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Routes 3 -アデュラリア-  作者: ひまうさ
三章 女神の系統
44/59

44#よくある騎士の昔話

 ディが手綱を操る早馬で、夜にはヨンフェンまで戻った私は、いつも通りに意識はなかった。後で聞いた話によると、駆け寄ってきたジェリンを退けて、ディが私を寝所まで運んだらしい。そして、目が覚めてすぐの私のベッドの傍らに、剣を抱えたまま微動だにしないディがいるだけだったのは、ディ自身が遠ざけたかららしい。


 えっと、ちょっとだけ、ディの姿に怯えた。だって、部屋の中真っ暗な中、大剣抱いた大男がちっこい椅子に座って、感情のない目で私を見てるし。誰だって、怖いだろう、これは。


「あの、ディ、だよね?」

「ああ」

 低い聞き慣れた声が聞こえて、私はホッと安堵の息をつく。それから、ようやく冷静になって、辺りに目を向ける余裕が出てきた。


 外からの灯火はあるが、室内も室外もシンと静まりかえっていて、誰もいないみたいだ。部屋にはもちろん私とディ以外いないのだろうが、世界に他の誰もいなくなってしまったかのような錯覚を受ける。以前にここ、ヨンフェンのルクレシア側の詰所で手当されたときはもっと賑やかだったから、余計に静けさが際立つ。


 静寂に耐え切れなくなったわけではなく、私はただ静かにディに問いかけた。


「ディはどうして、あんなことをしたの」

 私たちは逃げ出すみたいに、リュドラントの陣から戻ってしまった。これではもう、戦を止めるどころではないし、戦が始まるのも時間の問題だろう。相手は既にすぐそこまで迫っているというのに、一度のチャンスを不意にしてしまった。


「すまねぇ、アディ。あいつは、あいつだけは……駄目なんだ」

 苦しげな声を絞りだすディの表情は闇と、それから彼が俯いているせいで私には見えない。


 あいつ、というのはリュドラントの王ということだろうか。だが、問うことを躊躇わせるディの雰囲気に、私は流され、それを口に出来なかった。


「俺が前に仕えていた主人は、ルーシャン・ディア・リュドラントといって、リュドラントの第二王子だった」

 静かに静かに、闇から拾い上げるように、ぽつりぽつりとディは己の過去を話してくれた。


 私もディが以前、ハーキマーさんと共に旅をしていたという話は知っていた。そして、いつまでも女神の眷属を諦めきれないディに愛想を尽かして、彼女がディから離れて、あの薬屋を始めたということも。


 そのハーキマーさんと別れてから一人で旅をしていたときに、ディは重傷を負い、リュドラントの第二王子に助けられたのだという。


 当時、リュドラントという国は御家騒動の最中にあった。そして、当事者でありながらも権力欲のないルーシャン王子は、民の人気という点から命を狙われていたらしい。怪我の礼を兼ねて、ディは王子の護衛を願い出たのだという。


「最初はただの礼で、ルーの身が安全になったら再び旅に出るつもりだった。あいつもそれは承知していた」

 しかし、数日を過ごす内に、ディは王子の人柄に惚れ込んだ。あいつは天性の人誑しだった、と軽く笑うディの声は昏い。


 それだけならば、最初の話通りのまま、ディはその地を後のするはずだった。


「リュドラントの御家騒動が収まる兆しを見せたのは、ルーシャンが第一王位継承者であった義兄に、臣下の礼を宣言した後だ」

 自分が火種となるのなら、と王子は自ら進んで、臣下に下ることを申し出でたのだという。


 そして、騒動は平穏に終わるはずだった。


「その頃宰相位にあったのは今のリュドラント王で、第一王位継承者であったルーの義兄の後援者だった。亡くなる前の先代から宰相位についていて、ルーのこともよく気にかけてくれていた。ルーもよく懐いていたが、たぶんどこかで知っていたんだろうな。義兄を操ろうと画策していた、あいつの心を」

「義兄が王位を継承するという前夜、ようやく俺はルーからその話を聞くことが出来た。やっとこれで国が平和になると喜ぶ割に、浮かない顔をしていたあいつを酒に酔わせて問い詰めて、聞き出した」

「話を聞いて、俺はルーが殺されるかもしれないという懸念を抱えた。臣下に下るとはいえ、ルーは継承権を持っている。それを放棄したとしても、正統な王家の血筋だ。もしも宰相が王位簒奪を考えるとしたら、ルーも危険だと思ったんだ」

「ルーは、ルーシャンは、民のための王になることのできる男だった。だが、それ以上に、俺にとってはかけがえのない友人だった。いるかどうかの女神の眷属を探すよりも、その時の俺にとってはルーの命こそが最も優先すべきで、何にも換えることの出来ないものだった。だから、俺はルーシャンの騎士になることを申し出たんだ」

「元々女神がいるかどうかなんて、誰にもわからない不確かなことだ。だから、正直どうでもいいとさえ思っていた。だが、そんな俺を、ルーは叱り飛ばして言ったんだ」

 そこまで話して、ディは一呼吸を置いて、まっすぐに私を見つめていった。


「おまえの女神はきっといる。だから、俺のためでなく、彼女のために騎士の誓いをとっておけ。女神は孤独なのだろう? おまえ以外に誰がその孤独を癒せると思う。誰に、彼女の心を守りきれると言うんだ」

 はっきりと女神がいると言い切られたのは、ディにとって初めての事だった。今まで、誰も女神が地上にいることなど信じては貰えなかった。ディにその役を譲った先代の従者さえも、だ。


 それなのに、リュドラントの第二王子はそれを断言したのだという。理由はただの勘だというが、それでもディには十分なことだった。


「はやく見つけてやりなよ。彼女はきっと、ずっと君のことを待っているはずだから」

 知らず涙を零すディに、王子はそう言って、騎士になることを諦めさせたのだという。


 そして、二人は騎士ではなく、友の杯を交わし、ディは王子のためにならば、いつでも駆けつけると、その剣を振るうと誓った。


 翌日、ディは式典を見届けて、リュドラントを旅立つつもりだった。だが、そこで事態は急展開となる。第一王位継承者であった王子が、式典の最中に宰相の手のものに殺されたのだ。そして、同じように魔の手はルーシャン王子にも伸び、そして、ディの助けも間に合わずに殺されてしまった。ディはほんの僅か遅れてしまったのだという。


「死に際にあいつは、誰も恨むなと。もしも自分が死んでも、それは女神の意に沿わなかっただけだから、と言っていた」

 ディは淡々とそうして、長い昔話を語り終えたはずだった。その顔は表情が抜け落ちて、いつものディではないみたいで。


 だけど、私の耳には不思議と静かに落ちる雫の音が聞こえていた。実際に聞こえる音じゃない。脳内で響くような、透明な雫の音だ。カップに落ちる一滴の滴のような音が、いくつもいくつも響いている。


「俺にとってルーシャンは主人であり、友だった。仇を討ってやりたかったが、それはあいつの望むところじゃない。だから、俺は黙って、リュドラントを去ることにした」

 私は涙音にひかれて、ディに腕を伸ばした。音は、ディから生まれていると感じたから。表情はないけど、ディの心が響いてきて、私自身も押しつぶされそうだ。


 ディの前に立った私は、座ったままのディの頭を胸に引き寄せ、そっと抱きしめた。


「誰よりも国を想い、憂いていたルーシャンこそが、リュドラントという国を継ぐべきだった。俺はあいつの描く未来をこそ、共に見たかった。なのに、俺はーー」

 ディに触れたことで、より一層哀しみが流れこんでくる。深い深い、哀しみと、後悔が、押し寄せてくる。それは、私にも経験があった。あのイネスでの最後の一夜のような。


「今回のことはヒース……今のリュドラント王にとって良い口実というだけのことだ。遅かれ早かれ、あいつはルクレシアを取る気でいた。だから、戦争が起こってもそれはおまえのせいじゃない、アディ」

 だから泣くな、とディに言われて、私は頭を振る。今、私の涙が出るのは、それが理由じゃない。


「ディが、泣かないから」

 腕の力を強めて、私はその髪に顔を埋める。ディからは土と汗と埃の匂いがした。


「あなたが泣かないから、私が代わりに泣くの」

 言葉は最後まで口に出来ず、私はディを抱く腕に力を込めて、嗚咽を堪えることしかできない。


 ディは泣いていない。でも、私には、どうしてもディの心が子供みたいに、あの時の私みたいに、泣きじゃくっている気がして、辛かった。可哀想とか、そういう感情じゃなく、ただ哀しかった。


 泣き続ける私を、ディは何故か苦笑し、優しくあやす様に何度も、何度も私の頭を、髪を撫でてきた。

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