53#よくある誘い
オーサーから逃げて直ぐ、私はあの不思議な通路へと身を隠すつもりだった。
でも、思うようにならぬのが、世の理のようだ。
私が向かう通路の先、先ほどオーサーらが来た方向から、石畳の床で靴音を高く鳴らし、ゆったりとした足取りで歩いてくる男がいるのをみて、私は足を止めた。
さっきの場所から十歩も離れていない距離だし、タイミングとしては一番最悪だろう。
今は多分呆然としているとしても、我に返ったオーサーに捕まる訳にはいかないというのに。
だいたい、あんな感情を、幼馴染にどうやって説明したらいいのかわからないし。
そもそも、まだ自分自身落ち着いていないのだ。
今はとにかくオーサーから逃げるしかない。
「アデュラリア様、どちらへ行かれるのですか?」
「イェフダ様」
先ほどの余韻で震える私の声に、彼はどこか残念そうに微笑む。
足取りの止まらない彼に対して、腰を落として、構えてしまう私との距離は縮まるばかりなのだけど。
私は一歩も動けずにいた。
ラリマーは、これはイェフダ様の本位ではないのだと言っていた。
ここから導き出される結論を証明するためには、何かが必要なはずだ。
物でも、印でも。
そうでなければ、ならないはずだ。
ーーこの世界の女神が、そう定めたのだから。
そこまで考えて、私は自分の考えついた答えに気が付き、ぞくりと肌が泡立つのを感じた。
もしも、これが彼女たちの意思というのなら、私に逆らう理由はない。
だが、そうでないのだとしたら。
「すぐに帰ってくるよ」
村を出る前に、そうマリベルに言ったのは私だ。
彼女が私を見つけ、救ってくれた。
彼女だけは、悲しませたくはなかったのだけど。
既に女神の宣言までしてしまった以上、帰ることは叶わないだろう。
「アディ!」
背中にぶつかるオーサーの声音に、私はビクリと身を震わせる。
考えている時間はないようだし、こうなったら直接聞くまでだ。
「貴方が何者でもいい。
私を、私だけをここへ連れてきた目的は何?」
私の問いかけに、オーブドゥ卿は口元に弧を描く。
彼の細長い指がゆっくりと上を指し。
「門を開いて欲しいのです」
天の門というものがあるのだと聞いたのは、それほど遠い過去でもない。
ほんの数日の間のことだ。
だから、私も直ぐに思い辺り、眉根を寄せた。
女神とそれに連なるもの、或いは歴代の大神官でも片手に余るほどしか開けなかった、女神の世界とこの世界を繋ぐ門を開けと、オーブドゥ卿は言っているのだ。
「できない。
私は方法を知らないもの」
今まで夢で見た転生女神の記憶の中にも、そんなものは欠片もなかった。
だから、これは本当のことだ。
だが、彼は首を振って微笑む。
「ご心配には及びません。
貴方はそこにいてくださるだけでいい。
さあ、参りましょう」
腰をかがめ、差し出されたオーブドゥ卿の手を前に躊躇したが、すぐに近づいてきたオーサーの声に、私は決意を固める。
「…本当にそれだけでいいのなら」
「アディ!」
そうして、オーブドゥ卿の手を取り、振り返った私が最後に見たのは、必死に私に追いすがってくる幼馴染の姿だった。
何しろ、直ぐ後で私の目の前の景色は一変してしまったのだから。
「…今度はどこよ」
「心配せずとも、王城内ですよ?」
オーブドゥ卿に手を取られたまま私が見回すことができた場所は、小さな部屋だった。
広さは大広間というほどではないが、大人が十人ぐらいは余裕で寝転がることができるぐらいある。
そして、大人でも見上げることが困難が場所に、小さな人の頭程度の窓が等間隔に並んでいる。
その小さな窓にガラスがある様子もないし、外から入ってくる明かりは完全なる陽光だ。
その光で室内を見渡しても、何一つものがない。
(まるで、牢獄だ)
出入口はどこにもない。
まあ、その辺は魔法でここまで運ばれたのだから、気にしても仕方がない。
きっと、特定の魔法か何かがあるのだろう。
魔法を使えない私にわかるわけもない。
(いやまて。
そもそも魔法でしか来られない場所に、どうして連れて来られたの?)
ぞくりと肌を泡立てた私が振り返った時、背後で鈍い光が一閃した。