荷物を積んだ幌馬車が追い越してゆく。その風に煽られたのか、私の背中で踊る髪が誰かに持ち上げられるように動き、落ちた。